清水ミチコさん「運気がいい人になりきっているうちに、自分の運もだんだんよくなってきたような……」
撮影・青木和義 構成&文・中條裕子
自分を通すより他人の意見を聞いて決断するのがいいと知った。
清水ミチコさんがまず振り返る転機となった“あのとき”は、20歳で初めて一人暮らしをする際に不動産屋さんとアパートを見に行ったときのこと。
「不動産屋さんが内見するアパートまでわざわざ車で連れて行ってくれたことにすごく恩義を感じたんです。車の中で『こんなに親切な人が勧めるのだからここに決めよう』と思いました。
最初見たのは暗い部屋だったけど、ちょうど日当たりのいい2階の角部屋が空くからと、勧められて。そこに住むようになってから『自らの意見を通すよりも、他人の意見をたくさん聞いて決めたほうが自分はうまくいくんじゃないか』と考えるように。それが以降の方向性に大きく影響しました」
清水さんはアパート暮らしをしながら、短大を卒業したら実家の喫茶店を継ぐつもりで、洋菓子店やデリカテッセンでアルバイトをしていた。そこでの出会いもまた大きな転機に。
「バイト先の店主がお笑いや映画などのカルチャーがすごく好きで、私がラジオやお笑い雑誌に投稿するのが趣味という話をしたらすごく喜んでくれて。親戚の制作会社の人を紹介してもらい、新しく始まるラジオ番組のアシスタントと放送作家をすることになったんです。あのとき店主さんが背中を押してくれたからこそ、今こういう道に行けてるな、と思うんです」
ここでもまた、人との出会い、そして他人の意見を聞く、そういうことが大切だと実感したのだった。
「最初に見た薄暗い日当たりの悪い部屋に決めていたら、運気も悪かった気がします。でも、あとで聞いたら不動産屋さんが部屋に連れて行って鍵を開けて紹介するのは当たり前だって。そんなに恩義を感じることはなかった」
と、笑う。素直な気持ちでいた20歳の清水さんだったからこそ、受け取ることができた幸運だったに違いない。
強運な人をマネしているうち私自身の運気も上向きに。
ラジオ出演がきっかけとなり、その後はそこで披露していたモノマネなどで注目されていく。その過程で感じたことも大きかった。
「ラジオのときからやっていたモノマネももともと運気がいい人が多いんです。その人になりきっているうちに、自分の中で催眠術みたいに『私、あの人みたいな感じなんだ』というのが備わってくるのか、自分の運もだんだんよくなってきたような……」
これは私たちも心がけることができる、という。たとえば、何かで悩んでいて自分では答えがわからなくなっても、誰かになりきって「誰々さんならどうするだろう」と思うことで視野を広げて考えることができるのだ、と。
周囲の人から教えてもらうことも多いと話す清水さん。仕事の上で背中を押してくれた一人がコピーライターの糸井重里さんだ。
「私が武道館ライブを始めたきっかけは、最初はある人のピンチヒッターだったんです。ミュージシャンやお笑いの音楽好きとか呼んでフェスみたいにして。これならおもしろいものになる!と自慢げに糸井さんに話したら、『でもな、俺はお客っていうのは一人の人を見たいと思うんだよ』と言われてしまった。それで2回目からは単独でやるようにして、もう10回目になります」
新しいことは億劫だけど、とりあえず来た仕事は受けてみる、断らないで積極的に好奇心を向けてみる、というのが自分の運気を上げるんじゃないか、と今では思っている。
◆清水さんの振り返る“あのとき”。
5年ほどアルバイトをしたのが、東京・田園調布にある『パテ屋』。店主・林のり子さんも清水さんの背中を押してくれた一人。
上は黒柳徹子さん、下はユーミンのモノマネ。「平野レミさん、矢野顕子さん、森山良子さん、私がマネをする人は明るさがあって自分の道を研鑽していくところが共通していますね」
「以前、友人から寺社に行ったら先にお礼の言葉を言うといい、と教えられたんです。今回の全国ツアーのサブタイトルは『ひとり祝賀会』。先にお祝いしますよというタイトルにしたので、お正月の武道館ライブもうまくいくんじゃないかな」
『クロワッサン』1108号より
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