『極夜行』著者、角幡唯介さんインタビュー。太陽、星、月、闇。その本質を捉える冒険。
撮影・土佐麻里子
極夜とは日中でも太陽が地平線から姿を見せない現象のこと。極地に近い場所では、半年近くも闇に閉ざされてしまうという。探検家の角幡唯介さんは“真の闇”を体験し、その後やっと地平線から昇る“本物の太陽”を見たときに何を思うのかを知るべく、冬の北極を1匹の犬とともに4カ月かけて旅する計画を立てた。4年間数度にわけて食料や燃料を探検ルートの要所要所に備蓄するなど、入念な偵察を行ったうえでの冒険だ。
「昔の人が自然をどう捉えていたか。いくら文献で調べても、自分の体験として語れないわけですよ。けど、極夜という環境へ行ったなら、古代人と共通する感覚を味わえるかもしれない。ギリシャ神話などもリアリティをもって読めるんじゃないかと思いました」
星を見つめながら黙々と歩くうち、“かなりどうでもよい一大銀河絵物語”が脳内で繰り広げられたり、双子座を見るたびに妻子を思い出したり、月が明らかに女性的存在と感じられたことなども描かれている。人工の光があふれる生活の中では得られない感覚だろう。
「真っ暗で寒いという外の環境をただ書くだけでは極夜の本質は伝わらない。その環境を受けて自分の内面がどう反応したか、何が立ち上がってきたかを書かなくてはと思いました。寝袋に入っていても、うまい表現を思いついたら、バッと起き上がって書き留めたりして。自分のこの体験を伝えるにはどんな言葉を選べばいいのか、かなり考えましたね」
時折ユーモラスな筆致も交じる本書だが、彼の置かれた状況は絶望的にすさまじい。零下30℃、GPSはなく、頼みの綱の六分儀は出発早々ブリザードに吹き飛ばされ、食料も枯渇寸前。狩りをして食いつなぐが、そう簡単に獲物は見つからない。そもそもこれはすべて真っ暗闇の中の出来事、今自分がどこにいるのかさえおぼつかない状況を想像できるだろうか。
「いざとなったら、旅の相棒である犬を食う選択肢もありうるんだということまで考えました……」
筆者が過酷な体験の果てに得たものを、私たちは居心地のよい明るい部屋で読むことができる。実体験には及ぶべくもないだろうが、しかし、選び抜かれた言葉からはおこぼれというにはあまりにも贅沢なものを受け取れるだろう。
実は旅の準備期間に娘が生まれた角幡さん。冒険譚である本書はなぜか出産シーンから始まるが、旅の最後、その意味が分かる。
「私生活もぶち込んで書いたことが成功しているなら、執筆のかいがあったと思っています」
文藝春秋 1,750円
『クロワッサン』972号より
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