自由でおおらか。カンタに学ぶ手仕事の奥深さ
撮影・徳永 彩 文・松本あかね
細い針先が布地をすくい、くぐって顔を出しまたもぐる。難しいステッチはなく、ただ並縫いだけ。蓮の花やペイズリー、動物や草花のモチーフが布いっぱいに広がる。その一つ一つを見ていると、何週間、時には何年もかけてそれを縫った人の存在がすぐそばに感じられるようだ。
カンタはインドの西ベンガル地方からバングラデシュにまたがる地域で受け継がれてきた手仕事。もともとは着古したサリーやドーティ(男性の腰巻き)の弱った生地を使って赤ちゃんのおくるみや敷物に仕立てていたもので、小さな村の家々で母から娘へ伝えられてきた。そうした布の再生技術としての昔ながらのカンタは、現地ではほとんど途絶えてしまったという。けれどここ日本では、古びても捨てられない思いの詰まった布にひと目ひと目、針を運ぶ時間を愛しむ仲間の輪が広がっている。その場所を最初につくったのが手芸家の望月真理さんだ。
「母は50年ほど前の1970年代に初めてインドを訪れ、国立博物館の片隅で1枚の小さなカンタと出合いました。美しいちりめんじわに目が吸い寄せられ、『でこぼこのある布の上にどうやって刺繡したのだろう?』と疑問に思ったのが最初だったそうです」
真理さんの長女で現在カンタを広める活動を引き継ぐ麻生恵さんは話す。
当時はカンタについて知ろうにも文献がなく、骨董商を通じ古い時代のものを手に入れるしか手がかりはなかった。恵さんの手元には真理さんが「カンタの教科書」と呼んだ1枚が残っている(写真1、2)。地の部分がボロボロになり、ほつれたところから何枚も重なった布がのぞく。弱った布を何枚も重ね、その上から針を刺し、針目の長さや向きを変えたり、そろえたりずらしたりしながら、さまざまな模様や動物、草花の姿が描かれた。モチーフとモチーフの間も並縫いで埋め尽くすのは補強のため。時にサリーの刺繡の糸を抜いて使ったという。真理さんの目に留まった美しいちりめんじわは、布を重ねて縫うことで生地が収縮して生まれたシボだったのだ。
「現在はNPO団体が女性の自立支援のために技術指導し、制作されたカンタも販売されています。どちらもカンタだけれど、母が惹かれたのは、貧しい人たちが家族のために時間をかけて縫ったカンタだったんですね」
真理さんが収集したコレクションのうちの1枚、19世紀のオールド・カンタ。ためつすがめつして恵さんが指差す。「ここはきっと糸がなくなったんでしょうね」。縁取りの赤いボーダーがあと少しというところでぷつんと途切れている。「ここは、ほら」、指先をたどると、ペイズリーに蝶々のような触角が生えていたり、隅のほうでは隙間を埋めるためだろうか、小さな花が1輪だけ刺してある(写真3)。あらかじめ図案を書くわけでもなく、辻褄が合わなくなればモチーフをもう一つ足してみたりする、即興的で自由な世界。
「カンタの図柄には解放された楽しいものが多くて、悲壮な感じはありません。小さな村で暮らし、外の世界を知らない当時の女性にとって、カンタを縫うことが唯一の楽しい時間だったのではないかと母は話していました」
アジアの手仕事を巡り、自分自身の表現に行き着く
何度もインドに通い、古いカンタと向き合って名もなき刺し手に思いを馳せるうち、次第に真理さんの関心は、20年続けてきたフランス刺繡からアジアの手仕事へ向かい始める。
「アジアの民族衣装などに施された刺繡の原点は魔除けであり、着る人の幸せを願う〈祈り〉そのもの。おくるみを刺しながらありったけの愛を込めた。そこに権威や富の象徴ではない、精神性を感じたのだと思います」
50代半ばから70代にかけて、真理さんはベトナム、ラオス、中国、トルコ……と広く旅をした。村々に伝わる手仕事を探し訪ね、どこへ行くにもスケッチブックを携えていった。代表作「中国の山あいの村」(写真6)は旅の途中でスケッチした風景をもとにしている。高い空とどこまでも続く山並み、麓に広がる田んぼと滔々と流れる川。浮き上がったシボが白いラインを描き、うねり、筆や絵の具とは違った、針と糸の描く景色が広がる。
「母はもともと絵描きになりたかった人。生涯、布をキャンバスに絵を描いていたんでしょうね」
真理さんの作品が絵画的なら、シボの造形的な美しさが際立つ名付けて「ジオラマカンタ」(写真8)は恵さんの真骨頂だ。横断歩道のような帯状のモチーフを互い違いにくぐらせ布全面に展開すると、針が通った跡は縫い縮められ、縫っていない部分は「水膨れみたいに」ふくらむ。それを押さえ込むように三角形のモチーフを刺していくと、立体感のあるジオラマのような景色が立ち上がってくる。「カンタで庭をつくっているような感覚。棚田や山の等高線、砂丘も刺してみたい」と恵さん。ロンドンの美術学校で学び、ガーデンデザイナーとして活動してきたバックボーンが窺える。そんなふうにカンタには必ずその人の持つ背景が表れるという。
「チクチク並縫いするだけだけれど、刺し手の数だけ無限の表現がある。お手本どおりにする必要なんてないんです」
恵さんはワークショップの1回目に必ずこんな話をする。
「私たちはつい隣の人より下手だとか遅いとか、自分を人と比べてしまうけれど、そういうことはすべて忘れて。カンタを縫う時間はあなたが幸せだったらいいのだから、って」
カンタには正解もないし、ゴールもない、だから失敗もない。真理さんはよく病院の待合室にもカンタと裁縫セットを持っていき、「待つだけの時間が宝物の時間になった」と喜んでいたそう。特別な道具も技術も必要ない。針と糸があればよく、器用に刺せなくても、年を重ねて目が見えづらくなっても、多少縫い目が粗くても味になる。いくつになってもその人にとって楽しいカンタがある。カンタとの出合いは人生の最期まで自己表現できる術と出合ったということ。その時間を思い切り楽しんでほしいからと。
デジタル時代につながるカンタに呼ばれる仲間たち
3年前、真理さんは96歳の天寿をまっとうした。前日まで自宅でワークショップを開催していたという。カンタの教室は恵さんが引き継ぎ、もっと多くの人に知ってもらいたいとワークショップを展開すると、全国から応募があり、反響の大きさに驚かされた。
「カンタのおおらかさ、自由さは今だからこそ評価されているのでしょう。デジタルの時代に計算のないカンタに安らぎを感じている人も多いと思う。それに時々みんなで集まって手を動かすこともすごく大事なこと」
教室に通う1人は息子が骨折をしたときに使った三角巾に針を刺し、あずま袋に仕立てた。こんにゃく工場で使われていたという袋に目を留め、家族の思い出の図柄を刺した人もいる。
「今思うのは母が残してくれたのはカンタだけじゃない、人なんだって。カンタそのものに包容力や想像力をかきたてる力、夢がある。そこに魅力を感じる人たちの持つ力があって、根っこが同じ人たちが集まるとまた楽しい」
教室の始まる前は各々庭でお弁当を広げ、教室の後はコーヒーを飲みながらおしゃべりが弾む。
「家族や仕事の話は出てこなくて、ここはこうしてみたらとか、美術館でこんな展示があるとか。みんなの話が刺激になるから、3カ月に1回でも来たいと飛行機で通う人もいます」
教室に通うメンバーを恵さんは「望月真理の仲間たち」と呼ぶ。真理さんがインドから運んできた古き手仕事は仲間をつなぎ、宝物の時間を生み出す術を教えてくれる。その喜びを知る人は誰もが“仲間たち”なのだ。
『クロワッサン』1176号より
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