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『左右を哲学する』著者、清水将吾さんインタビュー。「不思議と不思議がつながると思った」

撮影・青木和義 文・堀越和幸

「不思議と不思議がつながると思った」

清水将吾(しみず・しょうご)さん●1978年生まれ。立教大学兼任講師。上智大学と東邦大学で非常勤講師を務める。2020年に、哲学小説『大いなる夜の物語』(ぷねうま舎)を発表。共監訳書に『子どものための哲学授業ーー「学びの場」のつくりかた』(河出書房新社)が。
清水将吾(しみず・しょうご)さん●1978年生まれ。立教大学兼任講師。上智大学と東邦大学で非常勤講師を務める。2020年に、哲学小説『大いなる夜の物語』(ぷねうま舎)を発表。共監訳書に『子どものための哲学授業ーー「学びの場」のつくりかた』(河出書房新社)が。

私たちは普段の生活の中でよく「右」や「左」という言葉を使う。が、よくよく考えてみればこの「左右」とは何なのか? という根源的な問いに目を向けるのは、哲学博士の清水将吾さんだ。

清水さんによれば、同じように“向き”を示す「上下」や「前後」と、「左右」は明らかに一線を画している。

「上下だったら例えば私たちの頭が上で重力が働く方向が下というように物などを使って定義することができます。前後であれば、顔や目があるほうが前で、後頭部や背中が後ろというように物的に定まる。ところが左右だけは体などの特徴で定めることができません」

多くの人は、お箸を持つほうが右手ですよと教わり、心臓という臓器は体の左側にあるものだが……。

「が、左手でお箸を持つ人もいますし、心臓が右側にある人も稀にいます。つまり左右を物的に定めようとしてもそこに普遍性がない」

私がいなくなっても、宇宙はずっと続く。けれども……。

「左右」の不思議を考えるようになったのは、大学院生時代に読んだカントがきっかけだった。
「空間を相対的ではなく絶対的なものとして論じていました」

そして、その謎が幼少の頃から抱いていた「私」の問題につながるのではないかと考えた。

「この世の中にはたくさんの人がいる。たくさんの“私”が存在している。そんな中でなぜ“私”が清水将吾なのか、という不思議でした」

「左右」について改めて考えてみれば、鏡の中もすごく不思議だ。鏡の世界では「左右」を反転させるけど、なぜ「上下」や「前後」を反転させないのか?

「口は“みぎ”と動きながら、左手を動かしている。もしかすると鏡の中の人物はこちら側の世界の“左”という意味を“右”という言葉で言い表しているのではないか」

であるならば、「左右」の問題は言葉と深く関わるのではないか?

上下軸と前後軸を固定することで生まれる左右軸の話、一次元空間や二次元空間で「左右」の在り様を検証する思考実験、遠い昔に「左右」という言葉を発案したであろう“左右原器”的な人物に思いを馳せる話、そしてその伝承法について……。さまざまな角度から「左右」を掘り下げる清水さんは、やがてある考えに行き当たる。

「“私”はこの体をもって生まれてきたがそうでないこともあり得た。ということは“私”の体があるから左右があるのではないか」

鏡だけではない。「左右」は人と対面するだけで向きが変わる。
「つまり“左右”とは“私”という視座があるからこそ生まれる空間の広がりであり、すなわち宇宙の中心ではないかと考えたのです」

宇宙が始まって百何十億年が経つが、一個の人間が生きるのはそのわずか数十年に過ぎない。

「“私”がいなくなっても宇宙は永久に続くのでしょう。そしてそれは、中心のない宇宙として」

不思議から発展する、大いなる思考の跳躍。哲学で考える「左右」は、かくもロマンに満ちている。

当たり前の日常に隠された秘密、そしてその豊かな可能性を探る思考。 ぷねうま舎 1,980円
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『クロワッサン』1125号より

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