くらし

【水木悦子さんインタビュー】父は人を楽しませることが大好きでした。『ゲゲゲの娘日記』

父は人を楽しませることが大好きでした。

みずき・えつこ●東京都生まれ。娘として、また水木プロダクションの社員として、父・水木しげるさんの国内外の取材旅行にもしばしば同行。また水木作品にも幼少のころから登場する。著書に『お父ちゃんのゲゲゲな毎日』がある。

撮影・小出和弘

“ゲゲゲの娘”として、漫画家・水木しげるさんの素顔に接してきた次女の水木悦子さん。本書では、作品のキャラクター以上にユニークな言動をする父とそれを受け入れる家族のやりとりが描かれる。

「私が話す父のことが面白いと言われて書き始めました。もともと父は人を笑わせて楽しませようというサービス精神がすごくある人で、それは身内の前でも同じでした」

なかでも、水木さんの90歳を超えても旺盛だった食欲についてのエピソードには驚かされる。

「お父ちゃんは胃が丈夫だから、いくら食べても平気だ、と言って朝からマクドナルドのハンバーガーを1.5人前ペロリとたいらげたり。甘いものも大好きで大福を2、3個平気で食べてから、夕食も普通にとっていました。亡くなる前まで『悦子、なにか美味しいものない?』が口癖でしたね」

悦子さんが高校生の時に家族でヨーロッパを旅行した際の水木さんの興奮ぶりも興味深い。

「ドイツで父の敬愛する哲学者のゲーテの家を訪問したのですが、撮影禁止とあるのに『これはお父ちゃん以外の人向けの注意書きだ』と言ってばしゃばしゃ写真を撮る。添乗員にたしなめられると一瞬従うんですが、立ち去ると後ろ姿にアッカンベーをして、また撮り始める(笑)」

そんな自由気ままな水木さんもNHKで『ゲゲゲの女房』が放映された時期は、以前より道で声をかけられることが多くなった。

「父は自宅から会社まで花を眺めたりしながら散歩するのが楽しみだったんですが、サインや握手を求められたり、時には『私の友だちが来るから一緒に食事してくれませんか』と声をかけられたり。母が『お父ちゃん、120歳まで生きようね』と言うと『周りが騒がしくて長生きできない』とこぼしていました」

本書の終章近くで悦子さんは水木さんが亡くなるまでの1年弱の日々を「お疲れさま お父ちゃん」と題して記す。水木さんの93年8カ月の人生への悦子さん流のはなむけの言葉に心打たれる。

「子どものころから父には『自分の幸せは自分にしかわからない。生きておればいずれわかることだ』と言われていたんです。きっと、父はいろいろなことを体験するなかで生き抜いてきた人だと思うんです。今でも面白くないことや、思いどおりにならないことが続いても、ここを乗り越えればいいことがあると思えるのは、そんな父を見てきたおかげですね」

KADOKAWA 1,200円

『クロワッサン』967号より

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