「もう30年は誰も住んでなくて、敷地の手前の畑に祖母や母が野菜を作りに通っていたくらい。私は子どものときから見慣れた風景だったんですけど」
「僕がすごく気に入って。井戸もあるし、吹き抜ける風も気持ちいい」
「でも、このときはまだなんかここ気になるな、っていうくらいだった」
「東京で路面店を出そうと物件探しをするなかで、どんどん存在感が増してきて。僕は和歌山、久実子も奈良育ち。東京で仕事を続けることに違和感を感じ始めていたかもしれません」
当時、丈洋さんの仕事は仕立てがほとんどで植物は仕入れが100%。種から育て成長の過程も状況も知る生産者を尊敬していたものの、自分が種木屋になるとは考えていなかった。
「でも、ここだったら植物を育てられるんじゃないかと一気に拍車がかかって。新たな土地を探して移住ということではなく、彼女のご先祖の土地を使わせてもらうことも自然に思えました。心機一転、出発はここからだと」
とはいえ、荒れ果てた土地を再生させるには時間も労力も必要だった。ふたりで門を広げ、車に泊まり込んで土地を開墾し、母屋とプレハブをそれぞれ住まいとアトリエに改修し、ようやくこの1年で完成、「塩津植物研究所」としての活動が始まった。