考察『光る君へ』45話 笠を脱ぎ捨て、海風を受けて駆けるまひろ(吉高由里子)そして大宰府で周明(松下洸平)と出会う!終盤にきて怒涛の展開の予感
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
「このよをば……」考察大会
「昨夜の道長(柄本佑)の歌だが、あれは一体なんだったんだ?」
道長の「このよをば……」についてのシナゴンの考察大会から始まる。「この世はなにもかも思いのままだ」説の俊賢(本田大輔)、「今宵はまことによい夜だな」説の公任(町田啓太)、月は后を表すから「三人の后が揃い完璧な夜だ」説の行成(渡辺大知)。これらはそれぞれ現代における「このよをば」歌の代表的な解釈だ。
しかし、このドラマに限っては誰も知らない、道長とまひろ(吉高由里子)との大切な思い出と、これまでの人生を振り返っての歌なので、斉信(金田哲)の「なんだったんだ?」が実は一番正解の反応であるというのが面白い。
蘇る道兼の言葉
敦康親王(片岡千之助)と妻・祇子(のりこ/稲川美紅)との間に嫄子(もとこ)女王が生まれている。妻との仲は睦まじく、愛らしい娘に恵まれて、政治的には敗者かもしれないが人間としては幸せそうだ……と思った途端に病が彼を襲い、あっという間に世を去る。寛仁2年(1019年)死去、享年21歳。彼の死後、妻の祇子は出家し、嫄子は頼通(渡邊圭祐)と隆姫(田中日奈子)夫妻が引き取り養育。のちに後朱雀帝に入内し、中宮となった。
ナレーションでは敦康親王の一生を「道長によって奪い尽くされた生涯であった」と語る。
そして親王から奪い尽くした自覚がある道長は、じっと己の影を見つめるのだった。
6話(記事はこちら)での、次兄・道兼(玉置玲央)の、
「お前は自分だけきれいな所にいると思うておるやもしれぬが、俺たちの影はみな同じほうを向いている」
この言葉が蘇る。一族の栄華のためならば身分の上下に関わらず他者を利用し、帝とその血筋すら無碍に扱って憚らぬ。俺は父上、兄上たちと同じだという思い……しかしその父も兄たちもとうの昔に世を去り、濃く伸びる黒影の重さは誰とも分かち合えない。
『源氏物語』完結
まひろが筆を走らせる。彼女の傍らにあるのは『往生要集』、『大乗本生心地観経』。仏教書と経典である。『源氏物語』「宇治十帖」は仏教思想が色濃く反映された内容なので、執筆中のまひろの手元にこれらが揃っているのは納得だ。
まひろ「小君がいつ戻るのかと、お待ちなされていたのですが……(略)『誰かに隠し置かれているのではないだろうか』と思い込んでしまわれたのは、自ら浮舟を捨て置いたことがおありになったからとか。元の本には書いてあったのです」
『源氏物語』54帖「夢浮橋」の結びだ。
光源氏の息子(実は柏木と女三宮の不義の子)薫と光源氏の孫・匂宮、ふたりの貴公子に翻弄された女──浮舟は、苦しみの末に宇治川に入水し、自ら命を絶とうとした。亡骸は見つからぬままで薫は嘆き悲しむが、実は浮舟は入水後に横川の僧都に助けられていたのだ。死にきれなかった彼女は僧都に請い願い、出家を果たす。薫は浮舟が生きていることを知り、再び邸宅に迎え入れようとするも、浮舟に拒絶される。薫はあきらめきれず、浮舟の異父弟・小君を遣わして還俗と復縁を促すが、それも拒否される。小君は、浮舟と思われる女性とは直接話せず、手紙も渡せなかったと知って薫は落胆し(誰かが浮舟を隠しているのではないか……)と思い込んだ。
それは、自分が浮舟を宇治の別邸に隠して住まわせた挙句、飼い殺しのようにした経験からではないだろうかと「本に侍める(元の本には書いてあったのです)」。
まひろは筆を置き「物語は、これまで」と天を仰ぐ──。『源氏物語』が、宇治十帖まで完結した! 全部で54帖、登場人物は430人以上。作品内の和歌は795首。
光源氏とその子孫たちを中心として、人間の愛と別れ、幸せと喜びと悩みと苦しみ。それらすべてを描いた壮大な大河小説を、ついに完成させた……やり遂げたのだ。
独り、まひろは月を見上げる。その夜は上弦の月。まだ満ちきってはいない、これから輝きを増すのだ。
まひろが出した答え
執筆活動に区切りをつけ、自宅でも文箱に蓋をするまひろは、ふと、幼い頃からずっと吊るしてある鳥籠に目をやる。傷み壊れていて、そこに入るはずの小鳥は近くで飛んでいるのだろう、さえずりが軽やかに響き渡っている。
まひろの娘・賢子(南沙良)が宮仕えをしたいと申し出た。夫となる男に通ってもらって生計を立てるのではなく、自分で働いてこの家を支えてゆくという。まひろの背中を見て育った娘ならではの結論……さりげなく現代の働く母親たちへの激励となるような、ヒロインの娘の自立宣言だ。
賢子が宮仕えをしても自分は大丈夫だという父・為時(岸谷五朗)の言葉を受けて、まひろは自身のこれからについて語る。
まひろ「賢子がこの家を支えてくれるなら、私は旅に出たいと思いますの」「物語の中で書いた須磨や明石に……それから、亡き宣孝様(佐々木蔵之介)のおつとめになった大宰府や、さわさん(野村麻純)の亡くなられた松浦にも」
働いて子を育て上げ、ライフワークである物語を完結させた。まひろは、やるべきことを全力でやったのだ……これまでの人生を振り返りながらの旅に出るのだね。いってらっしゃい。じんわりと胸が熱くなる。
きぬ(蔵下穂波)が「この人もお供します!」と、夫の乙丸(矢部太郎)を押し出す。家族の会話は聞こえていても、老人となった乙丸は九州まで行くという長旅の供をするとは言い出せなかったろう。しかし彼は姫様のゆくところならどこへでもついてゆく、今度こそ守ると決心した男だ。彼の生涯のしめくくりを、きぬは後押ししたのだ。
きぬ「あんたが御方様を無事に連れて帰ってくるんだよ。私はここで待ってるから」
乙丸「御方様! お供いたします!」
温かい涙を誘われる場面だった。
太皇太后・彰子(見上愛)の下という職場を賢子に譲り、まひろは、お暇乞いをする。賢子の女房装束──唐衣は裳着の儀式で、道長から贈られた布だ。とてもよく似合っているではないか。
彰子「生きて帰ってまいれ。そして私に土産話を聞かせておくれ」
まひろに餞別として、懸守(かけまもり)が下賜される。初めての出産前後は藤式部がいないと心細いとしきりに頼っていた彰子が、微笑んでまひろを送り出すように……彼女は押しも押されもせぬ国母、この国一の貴婦人として成長した。涙ぐむまひろとともに、見守ってきた視聴者も感無量である。
そしてお暇乞いと賢子紹介は、道長と倫子(黒木華)の太閤夫妻にも。旅に出ると告げるまひろの言葉を、顔色ひとつ変えずに受け止める道長。さすが太閤の貫禄、まったく動じていない。
藤式部に語りかける倫子の声に、すっかり老いたなあと思う。寛仁3年(1019年)で倫子は55歳、道長53歳。老夫婦としての落ち着きを感じる。
道長「大宰府への使いの舟があるゆえ、それに乗ってゆくがよい」
今でいえば、飛行機のファーストクラスチケットを用意しとくからという感じだろうか。
太閤夫妻の御前を下がった後に倫子が母娘を呼び止め、前回44話(記事はこちら)での、道長の生涯を物語として書く依頼について訊ねる。
まひろ「心の闇に惹かれる性分でございますので」
作家として道長の栄華を輝かしく描くことはできないと断る。うまいなあ! これからは根が暗い性格というのを表現するとき、この台詞を使わせてもらおう。
そして、まひろの背中を見送る倫子の表情……ああ、夫の心を捉えて離さなかった女が身辺から去る。長い年月、人知れず抱えていた憂いも終わるのだ……という思いの表れに見える。まひろにしろ倫子にしろ、女たちが人生の幕引きに向けて心の整理をする時期に来ているのか。
しかし心の整理どころの騒ぎではない男がいた。
『源氏物語』生原稿を賢子に託しているタイミングでまひろの局にやってきた道長。賢子と女房が去ったあと、さかさかと局に入り御簾を自ら降ろす! 道長には悪いが、この所作に爆笑してしまった。自分で御簾を下ろすなど、太閤という貴人にあるまじき振舞い。どんだけ焦ってるんだと笑ってしまったし、同時に動揺した。この動揺については後述する。
道長「なにがあったのだ」「いかないでくれ!」
まひろ「これ以上、手に入らぬ御方の御側にいる意味はなんなのでございましょう」
そりゃそうだ! これぞ『源氏物語』を「宇治十帖」まで書いた作家。
お前を一番愛している、だが身分が低いからと妻にはしない男たち。飽きて忘れられるか、さもなくば死ぬか出家せねば愛という名の呪縛から解放される手段はない、悲しい女たちを描いたまひろが出した答えなのだ。
まひろ「ここらで違う人生も歩んでみたくなったのでございます」
ここから先の、まひろの表情の変化。吉高由里子の芝居が絶品だ。道長との決別と宿縁の告白をするまでの間は、わずか数秒だが語り継がれるべき名演だろう。
「私は去りますが……賢子がおります。賢子はあなたさまの子でございます』
驚く道長……えっ気づいてなかったの!? こっちが驚いたわ。
このまひろの告白に『源氏物語』14帖「澪標(みおつくし)」にある六条御息所と光源氏の最後の会話を思い出した。御息所は、亡き東宮との間の娘(のちの秋好中宮)の行く末を光源氏に託す。しかし「けして愛人扱いしてくれるな」と頼み込む場面。
まひろは自分が去ったのち、道長が賢子を自分の身代わりとせぬようにと釘を刺す意味もあって娘だと告げたのではないだろうか。
道長はまひろの手を握り、
道長「お前とは、もう逢えぬのか」
まひろ「会えたとしても……これで終わりでございます」
御簾を自ら降ろした道長に笑ってしまいつつも動揺したのは、この状況では道長がまひろを押し倒し抱いてしまうのではと思ったからだ。実際そんな勢いと気配があった。そして、この土御門殿で太皇太后に仕える女房・藤式部を、太皇太后の父である太閤が抱くことを咎める人間は誰もいない。妻である倫子も、貴族の女のたしなみとして黙認する。それは1話(記事はこちら)のちやは(国仲涼子)のため息の場面からずっと描かれてきた。そんな社会だ。
まひろはそうした社会の軛さえ振り捨てるように、力を込めて握られた道長の手を引き剝がし立ち上がり、土御門殿を後にする。
まひろの藤式部としての一生は、これで終わったのだ。
「藤式部がいなくなったからですの」
青空の下、旅に出るまひろ……よかった、お供が乙丸だけじゃない。後ろに屈強そうな若者が2名、荷物を担いでいる。
土御門殿では倫子が赤染衛門(凰稀かなめ)に藤原道長の人生を輝かしき物語として書くよう依頼した。
赤染衛門「謹んでお受けいたします。されど……まことに私でよろしいのでしょうか」
倫子「衛門がいいのよ」
赤染衛門はこの頃、恐らく60歳くらい。倫子が姫君であった頃から長年仕えてきた。あなたしかいないという倫子の言葉と信頼の微笑みは、これ以上ない褒美だろう。よかったですね、赤染衛門先生……。
『栄花物語』は道長の築いた栄光と公家社会の様子が描かれた歴史物語だ。正編30巻の作者は赤染衛門という説が有力である。道長の一族を身近で見つめた女性の筆によって貴族たちの生活が細やかに表されており、読めば彼ら、彼女らと繋がっている心地がする作品となっている。
ところで、倫子が抱いている子猫。当時、猫は大陸からの船に乗りやってきた貴重な珍しい動物だった。『源氏物語』にも『枕草子』にも皇族、貴族に大切に扱われる猫が登場する。倫子が小麻呂、小鞠、そして今回の子猫と、猫を絶やさず飼い続けられるのは、土御門殿の財力と絶大なる権力、貴族社会のすみずみまで行き渡った人脈の象徴なのだ。
賢子の初出勤の日は、まひろの時の重い空気とは全く違う晴れやかさで迎えられた。これもまた、まひろが長年勤めてきた成果だろう。賢子は今日から「越後の弁」と呼ばれる。祖父・為時が前越後守、その前は左少弁であったから。賢子はこののち、彰子の孫にあたる親仁(ちかひと)親王の乳母となり、親王が後冷泉天皇として即位した年に三位に叙された。
有馬山いなの笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする
(有馬山の麓の猪名の笹原は、風が吹けばそよそよと鳴るのですって。そうよ、あなたを忘れたりするものですか)
賢子が、『小倉百人一首』のこの歌で有名な「大弐三位」と呼ばれるのは、ずっとあとの別の話。賢子の女房としての華やかな人生が始まったのだ。
そんな彼女を、柱の影からじっと見つめる道長。彰子らとちがい、政の道具として使わなくともよい娘が、しかし我が子としては慈しむことはできない娘が目の前にいる。なんともいえない感情が胸に押し寄せる──と共に、襲い来る病の兆し。
そして道長は倫子に出家の意志を告げた。出家したいという夫としての相談ではなく「出家いたす」と、もう決定したことを話すだけだ。引き留める倫子に、道長は取り付く島もない。ここで倫子は、ずっと秘めていた思いを小さく零す。
倫子「藤式部がいなくなったからですの」
貴族の妻としてのたしなみも貴婦人としての矜持も捨てて、まひろとのことは気づいていたと打ち明けたのに、道長は笑って流すだけ。摂政と三人の后たちの母、帝の祖母。太閤の妻。女としてこの世の頂点に立っているはずの彼女は、今はまだ何も捨てることができぬまま現世に取り残される。
その姿はあまりにも悲しい。
終盤にきて怒涛の展開に?
須磨の浜辺。笠を脱ぎ捨て、まひろは海風を受けて童女のように駆ける。
その魂ははばたき、波の上をはるか空高く飛んでゆく──。
平安貴族の女性が日常的に顔を隠していたのは知っている。身分が高くなればなるほど出歩かないものであることも知っている。しかし、彼女たちが自由に歩いてみたい、思い切り走ってみたいと願わなかったとは誰も言えないだろう。
大河ドラマはドラマなのだから、歴史上の人物たちを作品の中で解放することさえできるのだという場面に心震わせ、泣いた。
まひろが自由を手に入れて鳥のように飛んで行ったのち、都では道長の出家の儀式が厳かに執り行われた。詳細に再現されたために、ドラマであるのにテレビの前でだらっと眺めていてはいけないのではないかという気持ちになり、思わず正座して見届けた。
まひろのいない現世になんの未練もなし。倫子の涙を見ると、道長は夫としては酷い男だ。しかし、彼もまた政治家・藤原道長としての一生をやり遂げたのである、長年政の頂にいたのである。お疲れ様でした……という思いがある。
僧形となった道長のもとに、久しぶりにリラックスした様子で公任、斉信、行成が訪れた。 朝廷の廷臣としてではなく、友人として。
公任「五十過ぎまで誰ひとり欠けることなく来れたことは、感慨深いのう」
道長「あっという間になにもかも過ぎていった。あっけないものだな、人の一生とは」
同世代の視聴者は(わかる)と頷くやり取りではなかったか。
ついに老境に入った友たち。これからは後に続く世代──摂政・頼通のために、もうひと踏ん張りしようではないかと一致団結する。これはこれで、悪くない老後だ。
そして、当の頼通は、入道の道長から文字通りのご指導ご鞭撻叱咤激励を受ける。出家しても、まだまだ道長は完全には現世から放たれることはないようだ。
まひろと乙丸がついに大宰府到着。賑やかな市場で出会ったのは……周明(松下洸平)、やっぱり再登場した !! 終盤にきて怒涛の展開となる予感がする。
次週予告。道長の手を振りほどいて辿り着いた大宰府で、周明に「妻はいるの?」そうだ、まひろはそういう女だった。ついに刀伊の入寇!! 隆家(竜星涼)がこれまでで一番活き活きしている。乙丸、双寿丸(伊藤健太郎)、生きて帰れ。まひろと周明は多分大丈夫だから心配してない。紫式部がその目で刀伊の入寇を見るというぶっとんだ展開、ドラマはこうでなくっちゃね!
46話が楽しみですね。最終回まであと3話!
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、見上愛、南沙良、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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