小さな自然を一から育てる、種木屋という暮らし。「種木屋 塩津植物研究所」を訪ねて。
撮影・青木和義
奈良の中心地から車で国道を南下する。右に薬師寺、法隆寺、進行方向に崇神天皇陵、さらにその先は大神神社に天香久山。次々と現れる案内板に古都の興趣を感じつつ1時間、橿原市十市町の集落に入ると、古い町並みの一角に突然、緑が広がった。
顔いっぱいの笑顔で迎えてくれたのは、気持ちよく日焼けした塩津丈洋さん、久実子さん夫妻だ。石造りの門を抜けると敷地には小さな鉢がところ狭しと並び、奥には数棟のビニールハウス。突き当たりが母屋とアトリエで周囲には金木犀、枇杷、梅、夏みかんなど大きな樹木も枝を伸ばしている。
一昨年、東京の東久留米市から転居してきたふたりが門の前に掲げたのは、白地にきっぱりとした黒字が清々しい「種木屋 塩津植物研究所」の看板だ。
種木屋とは、盆栽などに仕立てるための植物を種や挿し木から育てる生産者のことを言う。棚場に並べられた小さな鉢は、ふたりが丹精して育てた植物でその数は200種類5000鉢に及ぶ。
「樹木類と山野草。ほかでは扱ってないようなおもしろい植物も好きで育ててますよ」と丈洋さんが手にとったのはムクロジで、盆栽としての価値はあまり高くない。「でも、僕らはこの樹木が好きで、おもしろいと思うんです」
元来、盆栽の世界は分業で成り立っている。種木屋が植物を生産し、鉢は専門業者、最後に盆栽職人が仕上げる。
「生産者も職人もどんどん減って、盛り上がっている業界とはいえません。僕はもともと盆栽を仕立てるほうをやっていて、奈良に来て種木屋になりました。このムクロジのように流通に乗ってない植物も見せたい。だったら自分たちで作るしかないよね、と。そしてゆくゆくは業界に貢献したい」
和歌山県新宮市に生まれ育った丈洋さんは、祖父が農家だったこともあり、物心ついたときから草木が身近な存在だった。大学ではデザインを専攻していたが、木と関わりたいという思いが募り、建築へと転じる。
「でも仕事を考えた時に家具屋さんというのもピンとこなくて。花屋、林野業も考えるなかで、あ、盆栽がいい!と、東京の親方に弟子入りしました」
3年後に独立。盆栽師として東久留米市にアトリエを構え、店舗や個人庭の植栽を手がけ、各地で盆栽教室を開催した。そこで出会ったのが久実子さんだ。彼女は奈良のこの地に育ち、地元の中川政七商店に勤めていた。
「ちょうど、日本の伝統的なものに触れたいと思っていた時で。というのも、私は子どもの頃からずっと語学に夢中で就職も海外を考えていました。でもそれがなぜかことごとくうまくいかない。なんでやろう。これはもっと日本のことをやったほうがいいってことなんかな、と考え直して地元で日本の物作りに携わっている会社に就職して。盆栽教室へ行ったのもそんな頃でした」
盆栽といえばクラシックなイメージがあった久実子さんだが、丈洋さんのモダンな盆栽を見て「こんなんがあったんや」。自分でもいくつか盆栽を育てるなか、数年を経て2回目の教室参加を機に交際を始め、東京での暮らしが始まった。結婚を意識し、久実子さんの実家へ帰省した折、ふたりは祖父が育ったというこの場所を訪れる。
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