くらし

アラサーになった名女優デコちゃん第2章、幕開けの1作。│森鷗外 原作『雁』│山内マリコ「銀幕女優レトロスペクティブ」

『雁』。1953年公開の大映東京作品。DVDあり(販売元・角川書店)。

デコちゃんの愛称で親しまれ、幅広い役柄で活躍した国民的大女優、高峰秀子。森鷗外の原作を映画化した『雁』では、明治時代の女性のやるせない境遇が丁寧に描かれます。

デコちゃん演じるお玉は、下町で飴細工を売る貧しい娘。老父を抱えた彼女に、妻を亡くした呉服商の妾の口が斡旋されます(飯田蝶子のやり手婆ぶりは一見の価値アリの至芸)。老父のためを思って身売り同然で妾になったお玉は、本郷の無縁坂に構えた家で甲斐甲斐しく旦那(東野英治郎)に尽くしますが、実は彼、呉服商ではなく嫌われ者の高利貸しで、しかも妻子ある身であったことが発覚。生活は楽になったものの、時折り本妻(浦辺粂子ぉー!)が恨めしそうに現れたりと、心労は絶えず。家の前を通る東大の学生、岡田(芥川比呂志)に恋心を抱くようになるものの、その思いが報われるはずもなく……。

親しみやすい丸顔につぶらな瞳が可憐なデコちゃんも、アラサーとなった本作あたりから、辛苦を味わう役がぐっと増えていきます。そして本作のような「女であるからこそどうしても逃れられない悲惨さ」を演じるのが、本当に本当に上手い! 心の動きがミリ単位で伝わってくる、役そのものを生きているような、実に自然で繊細な演技。まるで心理描写の巧みな小説を読んでいる気になるほど、とにかく見事なのです。

1953年(昭和28年)に作られたこの『雁』の翌年には、壺井栄の『二十四の瞳』、さらにその次の年には林芙美子の『浮雲』に出演。子役からスタートした長いキャリアの中でも、この時期のデコちゃんは神がかっています。明治の本郷界隈を再現した美術セットも素晴らしく、森鷗外の小説世界を存分に味わえる稀有な映像作品でもあります。

しかしながらデコちゃんの代表作は数知れず、『雁』もその氷山の一角に過ぎません。さらに自伝『わたしの渡世日記』をはじめ、随筆家としても天才的。昭和には、こんなめまいがするような才人がいたんですね……。

山内マリコ(やまうち・まりこ)●作家。映画化した『ここは退屈迎えに来て』が今秋公開。新刊は『選んだ孤独はよい孤独』。

『クロワッサン』977号より

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