『教祖の作りかた』著者、真梨幸子さんインタビュー。「予想できない書き方が、私には合っている」
撮影・幸喜ひかり 文・中條裕子
「予想できない書き方が、私には合っている」
書き出しは、誰かが見ている夢のようだ。
子どもが母親から「悪いことをしたら地獄に落ちてしまうからママの言うことを聞いて」と諭されている。地獄に落ちた人間は、釜ゆでにされ、皮を剥がれ、体をバラバラに刻まれる、と。
「『地獄』という繰り返しブームとなっている絵本があるんです。知人が持っていて『孫にあげる』と言っていて。そのイメージから冒頭の書き出しにつながりました。誰かが繰り返し地獄絵を見せられ洗脳され続けてきた、という場面に」
と、真梨幸子さん。
前々からカルト教団にまつわる話を書きたいと思っていた真梨さんが、とりあえずタイトルだけを提示して、この小説の連載が始まった。
「冒頭の語りは誰が見ている夢なのか、書き始めた当初は私の中でも不確かだったんです。最初のうちは、私もある人物がこんなに豹変する、こういう闇を持っていた人だとは知らずにいました。書いているうちに終盤になって『あれ、この人もしかして!?』という思いになり……。でもそれもいつものこと。デビューのきっかけとなった賞をいただいて20年になりますが、最後を決めない、ディテールを決めない、ずっと“リアルタイムでゲームをするプレーヤーのようにやっていく”という書き方です」
言葉のとおり、読み手も共に船に乗り込んで読み進めるうち、この世界にのめり込んでしまうのだ。
物語の主人公は、引きこもりの息子と夫と暮らす色葉という女性なのだが、章ごとに目線は別の人物へと次々変わっていく。が、そこに一貫して黒く大きく横たわっているのは、色葉の高校時代に近隣で起きたバラバラ事件。
「私は書く視点を変えていくほうなのですが、それは裁判の傍聴が趣味だったことに関係していて。裁判はいろんな人の視点から事件を見る必要があるじゃないですか。新聞を読んでいると犯人だけが圧倒的に悪く、一方的な書き方をする。でもひっくり返して悪と言われている側から見ると、もしかしたら善とされている人のほうが悪かったりする場合もある」
前の伏線が自然にどんどんつながっていく不思議さ。
さまざまな登場人物たちの視点から一つの事件を眺め、真相を見極めようと私たち読み手も没入するうちに、思わぬ場所へと連れて来られていることに気づく。
「連載中にテレビや動画から入ってくる情報を、私はすぐ取り入れてしまうんです。でも、さまざまなエピソードや情報を世の中から持ってきて自分の作品に落とし込むには、話をきちんと着地させなくてはいけない。そのときに、前の伏線が自然とどんどん繋がっていくのが自分でもびっくりでした」
それまで語られてきた多くの謎や情報が、まるで最初から決まっていたかのように、最終章ですとんと揺るぎない世界に落ちていく。その不思議さ。二度読み必至のおもしろさだが、寝る前に手に取ることはおすすめしない。あっという間に朝を迎えてしまうから。
『クロワッサン』1124号より
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