「分からないことを発見するのが楽しい」。着物スタイリストとして第一線を走り続ける、大久保信子さんがいつも楽しげな理由。
人生の日々や経験を重ねて、さらに彩り豊かに進化する毎日とは。
撮影・青木和義 文・西端真矢
東京・日本橋の街を、大久保信子さんが歩いていく。
江戸の昔から布の商いの中心だったこの街の、木綿問屋の生まれ。放課後に歌舞伎座に寄って、一幕観て帰っていたという江戸っ子だ。着物スタイリストの草分けであり、今も第一線を走り続けている。
「毎日とても楽しいわよ」と微笑んだ。
「撮影の現場も、着付けや着こなしをお教えする講座も、それから着物のデザインも。週に一度、日本舞踊のお稽古に行って、1時間ほど踊るのが健康法かしらね。
食べ物の好き嫌いもないし、何でもおいしく、残さず頂いています。戦争が終わった時、私は小学生。あの頃は本当に食べるものがなくて、好き嫌いなんて言ってられない。しかも私、5人きょうだいの真ん中なの」
そんな大久保さんは、質問の名手でもある。今日立ち寄った楊枝店でも「この楊枝はどんな時に使うの? こう使ったらおかしい?」と店員さんを質問攻めにする。年長者がそんなことも知らないのかと思われたら……なんてことは、
「全然気にしない! 知らないことはそのままにしておいちゃいけないもの。
昔ね、歌舞伎の衣装ってあんなに重いのに、どうやって着付けているんだろう? 何か特別な道具を使っているのかしらとふと疑問に思ったの。
どうしても知りたくてあちこちつてをたどって、とうとう歌舞伎座の衣装の方に、『新モス』という木綿の紐だけで着付けていると教えていただいて。
そうすると自分の生徒さんにも、新モスが一番よって自信を持って言えるでしょう。こうやって、分からないことを発見するのって楽しいじゃない」
そして私たちのほうをじっと見た。
「今日だってね、実は、皆さんがどんな色の洋服を着てるのかなって、見ていたんです。なるほど、こういうグリーンが今の気分なんだなって、それを着物のデザインに活かすわけ」
人だってそうよね、と続けた。
「どんな人にも必ずいいところはあるから、そこを見つけるようにすれば、ああ、この人が嫌だ嫌だ、なんてつらくなったりしないでしょう」
もしかしたら大久保さんは、どんな若者よりも柔軟なのかもしれない。けれど一つだけ、きりりと譲らないことがあった。日本橋らしさについて話していた時のことだ。
「日本橋ではね、着物、帯、小物、全部ひっくるめて3色以内にまとめるわね。同系統は1色と数えていいのよ。全体で3色。ほかの街の方にはまた別の感覚があるけど、私はそういう着物が好き」
受け容れるものと、確固たるもの。それぞれがくっきりと釣り合って。大久保さんは今日もこの街を歩いていく。
『クロワッサン』1085号より
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