MRI検査の大切さ、薬の効果について、木之下さんは最初の診療で丁寧に説明する。それでも薬を飲みたくないという人がいたらどうしますか? と問うと、「それもいいよ」と答えるという。
「当然、認知機能は早く低下します。でも生きるうえで、何に価値を置くかはその人の生き方だから。そこを尊重したい。認知機能が低下しても、その人らしさは変わらない。30年以上、認知症医療の現場にいて確かに言えることです」
認知症になってからも、本質的に自分自身であり続けたいと願う。それは木之下さんの願いでもある。
だから木之下さんは、病気の部分だけを取り出して、診療することをしない。一見雑談みたいな会話を通して、認知症になったその人が、生きづらく感じていることを見つけ、それを取り除く方法を一緒に考える。人としてのその人の声に耳を傾ける。
いま認知症が抱える問題は、認知症の人を、あるいは認知症になった自分を、「ラベル化」してしまう世間の目、私たち自身の視点にあるという。
「認知症になったとたんに、ちゃんと行動できないことが、認知症による異常行動、問題行動だと見なされる。でも認知症じゃなくても、普段から人間って、ちゃんとできないことなんていっぱいあるし、自分でもよくわからない行動をとる。そこは棚にあげている。人間そんなもんだと思えれば、そこに起きていることは、異常でも問題でもなくなるはずなんです」
認知症をラベル化しない人の心のありようにこそ、希望がある。
「認知症は、歳を取れば誰でもなる。症状の現れ方や時期が違うだけで、努力すればならないということではないんです」
それは死なない人間がいないのと同じこと。だから認知症は病気ではなく、人間の身体のメカニズムとして、そうなるようにできていると木之下さんは考えている。
「ならば人間の身体の仕組みは変えられないのだから、私たちのなかの認知症への偏見を変えていくことのほうが、人生はずっと生きやすくなる。認知症になることを、こわがらなくていい世の中になってほしい。そこに根ざした医療でありたいと思っています。僕ももうすぐ認知症の世代ですから」