『庭』著者、小山田浩子さんインタビュー。15の作品があぶり出す、日常に潜む不思議。
撮影・大嶋千尋
小山田浩子さんの最新作『庭』は15の短編からなっている。短編はこの4年くらいに書かれたものだが、もともとまとめようとして書いていたものではない。
「今回、一冊の単行本にするにあたって、収録作のどれかを単行本タイトルにするつもりでいたんですけれど、担当の編集の方からこのタイトルを提案されまして。確かにいろいろな作品に庭が出てきますし、それにこの言葉には全体に共通する手触りがあって、ああ“庭”ですね、と」
通読するとその意味がよくわかる。日常に繰り広げられる、とりわけ何がどうということのない、それぞれの光景。ところが、小山田さんの小説に切り取られると、それぞれに独立した世界が、同じように歪みだすのである。
「すごく身近な生き物であっても、たとえば蟻ですとか、よくよく見ると変だったりするじゃないですか。何で変であるかは私自身もよくわからない。ただ、そのわからないものを、わからないまま書こうとするから、もしかすると読み手の方も一緒に揺らいでもらえるのかもしれません」
それは、家族などの人間関係でも同じこと。芥川賞受賞作品「穴」もそうだったが、小山田作品にはよく嫁と義母の関係が出てくる。
「嫁が姑とうまくいかない、などのある種ビビッドな話題であれば、そりゃそうだ、とあっさり物語的に回収できますよね。そうではなくて、うまくやっている息子の結婚相手と義理の母親、というのを考えると、仲はいいんだけれどそれはそれで物語的に回収できないひずみみたいなものがきっとあるのではないか、と思ってしまいます。虫を見るときに感じる不思議と同じ不思議を感じるというか」
“明日がうらぎゅうだな”、ガラガラのバスで聞こえてくる老人の会話、初めて訪れる夫の実家の裏庭に咲く真っ赤な彼岸花、動物園のカメが灰色の甲羅と甲羅をぶつけあっている音、新居の寝室の窓にへばりついたやもり……ありふれた日常に紛れ込んでいる違和感。よくよく周囲を見ると、世界は変なことやものに満ちている。
「身近である度合いと不思議である度合いは反比例しないというか。感覚的に、ふと見ると、変。そういうのが私は面白い。そしてそれらと対峙するというのではなく、ただ見てその不思議さを書きたいんだと思います。意志というか、これはもう欲望ですね」
時に不穏で、時に不条理。小山田作品が描く15の日常は、時に我々が見過ごしているリアルであるのかもしれない。
新潮社 1,700円
『クロワッサン』977号より
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