親の死はある程度、覚悟していたつもりだ。順番的にいつか見送る時がくるんだろうと。でも、親の介護が必要になるなんて、これっぽっちも考えていなかった。なんて浅はかだったのか。歳をとれば、遅かれ早かれ誰かの手を借りなくては生活できないときがくる、至極当然のことなのに。ところが、私には変な自信があったのだ。うちの親に限ってそれはない。もしかしたら、そんなことは考えたくなかっただけなのかもしれない。
だから、できないことが増えていく親を見るたびに、イライラした。そのうちそれは怒りに変わり「もー、しっかりしてよ!」を連発してた。今思えば、親だって、必死に老いと戦っていたのだろう。
子どもとして、親の老いを受け入れるのは、せつなさとの戦いだ。頼りになった頃の姿ばかり思い出しては、悲しくなった。
老いは誰にでも平等に訪れるもの。父も母も親としての威厳を保ち、長い間がんばってくれたじゃないか。もう親の役目から解放されてもいいんじゃない? そう思えた時、親の老いを受け入れられたように思う。目の前にいる高齢者は、私の親に変わりはない。気負わず、飾らず、人間臭く。こんな親も、なんだか愛しい。