『秘仏の扉』著者・永井紗耶子さんインタビュー「明治を改めて発掘することができました」
撮影・園山友基 文・中條裕子
物語の中心に揺るぎなく据わっているのは、法隆寺の夢殿に安置される秘仏の救世(ぐぜ)観音像。鎌倉時代以降は厨子(ずし)の扉を開ければ直ちに仏罰が下ると信じられてきた「絶対秘仏」だ。その扉が開かれたのは江戸から明治へと時代が移って間もなくのころ。廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)の嵐が吹き荒れていた時期だった。
「お寺や仏像を見るのが好きでした。しかし本来、宗教と一体化しているそれらが、現代では建築や彫刻として広く認識されている。根っこが切り離されているような気がして。それは明治期の廃仏毀釈が、日本の文化に影を落としているからではないか、と」
そうした思いから、アーネスト・フェノロサと岡倉天心が救世観音像の扉を開けた一件が気になり、永井紗耶子さんは物語を書き始めた。
「明治初期、秘仏の開扉は何回か行われており、どんな立場の人がどういうタイミングで開けたのかを調べていったら、それだけで時代の背景が網羅されていく感じがして」新たな発見が多かった、と永井さん。
思いがけなかったのは、そこに居合わせた人たちが社会的にだけでなく個人的にも複雑な繋がりを持って、互いに後の生き方に深く関わっていたことだった。
開扉に関わった人たちの、濃密な関わりとその人生と
「個々のドラマがとても濃く、どう構成するか戸惑うほど。どうしようこの人たち……みたいな」
そう永井さんが語るほどに開扉に立ち会った男たちの人生は濃密に関わっていくことになる。
秘仏開帳で知られているのは、教科書でもお馴染みのフェノロサと天心だが、この場には写真撮影を行った小川一眞、天心の上司である九鬼隆一はじめ新聞記者たち十数名が固唾を飲んで見守っていた。
「その後に、実際それぞれの政治的な立場がこんなに絡みあっていたのか、九鬼と天心の関係もこんなことになっていたのか、とわかって驚きました。複雑すぎる出来事がたくさん出てきて……」
というとおり、上司である九鬼の妻と天心との不倫関係もあれば、またそれぞれの社会的な軋轢もあり。想像以上に濃密な人生を追いながら、最後に辿りついたのが町田久成だった。文部大臣として寺社の宝物調査をしていた人物で、フェノロサと天心より前に秘仏の開扉に立ち会ったとされている。
「救世観音像は千年以上前に聖徳太子を模して作られたといわれていますが、それを引き継いでいくという立場の中間地点を彼らは担った。久成や天心ががんばらなかったら、日本は文化の背骨を失っていたかもしれないと考えると彼らの重要性をしみじみ感じました」
ひとりひとりを追いながら、表と裏で絡み合う人と人の生。そのものたちの内には、常に“あのときの救世観音像”が存在していた。人の心の有りようで見え方が変わる、不思議な力を持った像。そして、他人からの見え方と、己の生き様と。人間もまた光の当て方によって、その姿が変わるのだと思うと、ひとしおに感慨深いものが残る。
『クロワッサン』1137号より
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