考察『光る君へ』48話「つづきは、またあした」まひろ(吉高由里子)の新しい物語へと三郎(柄本佑)は旅立つ「…嵐がくるわ」最終回、その強いまなざしの先に乱世が来ている
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
京都会場で最終回
2024年12月15日。私はドラマ絵師・南天さんと共に『光る君へ』最終回パブリックビューイング会場で最終回を見届けた。
私、南天さん、『クロワッサン』の編集さんで東京でのファンミーティングと大津、京都の最終回パブリックビューイングの観覧募集に応募し、ほかは落選して唯一、京都会場のみ当選したのだった。
倍率を聞きこれはもう駄目ですねえと諦めていたので、当選を知って泣いた。
一年間自宅でドラマを観ながらPCに向かいパチポチとドラマレビューを打っていたため、大勢の『光る君へ』ファンの皆さんと共に笑ったり涙したりの視聴がとても新鮮で、貴重な経験だった。いつもLINEで打ち合わせをする南天さんと肩を並べて最終回を見届け、ふたりでハンカチ握りしめて涙したことも忘れないだろう。
大石静先生と中島由貴チーフ演出、内田ゆき制作総括のお話、吉高由里子さんと柄本佑さんのスペシャルトークも、ドラマレビューを書く前に変な意味での答え合わせになってしまうのはよくないかもしれないなどとおかしな心配をしてしまい、お話の途中で、ここは聞かないほうがいいかな? という内容は敢えて集中しないようにしながら座っていた。
貴重な体験をした上で書いた、最終回のドラマレビューをお送りします。
演技力を信頼しきった演出
47話(記事はこちら)の最後で全国の視聴者を凍りつかせたであろう倫子(黒木華)のまひろ(吉高由里子)への質問「それで、あなたと殿はいつからなの?」から最終回はスタートした。一週間ずっと気になっていたのだ、あれから一体どうなったのかと……。
ホラー風でもサスペンス風でもない、静かな演出で倫子の問いかけは続く。
まひろが土御門殿に来てから道長の様子に変化があり、まひろを見る道長の目は「誰が見てもわかるくらい揺らいでしまって」いたと。
土御門殿でも内裏でも噂になっているよなと思って観ていたが、この言い方だと公然の秘密として扱われていたのではないか。道長の態度を観ていると、そりゃそうだとは思う。
倫子「まひろさん。殿の妾になっていただけない?」
道長の妻としての誇りと体面を維持しつつも、病み衰えた道長を少しでも支えるにはどうしたらよいのか。倫子なりに悩み考えた末の提案だったろう。そして、道長との仲はいつからかと重ねて問う。覚悟を決めて、まひろが打ち明けた。
まだ三郎と名乗っていた道長と初めて会ったのは9歳。小鳥を逃がして泣いていた自分を慰めてくれた少年だった……再会を約束したが、その約束の日に彼の兄・道兼(玉置玲央)に自分の母を殺されてしまい会いには行けなかった。道長と共に親しくしていた散楽の者──直秀(毎熊克哉)らが殺されて、ふたりで葬った。壮絶な悲しみを分かち合えるのはお互いしかいなかったのだと──。
こうして並べてみると情報量が多すぎる。私が倫子だったら「待って。ストップ! いったん整理させて!」と叫んでしまうだろう。
このシーンは、回想場面を一切挟まず、まひろの淡々とした語りと倫子の微妙な表情の変化だけで構成される。まひろが語り終わるまで音楽もない。吉高由里子と黒木華の演技力を信頼しきった演出であり、ふたりの名女優は見事に応えている。引き込まれて目が離せなかった。
すべてを聞いた倫子は言わずにはいられなかった。
「彰子(見上愛)は知っているの」「あなたは本心を隠したまま、あの子の心に分け入り、私からあの子を奪っていったのね」。
まひろが藤式部として彰子に仕え始めた頃、倫子は出産でダメージを負い、娘の傍にいられなかった。どのようにしてまひろが彰子の信頼を得るに至ったか、その経緯をつぶさには見ていない。
その後の一条帝(塩野瑛久)と彰子の関係を考えれば藤式部の功績は大きいが、母としての倫子は、心に澱を抱えることとなったろう。そして、出仕するずっと前からまひろが道長と関係を持っていたことを知った今、倫子には、これまでのまひろの行動が、敵意に基づいたものに感じられてしまった可能性もある。
自分が出会う前から夫と関係を持っていた女が娘に近づき、夫ばかりか娘の心も奪って意のままにした。身分が低い、財もない女が高貴な正妻に陰で復讐をしていた……と。
ただ私には、このあたりの台詞は、自分と出会うよりもはるか以前に巡り合っていたまひろと道長の縁に、とても敵わないと思っての八つ当たりで、積年の怒りが噴き出しただけのように見えた。
もう隠し事はないかと念を押されたまひろは、倫子の目をまっすぐ見つめ返し「はい」と答える。賢子(南沙良)が道長の娘であることは、明かしたところで誰も幸せにならない秘密だ。
倫子「このことは死ぬまで胸にしまったまま生きてください」
それ以上責めず、口止めだけにとどめたのは、倫子の精一杯の矜持であった。
そして道長のもとを訪れ、4番目の娘・嬉子(瀧七海)を東宮・敦良親王(彰子の次男)に入内させることを申し出た。様子がおかしいといぶかる夫に答えず、
倫子「次の帝も我が家の孫ですけれど、次の帝も、そのまた次の帝も我が家からお出ししましょう」
と微笑む。女として妻として母としてズタズタに傷ついた今は、最高権力を掌握する家の女主人であることだけが彼女の拠り所だ。
嬉子は道長と倫子の長男である摂政・頼通(渡邊圭祐)の養女として、14歳で東宮・敦良親王に入内した。
25年も大納言だった
寛仁3年(1019年)、左大臣・顕光(宮川一朗太)がついに辞職するのではという動きがあり、道綱(上地雄輔)が道長に、
道綱「俺、大臣になれないかな? 一度大臣やりたかったんだよ!25年も大納言だったんだもの」「ちょっとだけでいいよ、すぐやめるから」
道綱は、この翌年の寛仁4年(1020年)、病に倒れ、66歳で逝去。結局、大臣には生涯なれなかった。この作品の道綱は政治には全く向いていないが、最後まで弟・道長を可愛がる兄だった。どんなに立場が変わろうとも出会った頃のまま接してくれる道綱に、どれほど道長の気持ちは救われただろう。お疲れ様でした、兄上。
ちなみに左大臣・顕光はこの騒動で辞職することはなく、道綱死去の翌年、治安元年(1021年)78歳で世を去った。
俊賢と明子
万寿2年(1025年)、嬉子が東宮の皇子を産む。しかしその2日後、19歳という若さで亡くなってしまった。死因は麻疹(はしか)だったという。道長と倫子夫妻は激しく嘆き、道長は陰陽師らを土御門殿に集めて娘を蘇らせる儀式をさせたと『小右記』と『権記』に記される。
万寿4年(1027年)、道長の孫である後一条帝(高野陽向)は19歳。
実資(秋山竜次)は右大臣になっている。斉信(金田哲)と行成(渡辺大知)は大納言。それ以外の公卿・参議のうち、大納言と中納言は教通(姫小松柾)、頼宗(上村海成)、能信(秋元龍太朗)、長家(豊田裕大)……道長の息子たちが占める。
政の場で立派に務める甥たちに、政治の場から退いた俊賢(本田大輔)は満足そうだ。
明子(瀧内公美)は、嫉妬からも競争心からも解き放たれたように穏やかな老女となっている。お互いに憎まれ口を叩いて「べー」しあう明子と俊賢。帝の血を引く源氏兄妹のこういうところ、すごく好きでした。高松殿明子は、嬉子の産んだ親仁(ちかひと)親王が後冷泉帝として治める世まで生きる。永承4年(1049年)没、享年84歳。長生き!
出家して女院宣下を受けて上等門院を称した彰子は、亡き妹・嬉子の皇子・親仁親王を引き取り、手元で養育している。親仁は彰子の次男である東宮・敦良親王の子なので、孫であり甥でもある。
賢子は光る女君に
先述のとおり、親仁親王はのちに後冷泉帝として即位する。賢子はその御乳母として三位の位を受け、大弐三位と呼ばれる。
頼宗と御簾の内で昼下がりの情事を楽しむ賢子。
頼宗「お前、定頼とも朝任とも歌を交わしているそうではないか」
賢子「私は光る女君ですもの」
定頼とは公任(町田啓太)の嫡男。小倉百人一首に権中納言定頼として歌が採られている。
権中納言定頼
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらはれ渡る瀬々の網代木
(夜明けに宇治の川霧が漂っている。その霧が薄くなってきたところに見えてきたのが、川の浅瀬で氷魚をとる網代木だよ)
賢子も大弐三位として小倉百人一首に歌を残す歌人であることは45回のレビュー(記事はこちら)で述べた。有名歌人同士が交わした恋の歌は、
定頼
見ぬ人によそひて見つる梅の花散りなむ後のなぐさめぞなき
(梅の花をあなただと思って眺めています。でも散ってしまった後は私を慰めてくれるものはありません。※あなたに逢いたいのです )
賢子
春ことに心をしむる花の枝に誰かなほさりの袖か触れつる
(春が来るたびに梅の枝に私の心を沁み込ませているのです。その枝に、誰が気まぐれに袖を触れるのでしょう ※そんなことを仰るけれど、私とは遊びなんでしょう? )
「ちちうえー」と宣孝(佐々木蔵之介)の膝の上で月を眺めていた賢子ちゃんが、こんなに見事に貴公子たちと渡り合うようになって…と、親戚のおばちゃんの気持ちで観た。
実の父である道長と母・まひろができなかったことを、なんでもしてほしい。
光る女君として「(俺と関係をもてて)ありがたく思え」なんてぬかす上流の男たちを薙ぎ倒して進め。
しかし、まひろは、賢子には実の父は道長だよと教えておいたほうがよかったんじゃないかしら。この作品内では、道長の息子である頼宗とは異母兄妹にあたる……。頼宗と交際していたことは残された歌により史実としてわかっているが、賢子が道長の娘というのはドラマ上の設定、フィクションであることは野暮を承知で念押ししておきたい。
大丈夫です、赤染衛門先生
すっかり白髪となった赤染衛門(凰稀かなめ)が、倫子を前に『栄花物語』26巻「楚王の夢」、嬉子の臨終場面を読み上げている。ドラマの中では書き始めたのは「刀伊の入寇」のあった寛仁3年(1019年)であったから、あれから8年経った。道長の曾祖父が仕えた宇多帝から始まった歴史物語だが、道長の栄光だけではなく、悲嘆に暮れた太閤夫妻の姿まで記すことになったのだ。
赤染衛門「果たして私が書いたものは『枕草子』や『源氏の物語』のように広く世に受け入れられましょうか」
大丈夫です、赤染衛門先生。『栄花物語』は広く長く読み継がれ、2021年大学入学共通テストの問題にまでなってます。
娘の臨終の描写に泣いていた倫子が涙を拭いて座り直し、
倫子「自信を持ちなさい。見事にやってくれています。あなたは私の誇りだわ」
嬉しそうに微笑む赤染衛門。『栄花物語』は正編30巻、道長の死を描いた「鶴の林」までが赤染衛門の執筆という説が有力である。「藤原道長のきらきらした栄華を」記録してほしいと願った倫子の依頼に応えた作品を完成させたのだ。
凰稀かなめの赤染衛門は、聡明で凛として忠誠心に溢れ、時におちゃめ。一年を通してとても魅力的な存在だった。赤染衛門先生、ありがとうございました。
同じ土御門殿で、道長を囲んで四納言が酒宴をしている。公任はこの前年の万寿3年(1026年)、60歳で出家した。酒が弱くなっただのトイレが近くなっただの、おじいちゃんが集まったときの会話は昔も今も変わらない。他の4人に、「情けない! 自分はまだまだ大丈夫だ」と豪語して笑った俊賢は、この年、万寿4年(1027年)に世を去った。
父・源高明の失脚で政界で生きる道はないかのように見えたのに、持ち前のしたたかさによって見事なリカバリーを果たした男。お疲れ様でした。
紫式部と菅原孝標女と清少納言が!
為時(岸谷五朗)邸の庭で、乙丸(矢部太郎)が熱心に仏像を彫っている。その横を、見慣れない若い下女が忙しく通り過ぎる……ああ。乙丸の伴侶、きぬ(蔵下穂波)が亡くなったのだ。「この身ひとつなので妻など」と言っていた彼に越前から連れ添い、まひろが旅に出るときは供をせよと送り出してくれたきぬ。おおらかでたくましく、優しい女性だった。長年、乙丸の「いい人」でいてくれてありがとう。
しんみりしていたら、まひろを前に『源氏の物語』を読んでいる若い女性は……菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ/吉柳咲良)! おおお、日本史上もっとも有名なオタク、俺たちの祖! のちに彼女が残した『更級日記』には『源氏の物語』に熱中した少女時代の思い出が記されている。あこがれていた源氏の物語をやっと手に入れて、一巻ずつ誰とも会わず自分の居室で寝転んで読む、その心地を、
后の位も何にかはせむ(帝の后の位も、源氏の物語が読める価値に比べたら何になろうか)
と表現した。その言葉に、今までどれだけ多くの人が共感しただろう。私もその一人だ。
そうか、菅原孝標女(ドラマでの名はちぐさ)が紫式部と対面できたのか、よかったねえと頷いていたのだが、
ちぐさ「この作者のねらいは、男の欲望を描くことですわよ、きっと!」
……「この作者」……? えっ。ちぐさちゃん、もしかしてまひろが作者だと知らずに語っている? 独自解釈を、話に耳を傾けてくれる優しい人相手に猛烈に語っているということ? こんなにもオタクにありがちな挙動を再現するとは。しかも相手が作者だとは。
共感性羞恥で死にそう……やめて、ちぐさちゃん! 見ている側のライフがゼロよ!
思う存分語って満足したのか、帰って行くちぐさちゃんと入れ違いにまひろのもとを訪ねてきた女性……清少納言、いや、ききょう様(ファーストサマーウイカ)! 紫式部と菅原孝標女と清少納言が同じ画面の中に。フィクションの楽しさが詰まっている。
ききょうは年老いて、まひろとの交流が再開したようだ。膝の痛みを訴えつつ縁側に座り話に花を咲かせる。
ききょう「枕草子も源氏の物語も、一条の帝の御心を動かし政さえも動かしました。まひろ様も私も、大したことを成し遂げたと思いません?」
まひろ「ええ。米や水のように、書物も人になくてはならぬものですわ」「されどこのような自慢話。誰かに聞かれたら一大事ですわ」
楽しそうに笑い合う紫式部と清少納言。このふたりを才能を認め合い、理解し合える友として描いたこの作品に、平安文学ファンとして心から感謝したい。
壊れた鳥籠が揺れる。この場面では鳥籠は政治的な背景……ふたりの呪縛の象徴だ。それが壊れて、解き放たれた二人の才女の姿に大泣きした。
清々しい藤原隆家
道長は、嬉子だけでなく、出家した顕信(百瀬朔)と三条帝の中宮だった姸子(倉沢杏菜)と次々と我が子らに先立たれた。自身の病も重くなり、土御門殿から法成寺に移る。
まひろが縁側で読んでいるのは白楽天の『長恨歌』。『源氏物語』にも引用される、玄宗皇帝と楊貴妃による愛と別れの物語である。
七夕の夜にふたりだけで誓いを交わす──天に在っては比翼の鳥となり地に在っては連理の枝となろう。天地は悠久でも時には限りがある。この別れの悲しみは尽きることがない──よく知られた美しい詩である。
その『長恨歌』のすぐあとに同じく白楽天の、白氏文集『婦人苦』が続いている。
伴侶に先立たれた男女それぞれの境遇について、女性は孤独に過ごすが男性はなんだかんだ言って後添いをもらったりすることを、折れた竹と柳になぞらえて語り、「そうした女性の苦しみを理解して軽んじることのないように」と説くものである。
このふたつの詩は、まひろ自身が書き写したものだろうか。悲劇的な別れを前にした男女の麗しい誓いと、現実的な男女格差。
恋のあわれを謳いつつも、そこに冷徹な視点を置くことを忘れなかった『源氏物語』の作者らしい読書の姿だ。
そこに隆家(竜星涼)が訪ねてきて、道長が臥せっていることを伝える。
中関白家に生まれた身ながら出世しなかったこと、中納言を返上したことを「清々した」と笑う彼が、文字通り清々しい。藤原隆家、登場時から最終回まで竜星涼が好演した。
道長の瞳に光が差す
道長の最期が近づき、厳かな読経が響く法成寺。『栄花物語』が伝えるとおり、彼の手は阿弥陀仏と五色の糸で結ばれて極楽往生を願う形を取っている。
倫子の命で百舌彦(本多力)がまひろを迎えに来た。
倫子「殿に会ってやっておくれ」
夫・宣孝が死んだとき、妾であるまひろには葬られた後に嫡妻から報せが来て、臨終前後の様子すら教えてもらえなかったことを思い出す。あれがあったから、今回の倫子の依頼がどれほどに破格の待遇かがわかる。
倫子「どうか殿の魂をつなぎとめておくれ」
最期まで悔いのないよう、夫・藤原道長を送ってやりたい。そのためであれば頭も下げる。ボロボロに傷ついても、倫子はこの国最高の貴婦人として振る舞い続けるのだった。
御簾の内に入ったまひろだが、道長はこちらを見ても「誰だ」。見えていない……。
8年近く前に別れた最愛の人が目の前に現れたというのに、その姿は見えない。なんと苦しい再会だろう。
藤式部としての勤めを終えた日に「これで終わりにございます」と自分の手を引き剥がしたまひろの「お目にかかりとうございました」という言葉に、道長はゆっくりと手を差し伸べる。その手を握るまひろ……。やっと生き返ったかのように深く息をする道長に、これまでの病の苦しさを感じる。
まひろは自分の体に道長の身を預けさせて薬湯を飲ませる。その姿はまるでピエタ像のようだ。ピエタとは「慈悲、憐み」を意味する。
世を変えたいと思い続けて権力を手にしてもこの世は変わらなかったと嘆く道長を「あなたが戦のない世を守った」と慰めた。
ある日突然戦禍に巻き込まれた人々を、テレビやインターネットを通して目にしている現代の我々は、それがどんなに難しいことなのか知っている。
もう物語は書いていないというまひろに、
道長「新しい物語があれば、それを楽しみに生きられるやもしれんな」
まひろ「では今日から考えますゆえ。道長様は生きて、私の物語を世に広めてくださいませ」
道長「ふふふ……お前はいつも俺に厳しいな」
翌日、ふたりの思い出を描いた檜扇を開いたまひろが語り始めたのは、
「むかし、あるところに三郎という男の子がおりました。兄がふたりおりましたが、貧しい暮らしに耐えられずふたりとも家を飛び出してしまいました。父は既に死んでおり……」
それは、権力とは無縁の家に生まれた三郎の物語。本来の道長……おっとりとした優しい少年が歩む人生。もう闇しか宿っていないと思われた道長の瞳に光が差す。
「つづきは、またあした」
やわらかな声でまひろが告げる。これはシェヘラザード──『千夜一夜物語』のオマージュだ。
新たな三郎の物語では、散楽の皆は生きて旅立つ。道長の秘めた願いを、これまで辿った道に落としてきた後悔を、少しずつ拾い集めては作り変え、まひろは語って聞かせた。この物語は、彼の全てを知る彼女にしか作れない。
これまでもこのドラマは音楽が素晴らしかったが、最終回はまるで物語そのものが呼吸しているかのように静かに音楽が流れる。
日を追うごとに弱り「生きることは、もうよい」と首を振る道長だが、まひろの物語の新たな登場人物、「川のほとりで出会った娘」に目を開けた。道長のためだけの物語では小鳥は去らず、三郎の手のひらに舞い戻る。つづきは、またあした……。
そして翌朝。倫子が部屋を訪れてみると、道長の手が布団から出ている。妻はその冷たさに夫が夜の間に旅立ったことを悟ったのだった。
ここで、あっと気づいた。オープニングの映像……伸ばした手と手。水の中か幻の中にいるかのような、おぼろげな光。どこか官能的なまひろの表情と姿。私たちはずっと、道長の末期の夢を見ていたのか。
三郎の「藤原道長」としての生は幕を閉じた。彼は今、まひろが語り始めた新しい物語の続き……永遠の夢の中にいる。
三郎、お疲れ様でした。
その後の彰子
道長が逝った日、行成もまた旅立った。43話(記事はこちら)での「行成は俺の傍にいろ」という言葉通り……。日記に道長と行成の死を記す実資の目から零れる涙。
生きるということは見送るということだ。実資は永承元年(1046年)90歳まで生き、都の人々を見送り続けた。彼の日記『小右記』は長元5年(1032年)までの記録を伝え、当時のことを知る上での貴重な資料となっている。
四納言のうち、ついにふたりだけになってしまった公任と斉信が、友たちに盃と歌を捧げた。この時のふたりの歌は『栄花物語』に残っている。
見し人の亡くなり行くを聞くままにいとど深山の寂しかりける(公任)
消え残る頭の雪を払ひつつ寂しき山を思ひやるかな(斉信)
訳はいらないであろう、どちらも友人として率直な気持ちが詠まれた歌だ。
長元元年(1028年)。後一条帝に皇子がいないことを憂い、頼宗が他家から女御を立てることを提案する。しかし、上等門院彰子は却下する。「他家を外戚としてはならぬ」。
彰子は女院として政への影響力を持ち続けたが、息子である後一条帝と後三条帝、孫の後冷泉帝にも先立たれた。そして、どの帝にも藤原氏を母とする皇子が生まれることはなく、女子ということで道長を落胆させた禎子(よしこ)内親王(三条帝/木村達成と姸子の娘)の皇子、後三条帝が即位するのである。
彰子は後三条帝の子、白河天皇の御代に87歳で薨去した。
見上愛は「おおせのままに」しか言えない寡黙な姫君時代から国母として権勢をふるう女院まで、一人の女性の成長と変化を演じきった。拍手を送りたい。
おさな友達を詠んだ歌なのですね
ちやは(国仲涼子)と惟規(高杉真宙)の菩提を弔うための仏像の隣に、乙丸が彫った仏像が祀られている。どこかきぬに似ている御仏だ。
「私が鳥になって見知らぬところに羽ばたいていこうと思って」と、古びた鳥籠を片付けるまひろに「私を置いていかないでください。どこまでもお供しとうございます」と乙丸が懇願する。
いと(信川清順)は老いて、惟規が既にこの世にいないことを忘れてしまった。
ドラマレビュー4回(記事はこちら)で、いとは為時の召人ではないかと述べた。そして彼女の処遇はどうなるのだろうかとずっと観ていた。最終回で彼女は、この家で家族同然の老後を迎えている。
いとは、召人という日陰の存在に『源氏物語』の中で名前と人格を与えた紫式部が主人公のドラマ、『光る君へ』にふさわしい登場人物であったと思う。
まひろは、賢子に自分の歌を集めたもの──のちの世に『紫式部集』と呼ばれる歌集を渡す。最初に記された歌は、
めぐりあひて見しやそれともわかぬ間に雲隠れにし夜半の月かな
(やっと会えたというのに、それがあなただという実感がわかない間にいなくなってしまわれたのですね。まるで雲に隠れる月のように)
賢子「おさな友達を詠んだ歌なのですね」
まひろ「……ええ」
『源氏物語』には、光る君(光源氏)が亡くなったことが示唆される題名だけの巻「雲隠」がある。
ドラマの視聴者は、『小倉百人一首』にも入っていて、紫式部の歌でもっとも有名な「めぐりあひて」の一首を、これからはまひろが道長に捧げたものだと思って読むのだ。
紫式部の一番有名な歌と『源氏物語』と、ドラマの設定とをすべて絡めて、この最終回でドンッと出してきた大石静の手腕……おみごととしか言いようがない。
誰しもが一人で逝かねばならぬ
まひろは乙丸を伴って旅立つ。都から遠く離れた地を老いた主従がゆく……。
ふたりを現世に留めおくもの、縛るものはもうなにもない。これは死出の旅だ。
まひろの姿に、小野小町や清少納言など、平安時代の著名な女性たちの最期を語るいくつかの伝説を思い出す。落ちぶれて老醜を晒し、旅の果てに孤独な死を迎えただの、野ざらしのしゃれこうべとなっただの……。はっきりとわかっていないのをいいことに、まるで美しかったこと、賢かったことへの罰のように哀れな末路として語られるのだ。
「やかましいわ」と、ずっと思っていた。独りで死ぬことの一体なにがそんなに哀れだというのか。女に限らず、どうせ死ぬときは誰しもが一人で逝かねばならぬのだ。
戻らぬ旅を自ら選び山野を歩くまひろに、それでこそ私達のヒロイン! と、喝采を送った。
まひろと乙丸を追い抜いた騎馬武者の中に、双寿丸(伊藤健太郎)がいる。
双寿丸「東国で戦が始まった」
そうだ、長元元年(1028年)というテロップがあった。上総国、下総国、安房国(現在の千葉県)で平忠常の乱が起こった年だ。この乱で武功を立てる河内源氏の子孫が、のちの源頼朝。武士が統べる世に繋がってゆく。
騎馬武者たちの背を見送ったまひろは、
「道長様。……嵐がくるわ」
踵を返すことなく、戦が始まったという東へ進んでゆく。
これからの乱世を見届けるがごとく、強いまなざしで。
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最終回までドラマレビューを書き続けることができました。毎週読んでくださった皆さんと、一年間、美しい絵で盛り上げてくださった南天さんのおかげです。
本当にありがとうございました。
そして、お知らせです。2025年の大河ドラマ『べらぼう~〜蔦重栄華乃夢噺〜』のドラマレビューも引き続き、こちらクロワッサンオンラインで連載することとなりました!
南天さんにもまた一年間、ドラマ絵でご一緒いただきます。ありがたい……
これもひとえに皆さんにごひいき賜ったからこそ。重ねてお礼申し上げます。
『光る君へ』は作品を生み出す女・紫式部が主人公でしたが『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』では作家の生んだ作品を世の中に発信する男・蔦屋重三郎が主人公です。来年は観ている間に、創作に打ち込んだまひろ、クリエイターを後押しした道長、一条帝(塩野瑛久)を思い出す場面がきっとあるはず。ぜひご覧ください。
初回放送は来年1月5日。今度は江戸時代でお会いしましょう!
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、見上愛、南沙良、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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