【白央篤司が聞く「自分でお茶を淹れて、飲む」vol.2】料理研究家・井原裕子「煮詰まったときは、パッと気分転換したほうがいい。紅茶の出番です」
取材/撮影/文・白央篤司 編集・アライユキコ
淹れるプロセスがいいの
以前、料理研究家の井原裕子さんと仕事をしたときのこと。長い撮影が終わった後、スタッフみんなに出してくれた紅茶の深く、やさしい味わいがしみ入った。大きなティーポットに茶葉を入れ、ひとつひとつ注ぐ所作の手慣れた感じも印象的。日常的にお茶を楽しんでいる人なのだと感じられてくる。今回の取材も早速、紅茶で迎えてくれた。
井原 これ、本当はコーヒー用のカップなんですけどね(笑)。ハンガリーを旅したときに買った「ヘレンド」というメーカーのものです。
磁器の白に紅茶の色がよく映えて、湯気からいい匂いが漂う。紅茶は好きだけれど基本的に飲むのは寒い時期、それも午後に限っているという。
井原 私、睡眠時間が長いんですよ。目覚めると胃腸がカラカラに乾いてる感じなので、まず白湯を飲みます。内臓を湿らせるためというか。そして早朝から午前中は仕事、それもメニュー考案や記事校正など、発想力や集中力が必要なことをする。午後が近づいて集中力が切れてくる頃が紅茶の出番。特にレシピを考えて煮詰まったときなんて、紅茶を淹れたくなりますね。
飲むこと自体も好きだが、淹れるプロセスがいいの、と言われる。
井原 お湯を沸かしてティーポットを温めて、香りも感じつつ、ゆっくりと紅茶を淹れていく。その間に、仕事から休憩へと頭が切り替えられていく感じがするんですね。いきなりは変われない。
ケトルを火にかけて、あたりの空気がだんだんと湿ってくる。ティーポットに湯を注ぎ、茶葉が開くのをじっくりと待つ。井原さんにとってのティーブレイクは、「淹れる準備から、淹れ終えるまで」も含まれている。
井原 自分で楽しんで淹れていると紅茶もおいしくなりますね。でも、同じようにやってるつもりなのに香りが立たない日もあるし、すごくおいしくなる日もある。お茶を淹れるって、むずかしいですね。
イギリスでのミルクティの衝撃
生活の上で紅茶が日常となったのは1996年以降のこと、ロンドンに暮らしの拠点を移した年だった。時に33歳。
井原 私、それまで自分で紅茶を淹れて飲む習慣がなかったんです。子どもの学校の集まりなどに呼ばれると、お湯とティーバッグとミルクがドンと置いてあって、めいめいが自由にミルクティを作って飲むんです。ちょっとした集まりだと、どこでもこのスタイル。彼ら、日常的にはミルクティが多いのね。だんだん私も紅茶に興味が湧いてきて。
イギリス人といえばアフタヌーンティよろしく、本格的に紅茶を楽しむ人が多いイメージだったのが、多くの人はティーバッグでカジュアルにミルクティを楽しんでいる。軽い衝撃だった、と井原さんは当時を思い出す。
井原 日本人も緑茶やほうじ茶を飲むけど、一般的にはペットボトルが主流で、急須を使って茶葉から淹れる人は少なくなっているのと同じように感じました。イギリスも共働きで忙しい人が多いから、時代的なこともあるんでしょうね。
井原 向こうの牛乳がまたおいしくて。上にクリームが溜まるぐらい乳脂肪分が濃いから、ミルクティによく合います。私は紅茶7、ミルク3の割合が好きなんだけど、みんな自分好みの割合があるから絶対人にやらせず自分で作るんですよ。
男女問わず、老いも若きもミルクティを自分で作る姿を想像して、なんだか微笑ましくなった。私もミルクティは好きだが、脂質を考えて低脂肪乳や無脂肪乳で作ってみたら、かなりさびしい味わいになったことを思い出す。「ミルクティのおいしさは濃いめで香りの深い紅茶と、良質で濃い牛乳で作ることですね」と井原さん。アッサム系の紅茶を合わせるのが好き、とも。
井原 ミルクティもいいけれど、ストレートティも好きです。紅茶はあれこれ試してみて、「フォートナム&メイソン」のが定番になりました。イギリスでは毎日行列ができるほどの人気。だから回転も早いし、茶葉の質もいい。店員さんもスペシャリストばかり、おすすめしてもらうのが楽しいんです。
ここじゃない別の世界に
昨年(2024年)は冬に訪ねて、2種の紅茶を買ってきた。
井原 「カウンテスグレイ」は以前からのお気に入り。柑橘のフレーバーが感じられて、わりとさっぱりいただけるのがいいですね。「これが好みなら」と店員さんが推してくれた「ヴィクトリアグレイ」というブレンドも買ってみたら、柑橘系にちょっと甘やかな香りがプラスされていて、これも好きな味でした。
取材で訪ねた日も、午前中はメニュー考案の時間に充てていた。とある料理雑誌の表紙を担当することになり、「さてどんな料理にするか……」と考えあぐねていたのだそう。
井原 なかなか「これ!」というのが思いつかなくて。年齢と共に集中できる時間も短くなりますねえ……(笑)。煮詰まったときは、パッと気分転換したほうがいい。紅茶の出番です。お茶を淹れて飲んでる時間は、ここじゃない別の世界に行けるような感じがする。その時間が、私には大事なんですね。
紅茶を飲み終える頃、酷使した頭のリセットもほどよく完了。仕事に気持ちよく戻っていける。井原さんにとっての紅茶は、オンとオフをきれいにつないでくれるものなのだった。
ミルクティに使われているという「ヨークシャーゴールド」のティーバッグをおみやげに頂戴する。早速淹れてみると濃い紅茶がすぐに煮出されて驚いた。温めた牛乳と合わせていただけば、茶葉の香りと牛乳のコクのやさしいミックスにホッとする。シナモンやクローブを加えて軽く煮出し、チャイ的に楽しむのにも合いそう。ちょっと研究してみたくなった。