『ショートケーキは背中から』著者、平野紗季子さんインタビュー。「普段食べているものにも感動は潜んでいる」
撮影・森山祐子
「普段食べているものにも感動は潜んでいる」
「とにかく食の輝きに照らされて、どこが前かもわからない乱反射の中で目を輝かせていたところから、おぼろげながら地図が少しずつ書き足されていったのがこの10年だったのかなと思います」
最初はこの先にどんな世界が広がっているのか何も見えなかったという。そこから日常や旅先で食体験を重ね、自分なりの解釈が生まれ、フィールドが見えてきた。フードエッセイスト平野紗季子さんが10年間にわたって綴った味の記録の集積ともいえるエッセイ集。
冒頭の「会社員の味」では、会社員時代、心をすり減らす日々の中で食べたものたちが色濃く描かれている。〈虚無にはごはんが効く。失われた生命力はその日のうちに取り戻さなくちゃいけない〉〈闇がお菓子をおいしくする〉など、思わず頷いてしまう言葉が飛び交う。
「漫然とおいしいものを食べているだけでは感じられない良さが重みを持って刻まれました。おいしさを成すエレメントに、しんどさやつらさが内包されているというか。影があるから美しいんだなとか、だからこそ味が立体的に見えるんだということは、この日々があったからこそ知ることができました」
三つ星やガストロノミーレストランの料理、コンビニの鍋焼きうどん、ポテトチップス。愛してやまないものたちが、高い熱量で語られる。そこには上も下もなく、常においしいものに対してフラットに向き合っているように感じる。
「自分の気分に素直に生きています。高級レストランの食体験にときめくこともあれば、仕事で疲れ果ててすがる思いでコンビニのごはんを食べることも。それぞれ与えてくれるものが違いますし、どれをも求めている自分がいますね」
宝くじをひく感覚で、常に新鮮な気持ちでいる。
いつでも味の記憶が取り出せるよう、ラベルを貼るように食べ物の印象をメモに残しているという。
「昨日は焼き鳥のちょうちんを食べて、“ボッと命が尽きるときの味”と書きました。それを割った瞬間、取り返しがつかないことをしてしまったようで怖くなって」
五味で記録しようとするとどれも似たような表現になってしまう。
「ぞわぞわする、切ない、強い、か弱いとか、その時の感情や印象を大事にしています。清らかな小川みたいとか、想起する風景さえも“味”になりうるんです」
味のコレクションが増えていくと、感動が薄れたりはしないのか。
「ある時、何気なく買ったバナナに感動して。おいしくて、安くて栄養価が高くて、持ち運びも容易で。人間に都合が良すぎて、もっと自分を大事にしてって言いたくなるくらい(笑)。普段食べているものに急に感動したり、わかった気になっているものを壊されることが往々にしてあって。いつその瞬間が来るかわからないのが楽しいですし、宝くじをひくような感覚で常に新鮮な気持ちでいますね」
食べ物との関係性は変化していく。そう知ると、目の前の一食にしっかり向き合いたくなってくる。
『クロワッサン』1126号より
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