認知症の母の言動は自分の鏡。自分の機嫌がよいのが一番──増山弥生さん「在宅介護のマイルール」(3)
撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子
その一軒家は、風光明媚な栃木県の山あいにある。春は梅のあとに桜、秋には銀杏や紅葉など、窓から四季折々の景色が広がるのだ。
「引っ越し先を探していた時、認知症の母が子どもの頃に暮らしていた農村風景とも重なるこの場所に、理想の家を見つけました。昨年の冬にこの家に来た時、縁側に座った母が『私はここに住んでいたんだよー』って言って。それくらいしっくりきたんだな、と思ってホッとしました」
そう語る増山弥生さんが、母親の久子さんを見る眼差しは穏やかだ。弥生さんがこの場所を桃源郷のように思えるのは、段階的にさまざまな認知症状が出る久子さんの変化を、その都度受け止めてきたから。
「本当に、この家に引っ越してきてよかった。みんなが穏やかになった」
と安堵しながら話すのは、一緒に暮らす弥生さんの夫の正次さん。夫婦ともに、久子さんのことを、若いころのあだ名である“チャコちゃん”と呼ぶ。そう呼ぶと、久子さんの反応がよくなったりするからだ。
久子さんの介護をきっかけに、弥生さんが栃木に戻って来たのは2017年。大人になって見る故郷には、面白い場所や新しい出会いがたくさんあった。とくに、この地ならではの魅力を活かしてコミュニティを作っている友人たちとの出会いは、「ここで楽しく暮らしていけるかも」と思える一筋の光になり、自分のお店づくりへとつながっていった。弥生さんは、久子さんの体が元気なうちは、交流の場でもある店に久子さんを連れて来ていた。自分の店なんだから介護もオープンにしちゃおう、そんな気持ちでいると、同じように親の介護で悩む人が噂を聞きつけて訪れて来ることもあった。また「音楽が流れると踊り出しちゃうようなファンキーな母なので、その様子を動画に撮ってSNSにアップしてみたら、友人が『チャコちゃん、可愛い!』と盛り上がって。母の元気な様子を見て反応してくれる遠くの友人たちにも救われました」。
介護する上でのルールは作っていないけれど、なるべく機嫌よく。そのことを教えてくれたのはほかならぬ母だったと、弥生さんは振り返る。認知症の久子さんは、鏡のように弥生さんの機嫌に反応する。その言動が「自分が穏やかだと母にも優しくできる」というシンプルな答えを教えてくれた。9年の介護生活にはいろいろあったが、店を持ち、正次さんと出会えた。さらに2人は、いまの自宅と近くの畑を拠点にしつつ、新たな夢を追いかけ始めたところだ。
『クロワッサン』1142号より
広告