『その朝は、あっさりと』著者、谷川直子さんインタビュー。「その時、死は自分の中にあると感じました」
撮影・北尾 渉 文・堀越和幸
「その時、死は自分の中にあると感じました」
今度こそ父が危ない。主人公の素子は住んでいる千葉から実家のある神戸に呼び寄せられる。父の恭輔は96歳。10年前に認知症を患い4年前に転倒して骨折したのをきっかけに、在宅介護を受ける身となってから徐々に体力を落とし始め、穏やかに生と死の境の行き来を繰り返している。
これは谷川直子さん最新作『その朝は、あっさりと』の冒頭だ。本の帯には〝老衰介護看取り小説〟というコピーがある。
「私自身も2年前の年末から年始にかけて、やっぱり実家の神戸に戻り認知症の父の最後を看取ることがありまして、本作品はその体験が下敷きになっています」
父は切れ切れの意識からふと正常に戻る瞬間がある。教師だった父はテレビが報じる学校のニュースに触れて、突然、〝スーツ出せ、学校いかなあかん!〟と叫び出す。
「発言は一見でたらめのようでも部分としては合っている。そんな時父に何が起きているのか? 父の頭の中を描きたいと思いました」
そうするにあたっては3つのことがヒントになった。一つは谷川俊太郎さんの、誰にもせかされずに私は死にたい、という詩。
「脳が考えることをやめたあとも、考える以上のことがまだ私のどこかにとどまっているという一節があり、父と同じだと感じました」
一つが当時夢中になって観ていた韓国ドラマの『まぶしくて―私たちの輝く時間―』の存在。主人公が認知症であることを伏せて展開する筋立てで、認知症に対する理解を深めてくれた。そしてもう一つが小林一茶の俳句だ。
「父も俳句が好きで、一茶の俳句には意外に老いや死に関するものが多くあり、これに父の思いを乗せられるのでは、と思いました」
その言葉どおり作品には随所に一茶の俳句がちりばめられている。
家族と一緒に積んできた、〝死(しに)げいこ〟の時間。
谷川さんが認知症の老人を介護するのは、実は2度目のことだ。
「義理の父を看取っていたので、その大変さはわかっていました」
2度目は慣れもあったし、ある程度心の余裕も持つことができた。その眼差しが作品にリアルな描写を生んだ。作中に登場する母と姉の葛藤、オムツを嫌がる父親、父の妄言に優しく寄り添う看護師、そして家族……。スプーンから運ばれる液体のような食事すらも食べられなくなる父親は目に見えて衰えていく。年末から新年をまたぎ何とか正月七日までは持ち堪えたがそのあたりでついに血圧が下がりだし、下顎呼吸(かがくこきゅう)も始まって――。
「実父の死には、自分もこうして死ぬんだ、という現実がストンと落ちてくるのを感じました」
今生の別れに恭輔は頭の中で一茶の句を誦んじる。
〝いざさらば死げいこせん花の陰〟
「父は生き切ったと思いました。その瞬間ある種、平和な気持ちにさえなった。そう思えたのは父と家族と一緒に、一茶がいうところの〝死げいこ〟というものを長い時間積んできたからもしれません」
『クロワッサン』1131号より
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