「戦時中、箱根駅伝は中止を余儀なくされます。でも諦めたわけじゃない。その時期に開催された“幻の箱根駅伝”といわれる第22回大会があり、その前に100回にカウントさえされていない“青梅駅伝”があるんです。毎年感動をお茶の間に届けてくれる箱根駅伝の陰にいる人たちのことを、この節目の時期に書きたいと思いました」
軍事物資運搬のために国道が使えず、コースを変えて開かれた“青梅駅伝”。戦勝祈願という名目で、靖国神社をスタートすることで開催にこぎ着けた第22回大会。学生たちは出征前になんとしてでも駅伝を走りたいと画策し、奔走する。
「戦時下、駅伝は贅沢なものとされましたが、スポーツって危うい存在だなと。いいときは健やかなものとして称えられ、持ち上げられるけど、有事のときは真っ先に悪者扱いされる。コロナ禍のスポーツもそう。嫌な同調圧力みたいなものが今に通ずると思いました」