女優、日本舞踊『紫派藤間流』家元・藤間爽子さんの着物の時間──「祖母の教えを大切に、私らしく着物を楽しんでいます」
撮影・青木和義 ヘア&メイク・Eita 着付け・奥泉智恵 文・西端真矢 撮影協力・庭のホテル 東京
祖母が誂え、母、そして、私。3代で愛してきた着物です
「この着物は祖母から伝わったものなんです」
藤間爽子さんはそう微笑んだ。女優、そして、日本舞踊家元、藤間紫。二つの顔を持つ。祖母とは戦後を代表する日本舞踊家の一人であり、『紫派藤間流』を創流した初代藤間紫さんのことだ。
「私がまだ小学生の頃、この着物を着て講演会へ出かけていった祖母の姿を覚えています。古典柄を着ることが多かった祖母ですが、こちらの着物はとてもモダンですよね」
紫がかった焦げ茶色地に浮かび上がる芥子の花。葉と茎はコバルトブルーで染めている。
「母がこの着物が大好きで、祖母亡き後に譲り受けて大切に着てきました。今日、私も初めて袖を通して、3代にわたって着ていることになります」
そもそも日本舞踊家元の家とは、どれほどの着物を所蔵するものなのだろうか。
「それはもう膨大で、というのも、お弟子さんなどゆかりの方からお譲りいただくことも多く、さらに母の実家が大の着物好きで、折々季節の柄の着物などを染めてくれて。家には着物の保管のための部屋があり、母が管理していますが、それでもどこにしまったのか分からなくなって、よく悲鳴を上げています」
まさに着物のただ中の暮らしを、「私にとって着物は、何よりも踊りの時に着るもの。一種の仕事着なんですね」と定義する。
「舞台の衣裳はもちろん、稽古やさまざまな会合にも着物で臨みますから。振り返ると、まず、浴衣姿の幼い自分が思い浮かびます。6歳で稽古を始め、体が小さい間は、冬でも浴衣で稽古をしていました。やがて着物で稽古をするようになると、祖母に言われたのが、年齢にふさわしい着物を着なさいということでした。やはり若い時にしか着られない、華やかな色や模様がありますよね。その教えを忠実に守ってきましたが、昨年、30代に入って、そろそろ少し渋い色を着てもいい年齢かな、と、今日の着物はそんな思いもあって選んだものです」
こうして祖母の影響を強く受けながら、もちろん、藤間さん自身の好みも培ってきた。
「日本舞踊では“お揃い”といって、一門でお揃いの柄の着物を作ります。紫派藤間流では、祖母が、グレーがかった藤色、ピンク、緑の三色の地に『上がり藤に源氏香』模様の訪問着を定めていました。そのお揃いを、家元襲名の時に、新たに自分用に淡藤色、ベージュ、黒の三色で染めたんです。どうも私はパステル系の色に心惹かれるんですね」
一方、夏には、家元として数年に一度浴衣のお揃いを作るが、今年は思うことがあった。
「これまで代々発注してきた注染の工房が、経営が立ち行かず廃業してしまったんです。譲り受けた着物を大事に着ていくことはもちろん大切ですが、同時に、新しく誂えて作り手を支えなければいけない。そう実感させられた出来事でした」
そして目に浮かぶのは、やはり祖母の姿だ。
「祖母はとてもゆったりと着物を着ていたんです。それでいてきりりと品格があって。着物に着られてしまうのではなく、着ている。祖母のように着こなしていきたいですね」
『クロワッサン』1141号より
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