考察『光る君へ』21話 中宮(高畑充希)のいる世界の美しさを謳いあげた『枕草子』は清少納言(ファーストサマーウイカ)の「光る君へ」
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
中宮はもう……
中宮・定子(高畑充希)の落飾。隣にいた検非違使の刀を奪った時は乱心かと思ったが、髪をひと房切り落としたのちに、母・貴子(板谷由夏)に向き合い、
定子「出家いたします」
その表情は落ち着き、覚悟の上での行動だったことが伝わる。
「いきなり髪を下ろし、朕の政に異を唱えた中宮も(伊周と)同罪である」と怒りを見せる一条帝(塩野瑛久)も、実資(秋山竜次)と行成(渡辺大知)が御前を辞すると「中宮はもう、朕に会わぬ覚悟なのか」と悲嘆にくれる。
愛する后の突然の出家に、聡明な帝の心が大きく揺れている。
得をしたのは道長?
「この騒動で得をしたのは誰であろうか。右大臣様(道長/柄本佑)であろう。花山院(本郷奏多)との小競り合いを、ことさらおおごとにしたのは右大臣だ」
当時の貴族たちがみな考えたであろう、そして今も有力な「長徳の変の首謀者は藤原道長」説をまひろ(吉高由里子)に提示してくれる宣孝(佐々木蔵之介)。
まひろには、その発想はなかった。18話(記事はこちら)、ききょうから道長の内裏での評判を聞いたときの「あのひと、人気ないんだ……」と同じく、彼女だけが知る道長と世間から見た道長像には、当然だが乖離がある。
母への失望
大宰府には絶対に行きたくない伊周(三浦翔平)。実際、花山院に矢を放ったのは自分ではないし呪詛も身に覚えがないとなれば、そりゃ納得いかないし泣きたくもなるだろう。しかし身に覚えはなくとも、配流はすなわち政治的敗北である。酷ではあるが、受け入れず足掻くのは、政治家として貴族として見苦しい。
第3話(記事はこちら)で貴子は、庭で転んで泣く幼い定子(木村日鞠)に
「自分でお起きなさい」
「何にも動じず、強い心を養わねば帝の后になれません」
と言っていた。いま、泣きわめき立ち上がれない22歳の内大臣・伊周には歩み寄り、
「もうよい。母も共に参るゆえ。大宰府に出立いたそう」
と、助け起こしている。
この場面での、定子の母への失望の表情。貴子も他の誰も、定子に「もうよい」とは言ってくれない。出家しても救われない自分。
しかし貴子も、突然出家した娘に見捨てられたと思ったのかもしれず……家族がバラバラになり、孤独感が定子の心を圧し潰してゆく。
高階貴子の教養
伊周護送の場面では『栄花物語』などにある、貴子は同行を願ったが許されなかったという逸話がドラマチックに描かれた。
母君の同行はまかりならぬ。車からお出しせよ、伊周は騎馬にて下向されるべしと厳しく告げる実資だが、泣き叫ぶ母と息子の姿に涙を堪えているように見える。こうしたよい芝居は、これまで文字を読むだけで想像していた、伊周配流に立ち会った人々の心情を現代に蘇らせる。
太宰府に送られた藤原伊周は道中で体調を崩し、明石に留め置かれた。そのとき高階貴子が詠んだ歌が『詞花和歌集』にある。
夜の鶴みやこの内にこめられて子をこひつつもなき明かすかな
(夜の鶴が籠に閉じ込められたように、私は都から出ることを許されず、子を慕いながら泣き明かしています)
これは白楽天(白居易)の詩『五弦弾』の
「夜鶴憶子籠中鳴(やかく、子をおもひて、籠のうちに鳴く)」
この一節の本歌取りである。清少納言や紫式部と同じく学者の父を持ち、漢詩に造詣が深い高階貴子ならではだ。
中関白家は道隆(井浦新)の死後、雪崩のような勢いで没落した。しかし全てが奪われても、培った教養は誰にも侵されない。和歌は母としての嘆きだけでなく、彼女の人間としての誇りを今に伝える。
「私はもうよい。もうよいのだ」
二条邸炎上は史実の通りである。出火原因はわからないが、伊周についてゆくという母の言葉を聞いたときに滲んだ微かな絶望の表情と、燃え盛る屋敷内で静かに座っている姿を見ると、定子が覚悟の上で火を放ったかのようだ。
家のため、一族の栄華のため。父兄から浴びた呪いのような「皇子を産め」の行き着いた先は、周囲に望まれた帝の子がその身に宿っても「私はもうよい。もうよいのだ」という、希死念慮だった。
自分の命よりも大切な人から、こんな絶望の言葉を聞いたら、いったい何ができるだろう。
清少納言(ファーストサマーウイカ)にしかできないことがあると、視聴者にはわかる。
倫子の豪速球
一条帝の次の后探しが始まった場面、政敵を上手く片づけ、この世に怖いものなしの詮子(吉田羊)の勢いが止まらない。が、倫子(黒木華)が、
「あの呪詛は不思議なことでございましたね」
「殿と女院さまの御父上は仮病がお得意だったとか」
ストレート剛速球を投げてきた。咄嗟に受け止めきれない詮子と道長。
倫子がなんの脈絡もなく言ったわけではない。道長と詮子が一条帝の后候補にと話している「右大臣・顕光(宮川一朗太)の姫、元子は村上天皇の御孫」。元子は藤原であるが、母が村上天皇の内親王だ。
帝のお血筋の姫君を「ソレにしなさい!」「帝の子を産むのにうってつけだわ」は、雑な扱いすぎる。
倫子の父・源雅信(益岡徹)は宇多天皇の孫、倫子は帝の曾孫にあたる。帝の血を引く源氏一門の倫子としては「藤原出身の女院さま。いいかげんになさいませね?」と怒りの釘刺しをしておきたくもなるだろう。
20話(記事はこちら)の呪符発見のときの「ここは私の屋敷でございますゆえ」と併せて、企みはすべて見抜いておりますよ。あなた様がお住まいなのは私の屋敷だということ、お忘れなきよう……という意味もこめ、ぐっさりと見事な刺しっぷりであった。
詮子も道長も、おおらかなところがよく似た姉弟であるが、倫子の地雷を踏まないように、もう少し注意してほしい。観ているこちらの心臓に悪いので。
紫式部と清少納言が協力
中宮様になにかしてさしあげたいというききょうが、まひろに相談をする。
ここでききょうが言う「伊周が帝と中宮に高価な紙を献上した、帝はこれに『史記』をお書きになる。中宮から、私は何を書こうかしらと清少納言に御下問があり……その紙を中宮から清少納言に賜った」というエピソードは『枕草子』の跋文(ばつぶん/あとがき)にある。
中宮の御下問に、清少納言は「枕にこそは侍らめ」と申し上げた。この「枕にこそは……」の意味については、様々な説がある。このドラマでは「枕詞を書かれたらいかがでしょうと申し上げました」説を取った。
まひろ「『史記(しき)』がしきもの(敷物)だから、枕ですか?」
「司馬遷の『史記(しき)』だから、ききょうさまは春夏秋冬の『四季(しき)』をお書きになれば」
ききょうから聞いた話の流れを一瞬で理解し、アイデアを出す。まひろとききょうが同じくらい教養高くないと成り立たない。同時に、まひろも宮中に上がれば、ききょうと同じく機知に富んだ会話ができるのだという場面でもある。
紫式部と清少納言がなんでも話せる間柄で、『枕草子』誕生のきっかけが紫式部との会話であるという、フィクションの設定が嬉しい。
ふたりは1000年、ライバル関係として面白おかしく目されてきた。それが手を取り合い、政治の道具として扱われ傷ついた女性、定子のために協力して作品を生み出そうとしている。このように描いてくれた脚本に胸が熱くなる。
ただそうなると、レビュー14回(記事はこちら)でも触れたが『紫式部日記』のいわゆる「三才女批評」……清少納言の評価についても、今後ドラマではどうなるのか気になるところだ。
この世界は美しい
まひろの言葉を受けて清少納言は、中宮様のおんために全身全霊をこめて、四季の美しさを謳いあげた。
清少納言が筆をとり、書きつける。御簾越しに定子の枕元にそっと置く。白い紙に流れるような文字……読み上げる台詞も、ナレーションもない。でも、私達にはすぐわかるのだ。書かれているのは「春はあけぼの……」だと。
優しく穏やかに、閉ざされた心をほどいてゆくような音楽。
届けられるのは一枚ずつだ。次を読む楽しみ──訪れる未来が待ち遠しくなるから。今日を生きる力さえ失った人間にとって、それはどれほど大きな支えとなることか。
どこにいようと、時は移ろい季節はめぐり来る。絶望の底にその身を横たえていても目を開ければ、澄んだ空気の向こうには染まる雲がたなびき、蛍が舞っているのが見える。耳を澄ませば虫が歌い、秋風の音が涼やかに響く。
自然が織りなす趣深さを思い出せば、冬の早朝に立ち働く人々にも意識が向くだろう。
あなたさまがいてくださる、この世界は美しい。そして私がここにおります。
世の中に溢れる美しいもの、楽しいこと。中宮様がお元気になられたら、思い出話もいたしましょう。綴ってご覧にいれます……。
高畑充希とファーストサマーウイカの演技がとても繊細だった。
書いている間の清少納言は微笑みを浮かべて、中宮様に語りかけるように。清少納言の気配を背中に感じた定子の、眠りに落ちる子どものような安らかな表情。
中宮・定子が自分の書いたものを読んでいる姿を御簾越しに目にした清少納言が、立ったまま声を押し殺して泣く姿。こちらも共に泣いた。
『枕草子』がない世界を想像してみる。定子は、皇后が既にいるのに帝の后として「中宮」の称号を手に入れた女。他の女御の入内を許さなかった中宮。父の死後はあっという間に凋落した……関白・道隆の専横の、そして中関白家没落の象徴として語られただろう。
誰もが知る「春はあけぼの」。
『枕草子』の中で、定子は指先まで美しい、聡明で教養深くユーモアを解する魅力的な中宮として、1000年後も生きている。
光り輝く女性、中宮様へ捧げる……枕草子は、清少納言の『光る君へ』だ。
大河ドラマ史に、またひとつ屈指の名場面が加わった。
異国からの脅威
為時(岸谷五朗)が道長から重要任務を告げられた。
若狭に流れ着いた70人の宋人は、越前に新たな貿易港を作るよう求めてきた。しかし、現在朝廷は大陸との交易は九州・博多に限定している。越前は京都と近く、貿易港として開いたのち戦を仕掛けられたら、首都まで一気に攻め込まれる危険性がある。
「彼らは商人などと偽り、まことは官人。いや、いくさびとであるやもしれぬ」
為時の役目は、彼らを説得し国に帰すこと。出世を喜んでいたが、しくじったら国の危機を招きかねない大役ではないか。
20話でも外国の人間の扱いを間違えたら国際問題になる、争いになるかもという台詞があった。今回の70人の宋人の狙いはまだわからないが、異国からの脅威かもしれない。道長の危惧は、彼が世を治めている間に現実のものとなるのだ。
いととのお別れ
いと「(まひろ様に)叱られるとき、宣孝様はいつも楽しそうに見えますが」
第2話(記事はこちら)の頃から、宣孝はまひろと話す時にちょっと持ち上げたり叱られるのを楽しんだり、オジサンが若い女をあやすような、いかにもな手管が気になっていた。佐々木蔵之介にしか許されんぞ、周囲から見ると割と顰蹙モノだぞ、いと(信川清順)はよく指摘したぞと言っておこう。
そのいとは、文章生に合格した惟規(のぶのり/高杉真宙)のために都に残るという。しばらくのお別れらしいが、元気でいてほしい。
まひろと道長、別れのひととき
前回の予告を見て、えっここからまだ、まひろと道長が抱き合う展開があるんですか? と思っていたら、越前に旅立つ前の別れのひとときだった。
10年ぶりでも、お互いを深く理解している。嘘をつけばすぐわかるし、恋文で見覚えた字はけして忘れない。
気が向いたら会える現代とは違う。スマホも、写真もない。これが永遠の別れとなるかもしれない。交わした文を取っておく以外に相手を胸の中に留めるには、抱き合い、その温もりを体と心に刻みつけるのみだ。
抱きしめた腕の中で「後悔しながら生きてきた」と言われたら、放したくなくなってしまう。
でもまひろは「越前で生まれ変わりたい」と笑顔で告げ、別れの口づけをするんだね?
そうすることで、この国の最高権力者の心に、深く爪痕を残してゆくんだね?
えっ。すごくない?
松下洸平! 種﨑敦美!
琵琶湖をゆくまひろの船に、乙丸(矢部太郎)が乗ってる! と安心した。
松原客館で、初めての宋人との出会い。為時の語学力が早速試される……そして通じた!
第9話(記事はこちら)で、為時は花山帝のために漢詩を宋語で読み上げていた。除目に漏れても、貧しくとも、研鑽を怠らなかったらしい。たいへんな努力家である。
そして、その様子を柱に寄りかかりながら眺めるという、少女漫画イケメンキャラ仕草を自然にこなして登場した男……宋人・松下洸平!
ニイハオ、超人気声優(種﨑敦美)の声を持つオウムちゃん!
次週予告。オウムと実資の出会い。まひろと宋人・松下洸平の海辺デート&語学レッスン。まひろさん、本当に越前で生まれ変わっちゃったんですね? 定子の出産と一条帝が「中宮を内裏に呼び戻す」! 公任(町田啓太)の「俺って優しいから」ってなんの話? 為時、絶叫鍼灸体験。
第22話も楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。