認知症になった母と祖母、先の見えない介護に光が見えた時【助け合って。介護のある日常】
撮影・村上未知 構成&文・殿井悠子
「空白の4年間を経て、
先の見えない介護に光が見えた時。」小川千尋さん
週末になると、小川家は埼玉にある公民館の一室を借りる。祖母の華樹(はなき)さんと母のひとみさん、弟の裕之さん、千尋さん、時には千尋さんの夫も加わり、その場所を大きなリビングのようにして、それぞれ好きなひとときを過ごすためだ。
「最近、母はここで絵を描きます。絵を教えることを生業にしている私ですが、母に絵を教えられるようになったのはついこの間のことです」と、筆を手に話す千尋さん。
ひとみさんが鬱になったのは約6年前。ひとみさん65歳、千尋さんは35歳だった。
同世代の友人は親の看病とは無縁で、千尋さんは裕之さんと相談しながら、病院を探し、治療を続けた。その数年後、ひとみさんの様子がおかしいので病院に行くと、前頭側頭型認知症に近いという診断。以降、ひとみさんはいろいろなことに我慢が利かなくなった。
「高額なものには手を出さないけれど100円均一で抱えきれないくらい物を買ってしまうとか、外でお酒を飲みすぎて道端で寝ちゃって、近所の人に声をかけてもらうとか。正しいことを教わってきた親に、正しい振る舞いをお願いしても通じない。それが、一番もどかしかったです」
まもなく、娘のひとみさんを追いかけるように、同居していた祖母の華樹さんも認知症に。姉弟で2人を介護する生活が始まった。
実家はひとみさんが買い込んだ荷物で溢れ返っていたので、デイサービスやショートステイを利用してゆっくり過ごせる居場所を確保。都内で暮らす千尋さんは、そばにいる裕之さんに事務的なことや力仕事を頼み、自分は食事や衣類の整理などを担当した。
「当時はコロナ禍で、いろいろなことが一気に起きて暗中模索。自身のことは何もできない空白の4年間でした。でも、親の介護を言い訳に何かをあきらめたくはなかったんです。
だから、本当は隠したい現実でしたがオープンにしよう、って弟と話して。近所の警察署に祖母と母の顔写真を渡し、特徴を伝えて『見守ってください』とお願いに行ったり、母の友人と連絡を取ってLINEグループで母の様子を報告し合ったりして、周りを頼るようにしました」
介護は終わりが見えないマラソンのようなもの、と千尋さん。それでも、周りに助けを求められるようになったその時に、一筋の光が見えた。(続く)
『クロワッサン』1104号より