【あの本を、もういちど。鴻巣友季子さん】書くことに対する姿勢を学んだかけがえのない河野多惠子さんの本。
撮影・岩本慶三 文・三浦天紗子
海外文学ファンから、好きな翻訳家として名前が挙がるひとり。翻訳者ならではの目線で綴る、文学エッセイの名手でもある。そんな鴻巣友季子さんにとって大切な一冊が、2015年に88歳で亡くなった小説家の河野多惠子さんによる創作論『小説の秘密をめぐる十二章』だ。登場人物の名前のつけ方といったことから、語り手の人称の問題など、具体的な創作の方法、小説の組み立て方など、文学と誠実に向き合う心得がまとめられている。
「書くことに対する姿勢の真摯さに感動しました。出版されてすぐ読みましたが、『嵐が丘』の新訳に挑戦しているときにとても支えになりました」
エミリー・ブロンテの『嵐が丘』は何度も邦訳されているが、実は鴻巣さんが訳すまで、大学に属している男性教授が「研究のひとつの成果として」発表するのが通例だった。学者以外で、しかも女性で、新訳を手がけたのは鴻巣さんが初めて。鴻巣さん自身も、30代でそんな機会がめぐってくるとは思っていなかった。
「編集者から打診されたのは、37歳になったころ。重責にひるみそうになったけれど、このチャンスを逃してはだめだということはわかった。とっさに『やります』と答えたものの、同時に、結婚もまだだった私は『年齢的に、これでもう自分の子どもは持てなくなるな』とも覚悟しました」
この新訳の依頼を機に、ある新聞社の編集者が、ブロンテ愛好者であり、「私はブロンテと精神的同種族」という自負があったという河野さんを、鴻巣さんに紹介してくれた。権威的立場にない在野の女性が取り組むということを河野さんはことのほか喜んで、以後、鴻巣さんの仕事を何かにつけて応援してくれるようになった。