認知症の人としてラベル化しない。誰もが認知症になっていい世の中に。
撮影・水野昭子 文・佐野由佳 イラストレーション・山下カヨコ
認知症の診察室から
木之下先生
のぞみメモリークリニック院長
「ほら、あれ、あれだよ」。言葉が出てこない頻度が増えた。
Bさん
妻 62歳
75歳の夫の認知症が心配。
[認知症のせいですか?編]
妻 夫の認知機能が、前に比べて随分と落ちてきてると思うんです。この前、トイレに行って、用は足さずに水だけ流して帰ってきちゃった。かなり進んでいますよね?
木之下 いまの状態だったら、そういうことはありうる。でも、そのこと自体では、誰も困ってないでしょ。
妻 ええまあ。用を足してないものだから、結局、何度もトイレに立つくらいで。
木之下 似たようなこと、やってるかもしれないですよ。
妻 どういう意味ですか?
木之下 よくあるでしょ? 冷蔵庫まで行って扉を開けたものの「あれ? 何取りに来たんだっけ」って行ったり来たりしちゃったり。
妻 ええ、わりとよく。
木之下 人はみんな、それくらい自分でも説明つかないような行動を取ってます。なのに、認知症となったとたんに、「ちゃんとできない」ことに対して敏感で厳しくなるんだよな。認知症だからだって。
妻 たしかに。何かあると、認知症のせいって思いがちかもしれません。
木之下 お互いさまで、それくらい許してあげて。
認知機能が低下しても、その人らしさは変わらない。 認知症への偏見がなくなれば、人生は生きやすくなる。
MRI検査の大切さ、薬の効果について、木之下さんは最初の診療で丁寧に説明する。それでも薬を飲みたくないという人がいたらどうしますか? と問うと、「それもいいよ」と答えるという。
「当然、認知機能は早く低下します。でも生きるうえで、何に価値を置くかはその人の生き方だから。そこを尊重したい。認知機能が低下しても、その人らしさは変わらない。30年以上、認知症医療の現場にいて確かに言えることです」
認知症になってからも、本質的に自分自身であり続けたいと願う。それは木之下さんの願いでもある。
だから木之下さんは、病気の部分だけを取り出して、診療することをしない。一見雑談みたいな会話を通して、認知症になったその人が、生きづらく感じていることを見つけ、それを取り除く方法を一緒に考える。人としてのその人の声に耳を傾ける。
いま認知症が抱える問題は、認知症の人を、あるいは認知症になった自分を、「ラベル化」してしまう世間の目、私たち自身の視点にあるという。
「認知症になったとたんに、ちゃんと行動できないことが、認知症による異常行動、問題行動だと見なされる。でも認知症じゃなくても、普段から人間って、ちゃんとできないことなんていっぱいあるし、自分でもよくわからない行動をとる。そこは棚にあげている。人間そんなもんだと思えれば、そこに起きていることは、異常でも問題でもなくなるはずなんです」
認知症をラベル化しない人の心のありようにこそ、希望がある。
「認知症は、歳を取れば誰でもなる。症状の現れ方や時期が違うだけで、努力すればならないということではないんです」
それは死なない人間がいないのと同じこと。だから認知症は病気ではなく、人間の身体のメカニズムとして、そうなるようにできていると木之下さんは考えている。
「ならば人間の身体の仕組みは変えられないのだから、私たちのなかの認知症への偏見を変えていくことのほうが、人生はずっと生きやすくなる。認知症になることを、こわがらなくていい世の中になってほしい。そこに根ざした医療でありたいと思っています。僕ももうすぐ認知症の世代ですから」
医師木之下徹さんは、ここが普通じゃない!
充実した設備と、本人の気持ちを大切にする細やかな診療を兼ね備えたクリニックとして、地元の信頼も厚い。来院する人に配慮した、ゆったりとしたつくりの待合室に、木之下院長のホスピタリティとコーヒーの香りが漂う。
Dr.クロワッサン「逆引き病気辞典」(2019年10月10日発行)より