酒井順子さんと考えた。いつか必ず「家族」は終わる。大切なのは縁をつなげる気持ち。
撮影・岩本慶三 文・河野友紀
「結婚・出産から解き放たれる50代以降、 新たな自由な人生が待っている。」
「50代は、本格的に“喪失”が始まる時期ですよね。身体的な部分でもそうですし、私のように親やきょうだい、もしかしたら配偶者を亡くし、一人に戻る人もいるかもしれない。人生の選択肢も、狭まります。でも逆に、だからこそ自由になれる時期とも言えると思うんです。若いと、可能性がたくさんある分、普通に結婚して子どもを産んだほうがいいのでは、といったプレッシャーもありましたが、選択肢が少なくなると、選ぶのも楽になってきます。親からの期待も、減ってくることでしょう。子どもが50代を迎えると、結婚うんぬんよりは、自分たちの介護要員としての期待のほうが高まるわけで、親子関係も違う局面に入ってきます。結婚や出産の呪縛からやっと解き放たれるところが、人生後半のよいところだと感じています。家族から解放されるという意味では、結婚して子どもがいる人にとっても同じかもしれませんね」
家族を失い一人になると、寂しい晩年……という言葉が浮かんでしまうが、酒井さんは「新たな人間関係はこれからも作れる」と、語る。
「結婚や子育てで一度は離れてしまった女友だちも、子育てが終われば、またリユニオン的に交流が復活します。私も、学生時代の同級生たちと30代の頃は疎遠でしたが、今は頻繁に会っています。また、私もそうですが、中年以降は、法律婚はしていなくともパートナーと暮らしている人もけっこう多い。週末だけ同居しているなど、いろいろなパターンのカップルがいます。先日は温泉で80代くらいのご夫婦に見える二人組がいたのですが、会話を小耳に挟んだら、ご夫婦ではなかったんです。お相手に先立たれたりしたら、そんな“旅友”を持つのもいいですよね」
一人でも、誰かとでも暮らせる。50代以降はその柔軟さが欲しい。
一人を楽しむ力ももちろん必要。でも酒井さんは、どちらかと言えば、
“誰かと一緒にいたほうがいい”主義。
「心身ともに弱ってくる人生後半だからこそ、一緒にいられる人は大事。でも何があるのかわからないのが人生後半でもあります。一人でも暮らせるし、誰かとも暮らせるという、どちらにも対応できる柔軟性を持っていたいと思います。生活スタイルが合うならば女友だちと一緒に住むのもよいでしょうし、あるいは異性の友人との同居もありうる。先ほど言ったように、50代になるとやれ結婚だ、出産だということは周囲から言われなくなるし自分でも考えないようになりますから、性愛を介した異性と一緒に住まなくてはいけないわけではありません。新しい家族の形は、中年期以降のほうが作りやすいのかもしれませんね」
『クロワッサン』1003号より
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