『詩歌探偵フラヌール』著者、高原英理さんインタビュー。「詩歌を求めて街を巡る探検散歩小説です」
撮影・永禮 賢 文・鳥澤 光
「詩歌を求めて街を巡る探検散歩小説です」
幻想、怪奇、ホラー、ファインにキュート。小説にとどまらず、評論やアンソロジーの仕事でも、1作ごとに新たな扉の存在を示し、見たことのない世界へ招き入れてくれる高原英理さん。
最新小説『詩歌探偵フラヌール』では詩歌に柔らかな光を当て、フラヌール=遊歩の楽しさに読み手を誘う。
「メリとジュンという仲良し二人のおしゃべりを発展させていく、という一点を決めて書き始めました。女の子と男の子という設定にはなっていますが、口調には差をつけていません。ジェンダーニュートラルを意識したというより、いわゆる“女言葉”って実生活でもあまり見聞きしないように思えるので、むしろリアリズムでしょうか。書き分けないことで、二人の関係を公平なものにしたまま先へ進むことができました」
「こまけえことはいいんだよ」とはメリの、「ふうん。どんな」とはジュンの言葉。さらに二人の会話はカギカッコの垣根も超えて、地の文の語りにも混ざっていく。この手触りがまたふわりと心地よい。
最初に書かれたのは第2章にあたる「林檎料理」。『エイリア綺譚集』にも収められている短編だ。
「知人の同人誌へ寄稿するために書いた、大手拓次の詩にインスパイアされた短編です。次に雑誌の依頼で『きの旅』を書き、これが短歌を探しに行く話になったことで、二人が不思議な表現や面白い言い方をハンティングするという作品の方向性が決まりました」
萩原朔太郎、ランボー、石川美南、シュペルヴィエルに最果タヒ。二人が出合う詩歌の数々はどのようにして選ばれているのだろう。
「一番好きな詩人である萩原朔太郎の一番好きな詩で第1章を書き、そろそろランボー欲しいな、ディキンソンいってみようか、古典も入れようと順々に。昨年全集が刊行され、ついに広く読まれるようになったモダニスト詩人・左川ちかを最後に据えました。引用という形では長くなりすぎてしまうため泣く泣く諦めた詩もあります」
詩歌によって立ち現れる新しい小説の書かれ方。
主人公二人が探し歩く詩歌の性質は、高原さんの小説の書き方にも大きな影響を与えたという。
「詩というのは不意に出くわす、いわば夜中の散歩で出合う塀の上の猫のようなもの。そういった思いもよらなさに近づくべく、この小説もなるべく不意の出来事となるように心がけながら書きました。充分予期して構築していく通常のやり方とは変えて、行き当たりばったりの感覚を壊さぬように言葉を探し、連ねていきました」
そうして書かれた小説が、詩歌を、独自のオノマトペを、不思議の数々を読み手に不意に手渡す。
「オノマトペって感覚的に楽しむところがありますよね。詩の読み方にもそれに近いものがあって、意味そのものというより、意味的なものが物質のように置いてあるコントラストを面白がっている。なにしろ自分を驚かせてくれるものってよいものだと思います」
『クロワッサン』1090号より
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