『泣きかたをわすれていた』著者、落合恵子さんインタビュー。ラストの解放感に浸って静かに泣きたい。
撮影・森山祐子
以前に落合恵子さんに取材したときに、「昔、自分が読んでもらったように、今は母に絵本を選んで読んでいる」と聞き、素敵な話だと思ったのだが、現実はこんなに壮絶だったのかと衝撃を受けた。本作は、認知症の母親を在宅介護した経験をもとにした小説で、落合さんを投影したような主人公、冬子の視点で描かれている。
「これまでも多くのエッセイなどをこのテーマでまとめたけれど、なかなか書けなかった部分があって、看取ってから10年経ち、自分なりに見つめ直したかったんです。介護というのは、命にもろに素手で触るようなもので、決して美談だけでは語れません。睡眠時間を削って、トイレに行くにもすぐ飛び出せるよう扉を開けたままにしておく状況とか、母親の下半身を洗わなければいけないときのためらいとか、そういうことを経験したのは、私が生きることと死ぬことを考える予習のようでした」
冬子が在宅介護を選んでいることで、親を施設に預けている友人からは、フェミニストのあなたがなぜ古い家制度で女性に課された役割を、と批判めいたことも言われる。その友人も傷ついているのだ。でも、冬子は施設に入れることを決して否定していない。
「今考えると私にとって充実した時間だったけれど、女性に背負わせる時代に逆戻りするのは反対です。そもそも介護は、する側もされる側も、もっとオプションがあったほうがいい。どれがベストかなんて一概に言えない。どんな形だとしても介護が終わった後は悔いが残るものなんです。本来はその悔いを少しでも軽くするのが政治だけれど、今はかえって重くしている。なんなのだという怒りは、私にも冬子にもありますね」
こうした死に向かう現実を軸にしながら、落合さんが伝えたかったのは「生きること」だ。介護の後も続くストーリーの中でも、さまざまな自立した女性の選択、最期に臨む姿が展開され、どの人生も尊重したい気持ちでいっぱいになる。
「思いどおりにいかないことがあっても、可能な限り自分が納得できるよう生きていこう」という落合さんからのエールなのだ。
「私自身、73年生きてきたけれど、自分の残りページはどのくらいあるのだろう、そこに私は何を書き込むのだろうと、この本を書きながら問われた形です。今も私の中で問い続けている。あなたはどんな最期を迎えたいですか、という冬子の声が聞こえるわけで、私はそれを探っていかなくてはいけない。むしろ書き終えたこれからが、本領なのだという気がします」
河出書房新社 1,500円
『クロワッサン』977号より
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