『をんごく』著者、北沢 陶さんインタビュー。「活気ある大正の大阪ありきの物語なんです」
撮影・吉村規子 文・中條裕子
「活気ある大正の大阪ありきの物語なんです」
冒頭、主人公の壮一郎は関東大震災に巻き込まれ結婚1年余りで失った妻の霊を降ろしてもらうため、大阪は四天王寺の近くに住む巫女を訪れる。
亡くなった者と会話できると聞いていたのに、降りてきたはずの妻はなぜか、童歌を途切れ途切れに歌うばかり。巫女からは「奥さんの霊は降ろしにくい。気をつけなはれな」と忠告されるのだった……。
そこで語られる柔らかな大阪言葉や、巫女の口寄せ、古い童歌といった昔ながらの風習が息づく大正という時代。冒頭から読み手は、一気に物語の世界へ引き込まれてしまう。時代と街の空気に包まれながら。
「大正時代の大阪が活気あるおもしろい街だったんだというのをとある資料で知り、ストーリーやキャラクターより先にこの時代で小説を一本書いてみたくなって」と、北沢陶さん。
横溝正史ミステリ&ホラー大賞を受賞したこのデビュー作は大正時代の大阪ありき、で始まったのだという。だからこそ、隅々まで当時の空気に満ちた世界が築き上げられ、この世のものでないものがふらりふらりと現れ出ても、不思議なリアリティをまとった物語となった。が、実は執筆は一筋縄ではいかず、中断した時期もあったという。
タイトルを借りた絵画に、やっとお礼を言うことができた。
「プロットは最後まで決まっていたけど、謎解きに入るちょっと難しいところでフェードアウトしてしまい。でも、これは絶対におもしろくなるから完成させてくれ、と3年4カ月、家族にせがまれて。そんなに言うんやったら、と重い腰を上げて後半を書いたんです」
そう語るように、後半では物語の途中途中にちりばめるように現れた謎が、少しずつ露わになっていく。と同時に、船場(せんば)の商家に生まれ育った壮一郎に近所の医者の娘であった妻の倭子、口寄せの巫女や人ならぬものーーそれぞれが血肉をまとい存在感を増していくのだ。
そこには凄まじい描写も挟まれているが、底にあるのはじんわり染み込んでくる怖さ。生きている人間の、この世のものでないものの、さまざまな思いが絡みあい、人間とは哀しい生き物なんだなという余韻が残る。
そんな物語を象徴するタイトルの「をんごく」は、元は船場の子どもたちが盂蘭盆(うらぼん)に行っていた風習で、その様子が描かれた絵画があるのだという。
「木谷千種の大正期の作品なのですが、大阪中之島美術館の展覧会で、先日ようやくお礼を言うことができました。タイトル借りました!と。本来は夕方に子どもたちがぞろぞろ歩いていくのを年上のお姉さんらが紅提灯で足元を照らし、大人たちがその行列を眺めるという、風情ある行事だったようで。それを恐ろしいものに変えてしまった……申し訳ない気持ちです」
と、北沢さんは言うが、和やかな日常の光景がくるりと返るところに、根源的な怖さはあるのかもしれない。心から恐ろしく、そして愛しい。そんな不思議な感覚に満ちた物語となっているのだ。
『クロワッサン』1112号より