暮らしに役立つ、知恵がある。

 

広告

平成バンドブーム(1)──ミュージシャン ・森若香織さん×ライター・土佐有明さん

時代が昭和から平成に代わる頃、多くの邦楽バンドが中高生の間で大人気に。そのバンドブームとはいったい何だったのでしょうか。

撮影・高橋マナミ ヘア&メイク・中村未幸(森若さん) 文・黒田 創

平成バンドブーム(1)──ミュージシャン ・森若香織さん×ライター・土佐有明さん

「中高生がみんなバンドを組んだ。それがブームの象徴的出来事」
右:土佐有明(とさ・ありあけ)さん  音楽評をメインに執筆。著書にバンドブームを中心とする日本音楽史を論考した『イカ天とバンドブーム論』(DU BOOKS)を持つ

「アルバム作ってツアーやって。とにかく毎日忙しかった」
左:森若香織(もりわか・かおり)さん ガールズバンド、GO-BANG’S(ゴーバンズ)のボーカル。現在はソロユニットとして継続中。作詞家、作曲家として幅広く作品提供も行っている

1990年ごろに若者たちを魅了したバンドブーム。その真っただ中にいたガールズバンド、GO-BANG’Sの森若香織さんと、そんなバンドたちに影響を受け、音楽に関する執筆も多いライターの土佐有明さんが当時のシーンを振り返ります。

森若香織さん(以下、森若) 土佐さんが音楽を好きになったのって、やっぱりバンドブームがきっかけ?

土佐有明さん(以下、土佐) 僕は中2でTHE BLUE HEARTSに衝撃を受けたものの、まだバンドはやっていなかった。ウチの中学は荒れていてヤンキーが多く、淀んだ空気が漂っていたのですが、中3の文化祭の時に、そんなヤンキーたちに手を焼いた先生たちが、彼らにバンドを組ませてエネルギーを発散させようとしたんです。

森若 へぇ〜、ドラマみたい!

土佐 まさにドラマですよね。そこで彼らがコピーしたのがBOØWY(ボウイ)。で、文化祭当日になったらそのコピーバンドが女の子にキャーキャー言われていて、「これだ!」と思って。

森若 俺もモテたい!と(笑)。

土佐 高校生になったら絶対バンドをやろうと決め、軽音学部がある高校だけを受験し、受験が終わった次の日にベースを買いに行き、その2カ月後には新歓で演奏していました。

森若 うわ~、青春そのものだ。

いつもキュートな森若さんの七変化<br>1980年代半ばのバンド結成から現在に至る森若さんのファッション変遷。ガーリースタイルからサイケまで何でもござれ。1990年代にはしばしばファッション誌の表紙を飾った
いつもキュートな森若さんの七変化
1980年代半ばのバンド結成から現在に至る森若さんのファッション変遷。ガーリースタイルからサイケまで何でもござれ。1990年代にはしばしばファッション誌の表紙を飾った

土佐 森若さんはどんな感じでバンドを始めたんですか?

森若 高校時代、のちのGO-BANG’Sになるメンバーに誘われたのが始まりかな。私は中学生の頃、洋楽オタクで、パティ・スミスやダムド、セックス・ピストルズまで何でも聴いてたのね。でも高校生になったら、日本にも格好いいロッカーがいるじゃん!と気づいて。それが忌野清志郎さんだったの。

土佐 GO-BANG’Sはその清志郎さんに見出されたんですよね。

森若 私たちの作ったカセットテープを偶然聴いてくれてね。清志郎さんがカッコいいのは、俺がどこかのレコード会社を紹介するよ、というのではなく、一緒にデモテープを作ってくれたところ。「このテープを持って、あとは君たち自身で頑張りたまえ」って、爽やかに去っていった(笑)。

土佐 清志郎さんらしいですね。

森若 で、どこに売り込もうかと考えたんだけど、当時LAUGHINʼNOSE(ラフィン・ノーズ)や有頂天などのインディーズブームというのがあって、その代表的なレーベルにデモテープを持っていったの。

土佐 反応はどうだったんですか?

森若 いきなり「君たち、インディーズなんて古いよ」って言われて、「えっ!?」て。続けて「流行なんてその時点でもう古い。この先はメジャーだよ。ついてくるかい?」なんて言われちゃって。そんなの「行きます!」ってなるじゃない(笑)。で、その人が独立して立ち上げた事務所に入ったの。

土佐 そこにはGO-BANG’Sのほかに筋肉少女帯、有頂天、たま、カブキロックスが所属していたんですよね。

森若 そうそう、変な人ばっかり(笑)。でも、今でもみんな仲が良いんだよ。時系列で言うと、1980年代半ばにインディーズブームがあって、そこからさらに上を目指そうってことで、それまで細々と活動していたバンドがお金のあるメジャーレーベルと契約して一気に売り出されるようになり、バンドブームに繋がっていったと。私たちもその流れに乗った感じかな。

ブームの渦中にいる意識なし。とにかく毎日忙しかった

土佐 バンドブームの追い風みたいなものって、どんな時に感じました?

森若 自分たちではよくわからないんですよね。今みたいにネットやSNSがなくて、みんな自分のことだけで精いっぱいだった。アルバムは毎年作るし、そのたびにツアーもやる。毎年40カ所回るツアーをやってましたから。

土佐 そういう時代ですもんね。

森若 レコーディングは今の100倍時間がかかっていて、全部手作業。だから一年の半分がレコーディングで、残り半分がツアー。毎年そんな感じ。

土佐 さらに森若さんは毎週ラジオ番組の仕事もあったわけで。

森若 そうそう。ポニーキャニオンからメジャーデビューしたのが1988年で、その年の秋にはもう『オールナイトニッポン』が始まりました。最初は「なんで私に?」って思ったもん。

土佐 デビューしてすぐ大仕事が決まるのはメジャー感がありますよね。

森若 午前3時開始の第2部とはいえ、まさに大メジャー。それまではずっとインディーズで、サブカル寄りの世界に浸かっていたから、ラジオではそういう趣味の話をしたり音楽をかけようと思ってたのね。でもサブカル趣味ってああいう場ではウケない(笑)。

土佐 なるほど、そこで「メジャー」を痛感したと。

森若 私がマニアックなパンクの曲をかけたいと言っても「いや、それみんな知らないから」って却下される。それで「そうか。このラジオGO-BANG’Sを知らない市井の人たちもたくさん聴いているんだ」と思ったの。だからバンドブームって、私たちのようにもともとインディーズでやっていたバンドがメジャーな場に押し上げられてたくさんの音楽マニアじゃない人にも聴いてもらえたり、ラジオやテレビに出るようになって世間一般に知られるようになった。それらをひっくるめて「ブーム」だったんだなって。

土佐 『イカ天とバンドブーム論』という拙著でも触れましたけど、たまや人間椅子のようなもともとアングラな世界観を持つバンドも、『イカ天』に出たことでCMソングに使われたりして世間に知られるようになった。これもバンドブームの一側面じゃないかと。

森若 そうですね、私は『イカ天』はたまに見るだけだったけど、土佐さんの本を読むといろいろ思い出すというか。

土佐 そんな中で、筋肉少女帯の大槻ケンヂさんはメジャーのシーンにいながらもサブカルを背負っていて、意識的に自分の好きなものを広めていった珍しいケースかなと思います。

森若 うん、大槻くんは私と同じ時期に『オールナイトニッポン』の第1部を担当していたんだけど、かなりマニアックな曲をかけていたもんね。

平成バンドブーム(1)──ミュージシャン ・森若香織さん×ライター・土佐有明さん

新しい音楽をやろうとしてあちこちから批判された

土佐 あと当時は今のように機材も豊富じゃないから、音楽をやりたければバンドを組むしかない。それで僕も含めた中高生がバンドを始めたのもブームの一端になったんじゃないかな。

森若 1980年代ならなおさらだよね。でも私たちの曲「あいにきてI・NEED・YOU!」がヒットして、続けて出したアルバムがオリコン1位になった1990年ごろは、バンドの生音にドラムマシンなどの打ち込み音源を融合させて、パソコンで音を作るイギリスのマンチェスターブームが起きた頃だったの。私たちもミーハーだからそれ面白いってことで、イギリスまで行って『サマンサ』ってアルバムを作ったんです。

土佐 日本のバンドで打ち込みを取り入れたのはかなり早いほうですよね。

森若 でも、取材では「なんでバンドなのに打ち込みサウンドに行くんですか?」ってめちゃくちゃ聞かれて、けっこう批判もされたのを覚えている。

土佐 きっと「あいにきてI・NEED・YOU!」のイメージがあるから急に変わったと思われたんでしょうね。でも当時洋楽を掘り下げて聴くような人はマンチェスターど真ん中のザ・ストーン・ローゼズなんかをみんな聴いてましたから、世界的な音楽の流れの中では決して不自然ではない。

森若 今は作家としてSnow ManさんやK-POPの曲の日本語作詞もしているけど、私はいつも最新のものが好きだし、新しい作品を作りたいという気持ちは昔から変わらないのね。

バンドブームのおかげでバンドがアイドル的存在に

土佐 そんな森若さんのいい意味でミーハーな部分が、バンドブームの中でGO-BANG’Sの独特な立ち位置を作った気がするんですよ。

森若 武道館ライブでブドウの衣装を着たり変なことばかりやっていたから音楽的な評価はあまりされなかったけど、当時中高生だった人たちがいまだに「GO-BANG’S好きでした」って言ってくれるのはやっぱりうれしいんだよね。私たちは3人ともパンクとか好きで、でもそれっぽい恰好や曲をやるのは全然パンクじゃないぜ!って思っていたもん。誰も見たことのないものをやるのがパンク精神だよって。

土佐 バンドブーム以前だと、ロッカーは革ジャン着ないといけないとか笑顔を見せちゃだめとか古い価値観がありましたもんね。

森若 だからいろいろ奇抜なことをやる上で、大人たちとはしょっちゅう喧嘩しましたよ。でもファンの子たちはそれを面白がってくれたから良かったと思っている。今思い返すと、バンドブームで出てきたバンドって、男の子もみんな可愛かったのよ。

土佐 それまではゴリゴリのロッカーが不機嫌な顔でやっていたのが、急にパッと明るくなった感じですよね。

グッズやツアーパンフもカラフル!<br>右・GO-BANG’Sのロゴは雑誌『パチパチ』やチェッカーズのロゴを作った故・染谷淳一氏によるもの。左・森若さんもTシャツデザインなどを手掛けた。これらは森若さんが今なお大切に保管している
グッズやツアーパンフもカラフル!
右・GO-BANG’Sのロゴは雑誌『パチパチ』やチェッカーズのロゴを作った故・染谷淳一氏によるもの。左・森若さんもTシャツデザインなどを手掛けた。これらは森若さんが今なお大切に保管している

森若 JUN SKY WALKER(S)(ジュン・スカイ・ウォーカーズ)もユニコーンも、電気グルーヴもみんな可愛くてキラキラしていた。その意味ではバンドがアイドル的存在になったのもバンドブーム。バンドマンが怖い人じゃなくなったんだよね。

土佐 まあ、あのビートルズだって今でこそ音楽面が評価されますけど、来日公演の時は女の子がキャーキャー絶叫するアイドルだったわけで……。でもそんな中でバンドブームの終焉を感じたタイミングってありましたか?

森若 ブーム以前に、あまりにも忙しくてメンバーが辞めて自然消滅した感じ。今なら活動休止して間を置くとかできるけど、2人とももう無理!って。だから私としてはバンドを辞めたつもりはなくて、それで「ひとりGO-BANG’S」という形で今でもライブをやっているんです。

ヒット記念でメダルも授与<br>37万枚以上を売り上げた「あいにきてI・NEED・YOU!」など、ヒット記念に所属レコード会社から贈られたメダル。世はバブル。こういうものがアーティストに贈られる時代だった
ヒット記念でメダルも授与
37万枚以上を売り上げた「あいにきてI・NEED・YOU!」など、ヒット記念に所属レコード会社から贈られたメダル。世はバブル。こういうものがアーティストに贈られる時代だった

土佐 話を聞いていると、メジャー路線じゃなかったGO-BANG’Sが好きなことをやっているうちに時代の波に乗ってメジャーのど真ん中に行ったのって、改めて面白いなあと。

森若 私たちはあまり深く考えずに行っちゃえ!ってタイプだった。そういう強さはあったと思います。

森若さん「私的にはまだ解散してない。だから「ひとりGO‐BANG’S」
森若さん「私的にはまだ解散してない。だから「ひとりGO‐BANG’S」
土佐さん「売れている時期に新しいチャレンジをしたのは慧眼だなと」
土佐さん「売れている時期に新しいチャレンジをしたのは慧眼だなと」

平成バンドブーム年表 with GO-BANG’S

1983年

札幌の中学の同級生でGO-BANG’S結成。森若の東京移住に伴いバンドは一時自然消滅するも、記念作として残したカセットテープを忌野清志郎が耳にして絶賛。これをきっかけにほかのメンバーも上京し活動再開
チェッカーズがデビューし、TМNETWORK(ティーエムネットワーク)が結成。バンドブームの萌芽が見られる時期。

1985年

東京初ライブ。翌1986年2月には9曲入りカセットアルバムを発売。ライブ中心に精力的に活動
BOØWY、BARBEE BOYSなど後の人気バンドがホールコンサートを成功させる。

1987年

インディーズデビュー。「プリマドンナはお好き?」がCX系ドラマ『オレの妹急上昇』のエンディングテーマに使われる
THE BLUE HEARTSの人気に火がつき、ユニコーン、LÄ-PPISCH(レピッシュ)らがメジャーデビュー。JUN SKY WALKER(S)が原宿ホコ天で注目を集め、音楽雑誌が次々と創刊したバンドブーム黎明期。12月にはBOØWYが人気絶頂期に突如解散宣言。

1988年

4月「ざまぁカンカン娘」でメジャーデビュー。5月、アルバム『ゴーバニックランド』をリリース。10月『森若香織のオールナイトニッポン』が放送開始
4月にBOØWYが東京ドームで解散ライブ。チケット発売日に東京都内の電話回線がパンクする異常事態に。夏にはBARBEE BOYSもドーム公演を行った。X(X JAPAN)のインディーズ盤アルバムがメジャーチャートにランクイン。

1989年

アルバムがチャート上位にランクインし、『夜のヒットスタジオ』に初出演。渋谷公会堂、日比谷野音などのライブも成功させるなど徐々に注目を集め始める
1月にプリンセス プリンセスが女性バンド初の武道館公演を成功、4月発売の「Diamonds」がミリオンセラーを記録する。2月にTBS系列で『三宅裕司のいかすバンド天国』(通称・イカ天)が放送開始。この番組をきっかけにBLANKEY JET CITY、たま、BEGINらがデビュー。ZIGGYの「GLORIA」がドラマの主題歌に採用されブレイク。

1990年

前年12月発売の「あいにきてI・NEED・YOU!」が約37万枚とGO-BANG’S最大のヒット曲に。3月発売のアルバム『グレイテストビーナス』が初のオリコンチャート1位を獲得。6月には武道館公演を成功させる
イカ天出身のJITTERIN’JINN(ジッタリン・ジン)の「プレゼント」「夏祭り」が大ヒット。ユニコーンのアルバム『ケダモノの嵐』が日本レコード大賞アルバム賞を受賞。

『クロワッサン』1175号より

広告

  1. HOME
  2. くらし
  3. 平成バンドブーム(1)──ミュージシャン ・森若香織さん×ライター・土佐有明さん

人気ランキング

  • 最 新
  • 週 間
  • 月 間

注目の記事

編集部のイチオシ!

オススメの連載