清水ミチコさんがまず振り返る転機となった“あのとき”は、20歳で初めて一人暮らしをする際に不動産屋さんとアパートを見に行ったときのこと。
「不動産屋さんが内見するアパートまでわざわざ車で連れて行ってくれたことにすごく恩義を感じたんです。車の中で『こんなに親切な人が勧めるのだからここに決めよう』と思いました。
最初見たのは暗い部屋だったけど、ちょうど日当たりのいい2階の角部屋が空くからと、勧められて。そこに住むようになってから『自らの意見を通すよりも、他人の意見をたくさん聞いて決めたほうが自分はうまくいくんじゃないか』と考えるように。それが以降の方向性に大きく影響しました」
清水さんはアパート暮らしをしながら、短大を卒業したら実家の喫茶店を継ぐつもりで、洋菓子店やデリカテッセンでアルバイトをしていた。そこでの出会いもまた大きな転機に。
「バイト先の店主がお笑いや映画などのカルチャーがすごく好きで、私がラジオやお笑い雑誌に投稿するのが趣味という話をしたらすごく喜んでくれて。親戚の制作会社の人を紹介してもらい、新しく始まるラジオ番組のアシスタントと放送作家をすることになったんです。あのとき店主さんが背中を押してくれたからこそ、今こういう道に行けてるな、と思うんです」
ここでもまた、人との出会い、そして他人の意見を聞く、そういうことが大切だと実感したのだった。
「最初に見た薄暗い日当たりの悪い部屋に決めていたら、運気も悪かった気がします。でも、あとで聞いたら不動産屋さんが部屋に連れて行って鍵を開けて紹介するのは当たり前だって。そんなに恩義を感じることはなかった」
と、笑う。素直な気持ちでいた20歳の清水さんだったからこそ、受け取ることができた幸運だったに違いない。