『小説 伊勢物語 業平』著者、髙樹のぶ子さんインタビュー。「業平はまことを尽くしたから、愛されたのです」
撮影・黒川ひろみ(本) 天日恵美子(著者)
「業平はまことを尽くしたから、愛されたのです」
〈月やあらぬ春や昔の春あらぬわが身一つはもとの身にして〉
稀代の歌詠み、在原業平(ありわらのなりひら)。平安初期に成立した『伊勢物語』は、業平のその才覚と見め麗しさ、色好みのエピソードを伝える歌物語である。髙樹のぶ子さんの新刊は、それを小説に仕立てた業平の一代記だ。なぜ、伊勢物語と向き合うことに?
「私の作家としてのキャリアを3つに分けたとき、今その第3期がスタートしたばかり。芥川賞をいただいて14、15年、選考委員を18年。先般それを卒業して、あと作家人生3分の1はあるなと。前々から、70歳になったら古典と格闘したいと思っていましたし。伊勢物語は平安の入口の大きな存在。これを克服しないと先に進めませんから」
原本の全一二五段はパラパラと断片的。それを「換骨奪胎(かんこつだったい)、糸を通すようにして」綴り上げた。
「執筆には源氏物語が参考になりました。源氏は伊勢の100年後に書かれたものですが、伊勢を参考にしたと思われる箇所が多い」
業平と従者の憲明(のりあきら)の関係性は光源氏と惟光のそれと近く、伊勢の冒頭には業平が生垣の隙間から幼い姉妹を見染める場面があり、光源氏が紫の上と出会う有名な場面を想起させる。また業平の東下りは源氏の須磨の段の基だと取れる。
「だったら、ねえ?」と目元にきらりといたずらな光を湛えた。
「源氏が伊勢を参考に書かれたのが間違いないのであれば、1100年のちの女流作家が、業平の人生を作るのに源氏を利用させてもらって何が悪いの?って(笑)」
もののあはれは、権力と離れてこそ分かるもの。
息をするように歌を詠む業平。
〈不思議なものです。言葉が出て参りますと、その言葉により、業平の全身が塗り変えられて参るのです。(中略)歌が薬になり自らをいやしてくれる〉
歌を交わす女性たちの個性も楽しい。体躯の大きい正妻・和琴の方、伊勢神宮の聖職の立場で大胆にも業平の寝所を訪れる括子(やすこ)、そして入内が決まっていながら業平と恋の逃避行に赴く高子(たかいこ)。高子は恋の破綻ののちに国母となり、パトロンとして業平を引き立てる。この高子の女性としての成長が、物語に普遍性と明るさをもたらす。
なぜ業平はこんなにも女性たちの心を捉えたのでしょう?
「女性に対して、言葉を尽くして、まことを尽くした人だから。人間力があり、女が何を喜ぶかという、情のかたちを相手に添わせることができた。権力を盾に女を得るのが当たり前な時代にもかかわらず」
〈私は朝廷の主たる流れとは遠く離れた、歌の世に生きるもの〉
「貴き筋の生まれでありながら権力から離れている人間の、感性の豊かさ。それはのちの、西行や鴨長明や芭蕉、隠遁者と呼ばれる人のもののあはれを感じる力、その系譜につながっていくのです」
〈ちはやぶる神代も聞かず竜田川唐紅(からくれなゐ)に水くくるとは〉
竜田川のせせらぎもかくやと思われる、たゆまなく緩急の効いた雅な文体が心地よい。ぜひ楽しんで。
『クロワッサン』1023号より