「当時は痴漢専門誌まで発売されていました。痴漢を取り上げることはイケていて、最先端だったんです。メディアは痴漢を性暴力ではなく、性行為のバリエーションであったり、ポルノ的な一つの“文化”として捉えていました」
2000年代に入ると性暴力を直接娯楽として消費するような表現こそ減るものの、痴漢冤罪被害をテーマにした映画が公開され、社会問題として注目されるように。
「そもそも冤罪という言葉を広く使いすぎていると思います。本来は司法において無罪なのにもかかわらず、有罪判決が下されてしまうことを指しますが、事件発生時から、この語が持ち出されるようになってしまいました」
その結果、痴漢加害者が冤罪被害者であると言い張り、痴漢被害者が冤罪加害者にされるおそれも生まれてしまった。女性誌では痴漢被害を主張しても冤罪だと反論される可能性を念頭に置くようアドバイスする記事もあった。
〈読者にとっては、痴漢だと声をあげることのハードルがあがったように感じただろう〉
また、本書では強姦と強制わいせつ事件の犯人が「挑発的な服装をしているから」という理由でターゲットを定めることは、全体のわずか5%であることなどが示される。性被害を無くすために女性は肌の露出を控えろと指導されることがあるが、そのような性暴力の原因を被害者に帰する対策では解決には至らないと牧野さんは説く。