『どこにでもあるどこかになる前に。〜富山見聞逡巡記〜』著者、藤井聡子さんインタビュー。「ここにしかない、面白いことがある」
撮影・黒川ひろみ(本・著者)
「ピストン藤井」として活動する藤井聡子さんは、富山の個性あふれる場所や人を紹介するミニコミの作成やイベントを行ってきた。そんな彼女が初めて本名で記したのが本書だ。藤井さんが地元富山へUターンをして居場所を見つけていく姿と、再開発によって街が変容していく様子が描かれる。
大学卒業後、「映画監督になりたい」という志のもと上京した藤井さんは、紆余曲折を経て、雑誌編集者になるが……。
「一体自分は何をやりたいのか、わからずに東京にいました。ずっと何もやっていないという気持ちのまま、29歳になる年に富山へ」
実家へ戻った藤井さんに突きつけられたのは、30歳間近の独身女性に対する富山の保守的価値観だ。
「結婚して家を建てて子を育てるのが富山の“普通”。その枠からはみ出ている私は居心地が悪かった」
そんな状況を変えたのが「ピストン藤井」としての活動だった。富山の“普通”からとことん浮いてやろうと、藤井さんは、富山の珍味のような魅力を発信。ライター活動を始めると、アクの強い富山の人々と居場所に出会えた。
本書では、藤井さんが愛する食堂やビリヤード場などが、そこで暮らしを営む人々のエピソードとともに描かれる。
「富山だからこそ生まれた魅力を『ピストン藤井』ではなく『藤井聡子』として丁寧に描きたかった」
なぜなら、藤井さんは次第に限界を感じ始めていたからだ。
「ミニコミの取材などでは面白おかしく紹介していたのですが、お店の人と仲良くなるとネタとして消費していることに罪悪感を覚えるようになりました。愛情を持って真摯に書いていたのですが、振り返ってみると茶化しているように見えてもおかしくなかったです。この本はその後悔の念から書き始めたところがあります」
そして、その思いをさらに強くしたのは、北陸新幹線開通に伴う富山駅前や街なかの再開発だった。
「初めて見たはずなのに、なぜか見覚えがある。再開発後の富山は東京で見たような景色でした。郷愁とか懐かしいなんて感情ではなくて、変な既視感。商業施設が建てられて、大好きなミニシアターが休館して、すごい早さで街が変わることに危機感を覚えました」
愛憎入り交じる富山をこれからも書き続けたい。
「こぼれ落ちていくようなものをちゃんとすくいあげたかった。一つのお店が消えてしまったら、行き交っていた人々の記憶も何もかもが、思い出せなくなってしまう。街の画一化にはなんとしても抗いたい」
藤井さんは、富山への愛憎入り交じる思い、そしてそこにある人や場所を本書にまとめたのだ。
「閉鎖的な富山は愛おしくもあり、憎くもあります(笑)。これからも、街の記憶や匂いを書き留めていきたい。そして、変わっていく景色に戸惑いを覚えている人たちに寄り添えるような文章を書いていきたいと思います」
『クロワッサン』1014号より
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