考察『豊臣兄弟!』35話 家康(松下洸平)との大決戦の幕引きは? 小一郎(仲野太賀)、いざ「長秀」から「秀長」へ!
文・ぬえ イラスト・南天 編集・小池貴彦
大きくなったね、万丸!
『秀長誕生』。
小一郎(仲野太賀)が「羽柴長秀」から「羽柴秀長」に改名した35話。
小牧・長久手合戦という大戦のさなかに、未来への不穏の種が見える回でもあった。
天正12年(1584年)3月。
織田信雄(山脇辰哉)が羽柴秀吉(池松壮亮)討伐を掲げて挙兵する。
その大きな後押しをしたのは、徳川家康(松下洸平)であった。
家康「羽柴秀吉は逆臣なり」「我らが天下を正すのじゃ!」
豊臣秀吉と徳川家康。
のちに天下を取る2人が激突した戦、小牧・長久手の戦いの火蓋が切られる。
戦支度に慌ただしい大坂城内で、羽柴小一郎長秀が久々に対面したのは、甥の三好信吉(山田涼介)。
16話(記事はこちら)以来の登場である。
大きくなったね、万丸!
本作ではこの時点で18歳だ。
これまでの経緯が家族の会話として語られる。
信吉の背景をもう少し詳しく述べておきたい。
16話でも描かれた通り、万丸は元亀3年(1572年)に宮部継潤(ドンペイ)の養子になった。
この時点では、宮部継潤は浅井長政(中島歩)の家臣で、宮部に浅井を裏切らせるにあたってのいわば人質として秀吉が甥を差し出した形だった。
調略に応じた宮部継潤は織田家に属し、羽柴秀吉の与力となったので人質としての意味合いは無くなった。
万丸は宮部姓のまま元服し、宮部吉継(よしつぐ)と名乗る。
その後、阿波国(現・徳島県)三好康長の養嗣子となり、名も信吉と改めた。
時期ははっきりしていない。天正10年(1582年)本能寺の変の前後、あるいはもっと前からという説もある。
三好康長は本作に一瞬だけ登場している。26話(記事はこちら)冒頭の茶席場面で、信長(小栗旬)に「長宗我部元親(磯部寛之)に阿波と讃岐を奪われるわけにはいかない」と訴えていた人物だ。
三好康長は四国統一を進める長宗我部元親に対抗するため、信長を後ろ盾とした。
織田家臣である羽柴秀吉の甥、信吉を養嗣子として迎えたのは、織田家との繋がりを強めるためとされる。
この養子縁組は、これまで本作で描かれてきた人質としての養子とは性質が異なるものだ。
本能寺の変からしばらくして、三好康長の消息は絶えている。
出奔したとも出家したとも伝わるが、はっきりしない。
三好康長の居城であった河内若江城(現・大阪府東大阪市)と家臣団はそのまま信吉が相続した。
信吉が河内北山2万石の大名となったので、なんと父親の吉房(上川周作)も三好を名乗ることになった。
羽柴兄弟の姉、とも(宮澤エマ)にとっては、他家に養子に行こうと、大名に出世しようと、可愛い我が子である。
ともは、息子の大出世を支えてくれた小一郎に感謝する。
とも「困ったことがあったら言いなさい。私も、あさひも、おっかさまもいるんだから。
大した役には立たないかもしれないけど」
小一郎「そんなことはない。姉様が生んでくれた子らは、我らの行く末にとって、かけがえのない宝じゃ」
……あの、すみません。姉弟仲良く丁寧にフラグを立てるのはやめていただけますか。
ともの子らは、長男の三好信吉、次男の小吉秀勝、三男の辰千代がいる。
三好吉房との間に生まれたのはいずれも男の子だった。
この子らが3人そろって長生きしていれば、小一郎の言う通り、羽柴家のちの豊臣家を支える大きな存在となっただろう。
不安 or 不満
小牧・長久手合戦は天正12年の3月から11月までの長期に渡る戦いで、経緯が複雑である。
本作ではドラマとして羽柴兄弟と家康の対決を主とし、関わる人物や出来事を整理、ときには省略しながら描く。
ただし、それでもこれまでの大河ドラマでは触れられなかった各地への戦の波及も描写し、本作独自の小牧・長久手合戦となった。
羽柴兄弟は短期決戦を狙うが、家康の知略はそれを許さない。
羽柴勢は戦を有利に運ぶため、尾張国小牧山城(現・愛知県小牧市)を拠点としようとするが、先に織田信雄&徳川家康軍に入城されてしまった。
このあと、城の周りには両軍が互いにいくつも砦を作り、膠着状態に陥った。
小牧山城から南西に6kmほどの地にある楽田城の秀吉本陣で、この状況を打破すべく池田恒興(堀井新太)が献策する。
徳川家康の本拠地、岡崎城(現・愛知県岡崎市)を攻めるという作戦だ。
2万の大軍で岡崎城に向かって動き出せば、徳川勢を小牧山城から誘い出すことができるに違いない。
秀吉がその策を採用したところで、信吉が作戦大将を願い出る。
「殿! そのお役目、この信吉におまかせください」
その意気や良しと秀吉は甥を作戦大将に指名するが、軍議に集う面々には不安、不満の表情が見える。
不安の表情を浮かべるのは、羽柴兄弟の妹・あさひ(倉沢杏菜)の夫、副田吉成(前原瑞樹)と、寧々(浜辺美波)の義弟・浅野長吉(大地伸永)。
息子が大将になることを真っ先に反対した三好吉房以外の、羽柴ファミリー、縁戚の男たちである。
どうも皆、信吉がどういった若者かを把握しているらしい。
不満の表情の人物は「俺の父上の作戦なのに」顔の池田元助(柴崎楓雅)……だけではない。
羽柴兄弟と苦楽を共にしてきた前野長泰(渋谷謙人)、兄弟の家臣団…福島正則(松崎優輝)、加藤清正(伊藤絃)、平野長泰(西山潤)、藤堂高虎(佳久創)。
手柄を立てたいのは皆同じである。これまでの戦での経験、実績もある。
「なんでお前が大将やねん」
場を包んでいるのは、この空気であった。
軍議の後で父・吉房が秀吉に懸念を訴える。
吉房「信吉には荷が勝ちすぎていると言うておるのじゃ」
秀吉「儂もそうであった。荷が勝ちすぎることばかりやって、ここまで来た」
そうだったなあと思い出す。
織田家での難しい作戦の際には必ず、藤吉郎は「殿! この藤吉郎にお任せくださりませ」と信長に名乗りを上げていた。
数々の手柄で出世階段を駆け上ってきた秀吉にとっては、可愛い甥っ子がかつての自分に重なり、なおさら愛おしい。
だが、吉房の心配は的中してしまう。
信吉は秀吉のようにずば抜けた才覚と強運に恵まれているわけではない。
そして、小一郎という右腕がいないのだ。
斜め上の発想
4月9日の明け方。
信吉を大将とした、世に言う「三河中入り」作戦部隊は、尾張国白山林(現・愛知県尾張旭市)で休憩を取っているところを、徳川家臣の榊原康政(栗原類)率いる軍勢の奇襲を受ける。
大混乱に陥った信吉の軍勢は総崩れとなり、這う這うの体で敗走した。
作戦立案者である池田恒興は、尾張国長久手(現・愛知県長久手市)で徳川家臣の井伊直政(阿久津仁愛)隊と死闘を繰り広げる。
旧武田家精鋭部隊、赤備えを率いる井伊直政の猛攻を受け、池田恒興と元助親子はあえなく討たれた。
三河中入り作戦は大失敗に終わった。
命からがら帰還した甥・信吉を、羽柴兄弟は温かく迎える。
史料には、秀吉は信吉の失態を厳しく叱責したと伝わるので、このドラマの演出は何か意味がありそうである。
叱咤激励する秀吉、慰める小一郎。
だが信吉は、小一郎の予想とはかけ離れた反応で応える。
小一郎「あまり己を責めるでない」
信吉「? なぜ、私が自らを責めねばなりませぬ?」
信吉は、小牧山城からの徳川勢の出撃を見落とした味方の責任だと言い放つ。
予想外の答えに、慌ててたしなめる小一郎
「それは違うぞ。徳川勢が我らを上回ったのじゃ。誰も責めることはできぬ。
……むろん、おぬしもじゃ」
ちょっと考えた信吉、にっこり笑って「さようでございますね」。
どうやら小一郎のフォローを「おぬしの責任ではない」と受け取ったようだ。
な、斜め上の発想……!
ここまでの振る舞いを見る限り、人質として辛酸を舐めたことで歪んでしまったわけではなさそうだ。
養子先で大切にされ、出世して力を持った羽柴家の土壌で、強すぎる自己肯定感と他責思考がすくすくと育っているように見える。
つまずいたら地面の石が悪い、誰かにぶつかったら相手が悪いと周りが収めてくれたタイプなのかもしれぬ。
兵の命を預かる大将としてはあまりに危うい。
小一郎の表情に浮かぶ一抹の違和感。
今感じた小さな違和感を、兄・秀吉と共有しておいたほうがよくはないか、小一郎。と、ハラハラしながら観ていた。
この信吉の人物造形は、その後の羽柴家の命運を考えると見過ごせないものである。
一方その頃、織田&徳川本陣では、家康が信雄勢の労をねぎらい、礼を述べる。
「織田勢が人足仕事をしてくれたおかげで、勝ちを拾うことができました」
徳川軍が小牧山城から、羽柴勢に気づかれずに出撃するための塹壕(ざんごう)を信雄の手勢が掘ったのだ。
実際には、小牧山城からどうやって出撃したのかは、わかっていない。ドラマのように塹壕という説もある。また、織田信雄も家康と一緒に出陣し、長久手の戦いに参戦した。
本作では、信雄が戦の表舞台から外され、蔑ろにされていることへの不満が高まってゆく姿が描かれる。
そんな信雄の様子を気にも止めぬ家康は、初戦の勝鬨が響く中、囁く。
「まことの戦はここからです」
それぞれの戦場
小牧・長久手合戦の各地への影響を、大河ドラマで描くのは珍しい。
北陸では、前田利家(大東駿介)と佐々成政(白洲迅)が睨み合う。
利家「柴田のオヤジ殿がこれを見たら」
成政「おもしろがるであろうな」
かつて、柴田勝家(山口馬木也)をオヤジと慕った盟友同士が戦うのだ。
佐々成政は羽柴に味方し小牧に援軍を送っていたが、戦が長引き羽柴が苦戦していると知るや、羽柴方の前田利家の支配下にある城を次々と急襲した。
「勝ち風は徳川に吹いておる!」
この台詞の通り、織田&徳川優勢に呼応したと見られる。
北陸での戦いは金沢城から打って出た前田利家が佐々軍を退け、防衛に成功した。
小牧・長久手合戦後、前田利家は領国守備のために羽柴秀吉との連帯を強めてゆく。
四国の阿波・白地城(現・徳島県三好市)では、長宗我部元親が嫡男の信親(林裕太)の問いに答えている。
羽柴と徳川、どちらにつくのか。
「こたびは徳川に恩を売るがじゃ。ただし、その途中で伊予(現・愛媛県)、讃岐(現・香川県)の敵どもを平らげ、真の四国の覇者として大坂に乗り込むがじゃ」
信長によって一旦は潰えたかに見えた、四国統一の夢。
本能寺の変の後も、長宗我部元親は戦い続けていた。
天正10年には阿波(現・徳島県)に攻め込んだ。秀吉も長宗我部勢の動きを警戒して軍勢を送っている。
小牧・長久手合戦の最中、6月に長宗我部元親は讃岐を制圧。伊予へも侵攻していった。
羽柴が治める大坂の地を背後から脅かす長宗我部元親の軍事行動は、織田&徳川に歓迎される動きである。
西国の大勢力・毛利勢の筆頭、毛利輝元(濱正悟)は安芸国(現・広島県)から動かず。
「動かぬことで、羽柴に貸しを作ればよい」。
たとえ羽柴が負け、織田・徳川が天下を取っても、今動かなければ敵と認識されまい。
巧みな外交判断は、合戦後を見据えている。
徳川と同盟関係にある相模国(現・神奈川県)の北条氏政(谷原章介)は、徳川家康から援軍を請われるも応じられずにいた。
この年の5月から、常陸国(現・茨城県)の佐竹氏、下野国(現・栃木県)の宇都宮氏による連合軍と戦闘状態にある。
この頃、秀吉は佐竹、宇都宮だけでなく、越後国(現・新潟県)の上杉景勝にも書状を送り、北条を牽制している。
北条が動けないと知り「羽柴もなかなかやるのう」と頷く家康。
小牧・長久手合戦は、日本各地に戦乱を引き起こし、のちのちまで影響を及ぼすのである。
史実にも残る深い疲弊
長引く戦の最中、大坂に一旦戻った秀吉は、町の民に石を投げられた。
額に石を受けた秀吉は、寧々にこぼす。
「頭より胸が痛む」
大坂城下に撒かれた怪文書。
「秀吉は卑しい身分の出で、織田家に仇なす逆臣……」
小牧・長久手合戦中での、秀吉を非難する檄文は榊原康政の手によるものが有名だが、これは後世の創作である可能性が高いという。
激怒した秀吉は、そのまま昏倒した。
刀を振り回して倒れる秀吉の姿は、池松壮亮が巧いので演技だとわかっていてもギョッとする。
兄の急病を聞き大坂に戻ってきた小一郎と、蟹江城合戦に敗北した滝川一益(猪塚健太)の対話は胸痛む場面だ。
「やられたらやり返し、またやられたらやり返す。終わることない地獄じゃ」
「もう、うんざりじゃ。……疲れたわ」
これまでも本作ではたびたび描かれてきた、戦に傷つき疲れた武士の姿だ。
小牧・長久手合戦では、羽柴方の森長可(ながよし)の遺言状が現代に伝わる。
そこには「弟の忠政には、自分が死んでも武士としての跡目を継がせたくない」との意味合いの言葉が綴られている。
森長可は、織田家家臣・森可成(水橋研二)の息子で、森乱(市川團子)の兄にあたる。
可成も、乱も、他の兄弟も全員戦死してしまい、残っているのは長可と忠政ふたりだけだった。
遺言には、娘は京の都の町人に嫁がせてくれとも書かれている。
武士として生きることへの、長可の深い疲弊が伝わる。
本作の滝川一益の「もう、うんざりじゃ。疲れたわ」は、森長可の遺言状を思わせる。
森長可は、長久手で戦死してしまった。
長年の戦闘に疲れ果てた滝川一益に、かける言葉が見つからない小一郎だったが、そこに助け舟が現れる。
「なら、越前に来い。うまい酒と食いものにはことかかぬぞ」
秀吉の見舞いに訪れた、丹羽長秀(池田鉄洋)である。
丹羽長秀は温かい笑みを浮かべて
「池田(恒興)殿もおらぬ今、もう昔の話をできるやつがおらんのだ」
織田信長に仕えた家臣団…森可成も、柴田勝家も、池田恒興も、みんな死んでしまった。
長秀に慰撫されて立ち上がった滝川一益。
この2年後の天正14年(1586年)に越前大野にて、62年の生涯を閉じたと伝わる。
今回のMVP!
百姓の兄弟に石をぶつけられる夢を見て、うなされる秀吉。
そうか、秀吉に石を投げたのは、百姓の子どもだったのか。
長引く戦で田畑が荒れて飢えているのか、それとも父が戦に出て戻らないのか。
まるで昔の自分たち兄弟のような子供に石を投げられた──。
「皆に喜んでもらいたい、ありがとうと言ってもらいたい」と出世を目指した秀吉が、どれほど傷ついたことか。
しかし、石を投げた子供らの負った傷は、秀吉の心の痛みと比べることなどできない。
つくづく、戦が生み出す罪を思う。
早く戦を終わらせねば、徳川と決戦に挑まねばと言う秀吉に、小一郎は
「和睦をせぬか?」
敵が優勢な今、羽柴に有利な和睦などできるわけがない! と怒り狂う秀吉。
怪文書の時といい、秀吉のここまでの激昂にはすこし驚いた。
額の傷が影響しているのか、それとも長期戦の焦りがそうさせているのか。
小一郎は落ち着いて説く。和睦の相手は、徳川ではなく織田信雄。
信雄が徳川とうまくいっていないらしいという情報をもたらしたのは、丹羽長秀である。
丹羽殿、今回のMVPじゃないですか!
「我らが信雄様と和睦すれば、もはや徳川に戦う大義はない」
「勝ちに等しい和睦じゃ!」
これだ、これしかない!
兄弟一致の柏手ひとつ、パァン!
戦を終わらせるのだ。
孤独なひょっとこ
羽柴と織田の単独和睦交渉の場で、信雄が人の上に立つ器でない性分を露見させる。
和睦の書状に署名と花押(サイン)をもらうまではと耐える秀吉と、兄の代わりに怒りを爆発させる小一郎。
示し合わせたわけではないのに、兄の怒りも嘆きも小一郎が代弁する。
自分の代わりに小一郎が感情を爆発させてくれるから、秀吉は自分を抑えることができる。
羽柴兄弟は以心伝心、一心同体。
感動的ではあるが、もし小一郎がいなかったら、秀吉は激情をコントロールすることができるのか……? と、少し怖くもなる場面であった。
伊勢の居城で、独り「ひょい、ひょい」とおどける信雄。
気を晴らしてくれる側近・津川雄光(早瀬栄之丞)はもういない。
雄光はずっと、羽柴との戦を避けるべく動いていた。
主君が人の上に立つ器でなくとも、守ってくれていた人物ではなかったか。
それを誅殺してしまった後悔が、信雄を苛む。
偉大な父を持つ、大器でない者の悲哀。
天下の覇者から滑り落ちる織田家を体現した、山脇辰哉の芝居が光った。
織田信雄はこの後、世の荒波に揉まれながらも生き抜き、徳川3代将軍家光の時代、寛永7年(1630年)に73歳で世を去った。
小牧・長久手では、ふたりの若者──三好信吉と、織田信雄が対照的に描かれる。
どちらも大将の器ではない。
小一郎の叱責がその後の命運を分けたとは言い難いだろう。
だが、このふたりのその後を思うと、人の一生において、諫めてくれる人の存在は大きいと思わせる対比だ。
秀長誕生!
織田信雄の単独和睦に、徳川も戦う意味を失い、兵を退かざるを得なかった。
家康「此度で十分に徳川の強さを世に知らしめることができた」
事実、小牧・長久手合戦は、のちに豊臣政権下での徳川の存在の大きさ、影響力に関わってくるのである。
合戦の終結を寿ぐ大坂城の夜、小一郎と丹羽長秀の場面はしみじみよかった。
「おぬしの力で、秀吉公に信長公を超えさせろ」
小一郎を激励する丹羽長秀。改名のヒントまで与えた。
この翌年の天正13年4月、丹羽長秀は51歳でその生涯を閉じる。
ドラマレビュー初回(記事はこちら)で、丹羽長秀のビジュアルが完璧だと書いたが、本作での池田鉄洋の芝居は、史料の向こうにいる丹羽長秀を想像させた。
小一郎は、丹羽長秀の助言を受けて、家族に改名発表する。
「秀」吉に信「長」を超えさせる弟……。
秀長誕生!
天下の頂へと、兄弟で突っ走る!
次回予告。
羽柴秀長が総大将となる四国征伐。長宗我部元親との戦!
このために今回、長宗我部について語ってました。
一方その頃、秀吉は朝廷との関係を深める。
「関白を取り戻しましょうぞ」
豊臣が見えてきた…!
36話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
【作】八津弘幸
【音楽】木村秀彬
【語り】安藤サクラ
【出演】仲野太賀、池松壮亮、吉岡里帆、浜辺美波、菅田将暉、坂井真紀、宮澤エマ、大東駿介、松下洸平、山口馬木也、宮﨑あおい、小栗 旬 ほか
【時代考証】黒田基樹、柴 裕之
【制作統括】松川博敬、堀内裕介
【プロデューサー】高橋優香子、舟橋哲男、吉岡和彦(展開・プロモーション)、国友 茜(広報)
【演出】渡邊良雄、渡辺哲也、田中 正
※このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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主な参考文献:
ルイス・フロイス(著)/松田毅一・川崎桃太(翻訳)『完訳フロイス日本史・豊臣秀吉編 合本』中公文庫,1999年
筒井紘一(翻訳)『利休聞き書き・南方録 覚書』講談社,2016年
和田裕弘(著)『織田信長の家臣団──派閥と人間関係』中公新書,2017年.
柴裕之(著)『徳川家康 中世から近世へ』平凡社,2017年
太田牛一(著)/中川太古(現代語訳・注)『地図と読む・現代語訳 信長公記』KADOKAWA,2019年
永原慶二(著)/本郷和人(解説)『戦国時代』講談社学術文庫, 2019年.
神津朝夫(著)『茶の湯の歴史』KADOKAWA,2021年
黒田基樹(著)『徳川家康の最新研究──伝説化された「天下人」の仮面をはぎ取る』朝日新聞出版,2023年
黒田基樹『羽柴秀吉とその一族――秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書, 2025年.
柴裕之『羽柴秀長――秀吉の天下を支えた弟』角川選書, 2025年.
黒田基樹『羽柴秀長の生涯――秀吉を支えた補佐役の実像』平凡社新書, 2025年.
黒田基樹・柴裕之〔編〕『羽柴秀長文書集』東京堂出版, 2025年.
桑田忠親(著)『豊臣秀吉研究 上・下』角川選書.2025年
河内将芳(編著)『秀吉と豊臣一族研究の最前線』山川出版社,2025年
黒田基樹・柴裕之(著)『戦国武将列伝・別巻2 豊臣編』戎光祥出版,2026年