考察『豊臣兄弟!』29話 仇、光秀(要潤)が秀吉(池松壮亮)を動かす。天下に向けた兄弟の分岐点。
文・ぬえ イラスト・南天 編集・小池貴彦
「織田は二つに割れまする」
織田信長(小栗旬)を喪った秀吉(池松壮亮)。
秀吉と心が通じあった相手は、弟の小一郎(仲野太賀)ではなかった。
豊臣兄弟! 29話は、兄弟の関係が大きく変わる予兆が描かれる。
天正10年(1582年)6月11日。
本能寺の変から9日後、羽柴兄弟は山崎(現・大阪府三島郡と京都府乙訓郡)にいる。
信長の三男・織田信孝(結木滉星)率いる軍勢と合流して、明智光秀(要潤)との戦いに備えているのだ。
織田方の兵力はおよそ4万。対する明智軍は1万6000程度だったと伝わる。
明智光秀の恭順の呼びかけに応える諸将はいなかった。
だが、ここに至っても、光秀は動じない。
「信長は最早おらぬ。それが我らの勝ち筋じゃ」
「織田信長の代わりなど、誰にもつとまらぬ」
あの織田軍勢をまとめ上げられるものか。
光秀の読みどおり、織田方の軍議は紛糾する。
そこへ、丹羽長秀(池田鉄洋)の笑い声が響いた。
「今、笑ったのは儂ではない。光秀じゃ。まさしくこの光景を思い描いていることであろう……と、上様なら、仰せになるはず」
3話(記事はこちら)。桶狭間合戦前、今川軍の侵攻で大揉めに揉めた軍議を思い出す。
あの時、信長がこう述べて場を収めたのだ。
あれから20年以上。丹羽長秀と柴田勝家(山口馬木也)以外の重臣はみんな死んでしまった。信長までも。
「上様」と言葉にして涙ぐむ丹羽長秀の表情が切ない。
信孝は次兄の信雄(のぶかつ/山脇辰哉)が居城の伊勢松ヶ島城(現・三重県松阪市)から向かっていると知り、兄を待たずに戦の決着をつけようとする。
長兄・織田信忠(古関裕太)は本能寺の変発生時に京の都におり、明智軍の攻撃を受けて自刃した。
長兄亡き今、父の仇である明智光秀を討ち取った者が、次の織田家の当主。天下人だ。
野望が、信孝を血気に逸らせる。
その魂胆は、誰の目にも明らかだった。
軍議の後、チーム羽柴は秀吉の意向を確かめようとする。
黒田官兵衛(倉悠貴)「このままでは織田は二つに割れまする」
蜂須賀正勝(高橋努)「そうなったら、どっちにつくのじゃ」
秀吉は答えず、明智光秀を生け捕りにするように皆に命じるのだった。
その命令が、秀吉自身の人生を大きく変えることになる。
アホの子か!
6月13日。
山崎の地に、織田軍と明智軍が布陣する。
開戦を前にして、小一郎はそっと兄のもとを訪れる。
兄の苦悩を見抜いてのことだった。
「儂が信澄様(緒形敦)をお助けするよう、お頼みしなければ」
「儂が上様を殺したようなものじゃ」
涙を流す秀吉を、小一郎が落ち着いて慰める。
「兄者だけのせいではないわ」
「この世は何かが間違っておる」
これまでも見られた兄弟の姿だ。互いに寄り添い、励まし合ってきた。
この場面はラストシーンとの対比になっている。
もしかしたら、心を寄せ合う兄弟の姿は、これで見納めになってしまうのではないか。
そこへ、小一郎の嫡男・与一郎(大西利空)が開戦の報せを持ってきた。
小一郎は与一郎に言いきかせる。
「お前は、信孝様を御守りしろ」
御大将の傍にいれば、戦況が優勢である限り、最前線で戦うことはないはず。
初陣の与一郎が手柄を立てようと無茶をせずに済む。
父として配慮したつもりであった。
ところが。
数に押された明智軍が退却を始めたと聞いた信孝は
「兵を鼓舞する」と、丹羽長秀が止めるのも聞かず本陣を飛び出してしまう。
戦において、兵を鼓舞する必要があるのは主に負けそうな時、踏み止まらせる時、逆転を狙う時。戦を決定づけるためという場合も無くはないが、これではまるで調子に乗っているようではないか。
……乗ってるんだな、信孝。
味方の兵の中に進み出ると
「この信孝がそなたらの戦功に必ず報いる! この信孝が!」
その瞬間、味方に紛れた刺客から一斉に射かけられる矢。
ご丁寧に日の丸扇を広げて高らかに名乗る信孝は、わかりやすい標的だ。
明智光秀は信孝の性格を読んで刺客を放ったに違いない。
退いたと見せかければ、信孝は必ず出てくると読まれていた。
「敵を鼓舞してしまったではないか!」
アホの子か、信孝。
アホの子でも主家の人。与一郎は父・小一郎に申し聞かされたとおり、信孝を守ってその身に矢を受ける──。
仇の言葉に動かされる
6月13日。
明智軍は戦死者多数、兵の逃亡が相次ぎ、敗色濃厚となる。
斎藤利三(内藤剛志)は光秀に、ひそかに逃げ延びて再起を計るよう促した。
利三「殿…いえ、上様。どうかご武運を」
自らの主君としてでなく、天下人として「上様」と呼びかける。
斎藤利三はこの後、敗走し、近江国堅田(現・滋賀県大津市)で捕縛された。
京の都を引き回され、六条河原で処刑。遺骸を晒されたという。
これは余談だが、斎藤利三の娘、福はこの戦いより20年以上のち、徳川幕府2代将軍・秀忠の嫡男・竹千代の乳母となる。
後年、「春日局」の名と従二位を朝廷から下賜され、武家の女性として位人臣を極めた。
竹藪の中を落ち延びてゆく明智光秀。
ここまでは、過去の大河でも、いやあらゆる歴史創作の作品でも描かれてきた場面だ。
竹藪で百姓の落ち武者狩りに襲われて、光秀は無残にも命を落とす──と、思いきや。
秀吉の命を受けた石田三成(松本怜生)らによって、光秀は捕らえられる。
本能寺の変後、秀吉と光秀を再会させる展開は独創的だ。
ひそかに設けられた、ふたりきりの茶会。
なぜ信長を討ったのか、理由を直接聞くために催したものだ。
だが、ここで光秀の語ったことに秀吉は強く共鳴する。
「儂も上様が作る世を信じようと思った。しかし駄目であった。儂が見たかったのは……
足利義昭(尾上右近)様の世じゃ。儂が真にお仕えしたかったのは生涯ただ一人」
思えば12話(記事はこちら)で、互いの主への思いを語り合った時もふたりきりだった。
なんのために生まれてきたのか。なんのために生きているのか……自分に生きる意味を与えてくれた人。
それが光秀にとっての足利義昭であり、秀吉にとっての織田信長だ。
この一点において、秀吉は光秀ほど理解し合える相手と、あれ以来出会っていない。
弟の小一郎ですら、信長に対しての思いは兄とは一線を画す。
悔いてはおらんと微笑む光秀を見つめる秀吉の表情には、怒りも憎悪もない。
生涯でただ一人、信じた主を失った者としてのシンパシー。
その主の命を奪った張本人であるのに、憎むことができない。
己の唯一の主は失われてしまった。
であれば、主が作るはずであった新しき世を実現するのは自分しかいない。
明智光秀の思いを、羽柴秀吉が引き継ぐ。
こんなにも斬新で、残酷な筋立てが待っているとは思いもよらなかった。
このあと、光秀がどうなったのか本作でははっきり描かれない。
茶席とした寺の御堂から出てきた秀吉は、控えていた加藤清正(伊藤絃)と福島正則(松崎優輝)に「光秀の首は百姓の落ち武者狩りに遭い我らに届けられたことにする」と告げる。
だが、秀吉は首級を携えていない。
明智光秀には生存説がある。
2020年の大河ドラマ『麒麟がくる』の最終回。
ラストシーンは合戦後に京の都の雑踏を歩き、いずこかへ馬で駆け去る光秀の姿だった。
光秀の生死を明らかにするのは野暮というものかもしれない。
悲しみに沈む羽柴家
秀吉が新たに抱いた思いを、より強めるできごとが起こった。
小一郎の嫡男、与一郎の死である。
矢傷を負い、長浜城(現・滋賀県長浜市)に戻った与一郎。
あらゆる手を尽くして看病する羽柴家の面々だが、与一郎は両親である小一郎と慶(吉岡里帆)に見守られて息絶える。
小一郎の嫡男、羽柴与一郎は、実名と生没年がはっきりわかっていない。
死因も不明だ。
天正10年に小一郎が丹羽長秀の三男を養子として迎えたので、この頃に嫡男が死んだと推測されている。
山崎の合戦で織田信孝を庇って死んだというのは、本作の創作である。
悲しみに沈む羽柴家。
これまでもそうだったが、看病場面から丁寧に、あさひ(倉沢杏菜)と副田甚兵衛(前原瑞樹)夫婦が仲が良いことを描いている。
毎度思う。この作品は、フラグ、不幸の前振りに余念がない。
山崎から戻ってきた秀吉に、姉のとも(宮澤エマ)が詰め寄る。
与一郎は初陣だった、どうして守ってやらなかったのか。
言い訳をせず小一郎のもとへと立ち去った秀吉の背中を見送って、ともが呟く。
「今の、藤吉郎よね?」
家族が最後に顔を合わせたのは秀吉が備中高松城攻めに出陣する前(26話/記事はこちら)、信長とお市(宮﨑あおい)を全力接待した時だったか。
羽柴家一同、信長を笑わせようと賑やかに騒いだあの日から、わずか3か月。
秀吉は別人のように変貌して帰ってきたのだ。
長浜城に到着してから与一郎の死を知った秀吉は、小一郎のもとに向かう。
他の誰でもない、弟だけに決意を告げるために。
家族を愛したまま、狂気の淵へ
妻の悲しみを受け止めるために慶の前では堪えていた憤激を、小一郎は兄にぶつける。
「儂ら、あの頃からなんも変わっとらん!」
「儂ら、なんのために侍になったんじゃ!」
故郷を蹂躙され友を殺された時。己の無力に泣くしかなかった、百姓であった頃。
その時流した涙と、この涙に変わりがない。
友を亡くして、妻を亡くして、今度は我が子を亡くす。
侍になっても、城持ちになっても、天下人の重臣になっても、幾度も奪われ続ける。
武将になって戦い続けたこれまでの人生に、なんの意味があるのだ。
泣きむせぶ弟の頬を両手で包み、秀吉は静かに語りかける。
「お前が言うたのじゃぞ。この世は、なにかが間違っておると」
「だからのう、小一郎。儂が変えるわ」
幼い頃、幾度もこうしたのではないだろうかと思わせる仕草だ。
弟が泣いたら、兄ちゃんがなんとかしてやると慰めたのだろう。
仲の良い兄弟ならではの温かさ。
だが、弟を抱きしめた後のその顔からは、ぬくもりが急激に失われてゆく。
声を潜めて、小一郎の耳に囁いた。
「これはまだ我らだけの秘め事じゃ。信雄様でも、信孝様でもない」
「この儂が、上様の思いを継ぐ」
光秀と同様に、秀吉も信長の息子たちの器量は熟知している。
後継の器ではないとわかってはいたが、愚かさで与一郎を死なせた。
上様がいないことへの絶望と、自分だけが新たな世を作ることができるという確信。
秀吉の眼は、真っ黒な炎が噴き出すようであった。
その眼を、小一郎は見ていない。
信長を心から尊崇し、弟を、家族を愛したままの秀吉で、狂気の淵に落ちてゆくとは予想していなかった。
だがここから先の羽柴兄弟、いや羽柴秀吉の天下取りの代償は、家族の涙と命である。
与一郎の死は、その序章に過ぎない。
次回予告。
世に言う清須会議。あらまあ可愛い三法師様!
信孝様か、信雄様かで割れる織田家重臣。
お市の娘、茶々(井上和)登場。こちらも可愛い。
「儂は、あの御方を娶れるような男ではない」。
全国の柴田勝家ファンの皆様、切なさにキャーッと歓声上げる準備はできてますか。
※8月2日は放送お休み、30話は8月9日放送!
楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』
【作】八津弘幸
【音楽】木村秀彬
【語り】安藤サクラ
【出演】仲野太賀、池松壮亮、吉岡里帆、浜辺美波、菅田将暉、坂井真紀、宮澤エマ、大東駿介、松下洸平、山口馬木也、宮﨑あおい、小栗 旬 ほか
【時代考証】黒田基樹、柴 裕之
【制作統括】松川博敬、堀内裕介
【プロデューサー】高橋優香子、舟橋哲男、吉岡和彦(展開・プロモーション)、国友 茜(広報)
【演出】渡邊良雄、渡辺哲也、田中 正
※このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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主な参考文献:
ルイス・フロイス(著)/松田毅一・川崎桃太(翻訳)『完訳フロイス日本史・豊臣秀吉編 合本』中公文庫,1999年
太田牛一(著)/中川太古(現代語訳・注)『現代語訳 信長公記』新人物文庫, 2013年.
和田裕弘(著)『織田信長の家臣団──派閥と人間関係』中公新書,2017年.
太田牛一(著)/中川太古(現代語訳・注)『地図と読む・現代語訳 信長公記』KADOKAWA,2019年
永原慶二(著)/本郷和人(解説)『戦国時代』講談社学術文庫, 2019年.
黒田基樹『羽柴秀吉とその一族――秀吉の出自から秀長の家族まで』角川選書, 2025年.
柴裕之『羽柴秀長――秀吉の天下を支えた弟』角川選書, 2025年.
黒田基樹『羽柴秀長の生涯――秀吉を支えた補佐役の実像』平凡社新書, 2025年.
黒田基樹・柴裕之〔編〕『羽柴秀長文書集』東京堂出版, 2025年.
桑田忠親(著)『豊臣秀吉研究 上・下』角川選書.2025年
河内将芳(編著)『秀吉と豊臣一族研究の最前線』山川出版社,2025年
黒田基樹・柴裕之(著)『戦国武将列伝・別巻2 豊臣編』戎光祥出版,2026年