幕末生まれの寅次郎、2歳のときに明治維新が起こり、15歳で茶道宗徧流の跡取りとして養子に入る。東京薬学校(現・東京薬科大学)を卒業後は英仏独中の語学を学び、エルトゥールル号遭難事件に際し24歳でトルコへ。
「イスタンブールは人種のるつぼで、当時寅次郎が著した『土耳古畫觀(トルコがかん)』には様々な国の文化が入り混じっている様子が描き出されています。見るもの聞くもの知らないことばかりで、好奇心の塊だったんじゃないでしょうか」
帰国した寅次郎は製紙会社を起こし、実業家としても成功を収める。また宗徧流の家元を襲名するなど終生チャレンジ精神を貫いた。
「幸田露伴の小説のモデルになったり、身内ながら本当に魅力的な人物です。寅次郎を研究した学術書はあるのですが、親しい者として、寅次郎の人生をひとつの形にまとめて残したいとずっと思っていました。明治時代にはいろんな変革があり様々な人が活躍しましたが、市井の人である寅次郎もまたその一角に存在していたのだと」