考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』38話 どうする出版統制?鱗形屋(片岡愛之助)「よし、蔦重。また面白え案思、考えようぜ」一方、歌麿(染谷将太)の妻・きよ(藤間爽子)の運命が酷すぎて…
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
「仙鶴堂」のルーツ
「いい度胸だな。日本橋を敵に回して書いていけると思うなよ」
反社でしょうか。いいえ、地本問屋です。
蔦重(横浜流星)の耕書堂ではもう一切書かないと断言した戯作者・山東京伝(古川雄大)を恫喝した蔦重。
作家を締め上げる脅し文句だが、蔦重は日本橋の地本問屋を取り仕切る立場ではない。
「何を勝手なこと言ってくれたんですか」。事の次第を聞いた鶴屋喜右衛門(風間俊介)は呆れて蔦重を嗜める。
今回の揉め事の発端となったのは、京伝が書いた『心学早染草(しんがくはやぞめぐさ)』の大ヒット。
蔦重は、その版元(板元)である大和田安兵衛(川西賢志郎)とは何者かと鶴屋に問うた。
大和田安兵衛は上方の本屋だということだ。
鶴屋「今は上方よりも江戸の地本のほうが商いが大きくなりましたから」
蔦重「はぁ……けど、鶴屋さんも面白くねえですよね。西の出の本屋が江戸で幅利かせてくるってなぁ」
鶴屋「いえ。うちほどの商いに育つのは50年はかかると思いますので」
この鶴屋の返事、含みを感じる。実は鶴屋喜右衛門の「仙鶴堂」は、上方がルーツの本屋なのである。
初代鶴屋喜右衛門は江戸初期・寛永年間(1624年~1644年)に京都で書物問屋を始めた。京都の本店とは別に、万治(1658年〜1661年)年間に江戸に進出。地本問屋として独立して発展したのだ。
上方から出店して江戸で50年どころか100年以上、大衆向け出版社として生き残ってきたのが、江戸の鶴屋「仙鶴堂」なのである。そのことを言わずに蔦重の言葉をニコニコと受け流している鶴屋喜右衛門、奥ゆかしいというか、人が悪いというか……。
鶴屋は笑顔で続ける。
「実に面白いですね。あの蔦重が、かつての己のような者を潰そうとするのは」
新進気鋭の商売敵に追い上げられる気持ちがわかったかなと、鶴屋が蔦重にそういう冗談を言えるような関係になったことが感慨深い。
しくじったのは蔦重さんじゃねえですか!
蔦重に「くれぐれも短気は起こさないでくださいよ」と釘を刺し、鶴屋は京伝との話し合いの席を設けた。
蔦重と鶴屋共同で京伝に年30両(現代に換算して約350万円以上)を作料とは別に定額で支払うから耕書堂と仙鶴堂を最優先で執筆してほしいというのが交渉の内容。人気作家の囲い込み作戦に出たが、京伝は「鶴屋さんだけとはいかないか」と抵抗を試みる。
「この前のことなら悪かったよ!」と凄む蔦重は、怒らないでと制する鶴屋にまで、「謝ってるだけじゃないですか!」と苛立つ始末。
交渉を続ける鶴屋だが、蔦重と京伝の間の空気は淀んだままだ。
松平定信(井上祐貴)の掲げる政策に抗う作品を求めるのが方針の蔦重に、自分はそういう柄じゃないと京伝。モテることを目的に戯作を続けてきた自分は、これからも変わらず、浮雲みたいに生きてゆきたいという主張だ。
「てめえだけよければ、それでいいのか!」
重ねて制する鶴屋の声もかまわず、詰め寄る蔦重。
「てめえがその生き方をできたのは、先にその道を生きてきた奴がいるから」「今こそ、てめえがふんばる番じゃねえのか」
京伝が言い返す。
「しくじったのは蔦重さんじゃねえですか!」
座敷を覆う重い沈黙。……あ、これはまずい。蔦重がまた京伝を殴るかもしれん。爆発寸前という空気に、鶴屋が「今日はここまで!」と割って入ってくれたのでホッとした。
鶴屋喜右衛門は、吉原出身の蔦重を「全てを遊びに変える江戸一番の利き者」だと評価して日本橋通油町に迎え入れた(25話/記事はこちら)。京伝への潤筆料を共同で出そうというのも、耕書堂を仙鶴堂のビジネスパートナーだと思えばこそだろう。
こうまで蔦重が制止に耳を貸さず、吉原者のアウトローな面をむき出しにするのであれば、そろそろ鶴屋に本気で叱られるのではないか。
というか、そろそろ叱られてほしい。
取り締まりのきっかけは蔦重
幕府から出版業界に向けて、厳しい規制が科せられることになった。
寛政2年(1790年)5月の出版統制だ。その内容は、
洒落本、黄表紙の類の新規出版を禁ずる。どうしてもという場合は奉行所の指図を受けよ。
時事をすぐに一枚絵などにして出版することを禁ずる。
好色本は絶版。
書物の奥付を義務付ける。必ず作者と版元の実名を入れること。
古い時代になぞらえての風刺を禁ずる。
華美を尽くした贅沢な印刷物を禁ずる。
……
松平定信の祖父、8代将軍・徳川吉宗(在職1716年~1745年)が行った「寅年の禁令」と呼ばれる出版統制を下敷きにし、より強化した法令となっている。
書き連ねただけでも息が詰まるような内容だ。
ナレーション「蔦重が出した黄表紙が取り締まりのきっかけとなったのは明らかでした」。
鶴屋「さて、どうしますかね……」
鱗形屋再び
鶴屋と蔦重は江戸の地本に関わる者を一同に集めた。
地本問屋、板木屋、摺師、戯作者、絵師、狂歌師……西村屋与八(西村まさ彦)さん、鱗形屋孫兵衛(片岡愛之助)さんもいる!
おひさしぶりの顔が見られて嬉しいが、出版統制が出た今、集まった皆の顔は一様に険しい。座敷はまるで蔦重の吊し上げ会場のようになってしまった。
厳しい視線が集中するなか、
蔦重「こたびの触れは間違いなく私のしくじりがきっかけ。まことに申し訳ございませんでした!」
と伏して詫び、現状の打開策を挙げた。
蔦重の案は「どうしても本を作りたい場合は町奉行所の指図を受けよ」という触れを逆手に取り、江戸中の地本問屋が一斉にありったけの草稿を町奉行に持ち込み、音を上げさせるというもの。そうすれば、出版の主導権を取り戻せるのではないか。できれば一ヶ月以内に大量の原稿を用意して実行できないかと呼びかける。
そんな早く書ける奴がいるか、無理にきまっているだろう! べらぼうが! 一斉に罵声が飛び、座敷は騒然となった。
「皆様のお力をお貸しくだせえ」と伏し拝む蔦重の声は、怒号にかき消される。
もうこれは、江戸の出版業界空中分解か──と思われたその時だ。
絵師・勝川春章(前野朋哉)「んじゃ、助太刀に行きますか」
絵師・北尾重政(橋本淳)「弟子が世に出られなくなっちまうからね」
立ち上がったのは、絵師と戯作者、狂歌師たち。
うち揃って蔦重に歩み寄り、微笑む北尾重政、
「俺たち、役に立てっかな?」
キャーーーッ先生がた、カッコいい!
粋や色気というものは大人の余裕から生まれるものなのだろう。勝川春章も北尾重政も、なんとも粋。男の色気たっぷりである。
狂歌師・宿屋飯盛(やどやのめしもり/又吉直樹)、戯作者・芝全交(しばぜんこう/亀田佳明)らも後に続き、草稿の案を練り始めた。
彼らを見つめる京伝の脳裏に、蔦重の言葉が蘇る。
「てめえがその生き方をできたのは、先にその道を生きてきたやつがいるから」。
楽しい暮らしも豊かな創作も、その道を切り拓いた先人がいてこそだ。
言葉だけでは動かなかったろう京伝に、絵師としての師匠、北尾重政がその背中で示してくれたのだ。
「蔦重さん!」意を決して立ち上がった京伝、
「俺、草稿書いてきますね」
微笑んだ蔦重、
「いっそ、そのまま使えるやつを頼むぜ。京伝先生」
大衆書籍の危機を前に、ふたりの関係が修復された。
頃よしと見計らった鶴屋が「京伝先生も書くと仰ってくださってるんですし」と地本問屋らに呼びかけた。
フッと笑って鱗形屋、
「よし、蔦重。また面白え案思、考えようぜ」
ああ、懐かしい。6話(記事はこちら)で若い頃の蔦重と鱗形屋が、アイデアを出し合って青本を作ろうとしていたことを思い出す。あの時は鱗形屋も蔦重も、本当に楽しそうだった。
全員が動き出し、座敷のあちこちでグループができて創作会議が始まる。
本が好きでこの商売をやっている人たちだものなあと心踊る場面だ。
ところで絵師たちの言葉にあった「弟子」と言えば、今回の前半、蔦重が北川重政に「今年の富本本の表紙を任せられる若手絵師はいないか」と訊ねた場面で、勝川春章の弟子・勝川春朗(かつかわしゅんろう)の名前が出ていた。
「揉め事ばかり起こしてんだけど、何すっか先の読めねえやつ」
だというそいつは、勝川春章の弟子で、唐絵(中国の事物をモチーフとした絵)や蘭画(西洋画)など、なんでも描くトラブルメーカーだそうだ。北尾重政をして「先の読めないやつ」と言わしめる勝川春朗とは一体何者か。
それはこれからのお楽しみだ。
長谷川平蔵の成長
草稿大量持ち込み作戦は、かえって重い出版制限をかけられる危険がある。
蔦重はそれを回避するため、ある人物にコンタクトを取った。
お待たせしました、長谷川平蔵(中村隼人)登場。
平蔵はこの寛政2年より少し前の天明8年(1788年)10月、御先手組弓頭(おさきてぐみゆみがしら)の加役本役(かやくほんやく)に任じられた。江戸の治安を守る御先手組の仕事に加え、放火犯や盗賊を取り締まる機動隊を率いる役職を言い付かったのだ。
加役本役はのちに「火付盗賊改方(ひつけとうぞくあらためかた)」と呼ばれるようになる。
そう。時代小説、時代劇のスター「火付盗賊改方・長谷川平蔵」が誕生していた!
蔦重は、定信に直接繋がる人物である平蔵を吉原で接待する。
「賄賂代わりのもてなしなら、受け取ることはできぬぞ」と牽制する平蔵だが、昔と同じようにシケ(ほつれ毛)を作ってきている。蔦重からの杯を飲み干し「やはり吉原はよいのう」と満足する姿は、やっぱり我らがカモ平、平蔵である。
そこに駿河屋市右衛門(高橋克実)の案内で、二人の女性が入ってきた。
吉原浄念河岸の二文字屋女将・はま(中島瑠菜)と、先代女将・きく(かたせ梨乃)だ。
おお、きくさんも久しぶり。お元気そうでよかった。そしてなんと、第1話(記事はこちら)で朝顔姐さん(愛希れいか)が弁当を「おあがり」と分け与えていた女郎・ちどりが女将になって二文字屋を継いでいる!
本名は「はま」なんだね。無事に生き延び、年季明けを迎えて女将になった。そして今、河岸で困窮する女郎たちを救うべく立ち上がったのか。
1話の安永2年(1773年)から寛政2年(1790年)まで17年。朝顔姐さんが助けたちどりが他の女たちを助ける。恩が恩を呼んでいるのだ。
さて、きくが平蔵に50両を差し出した。これは返金だという。
きく「長谷川様が騙されてくださったおかげで、河岸は食いつなぐことができました」
はま「私も今日この日を迎えられております」
平蔵はポカーンとしているが、これは第3話(記事はこちら)の『一目千本~華すまひ~』制作時のこと。
花の井(小芝風花)が平蔵に、女郎の絵姿本のトップを飾りたいからと巻き上げたあの50両だ。平蔵の金は二文字屋女将きくに渡り、二文字屋は河岸で飢えた女郎たちに炊き出しをしたのだった。
事の真相を知り「だから(一目千本に)花の井の花の絵はなかったのか!」と合点がいった平蔵。
当時、完成した『一目千本』の頁をめくって花の井モチーフの絵を探したことだろう。出資したのだから当然だ。「もしや騙されたのでは?」とならず、おかしいなあと首を傾げて終わったのか、さすがカモ平。鷹揚で可愛い。
騙されたと知っても「花の井……さすが俺の金蔵をカラにした女だぜ」と笑う。
粋は余裕から生まれると先述したが、必死に粋な遊び人ぶっていた若造が、本物の粋な男となったのだ。1話からの平蔵の成長ぶりが見事である。
さらに蔦重が利息として懐から50両を出し、駿河屋市右衛門も自腹を切って平蔵に協力を頼み込んだ。賄賂は受け取れんのだと繰り返す平蔵がついに折れる。
蔦重が平蔵に依頼した「松平定信から引き出してほしい言葉」とは──。
江戸が上方に劣るなど
定信に目通りした平蔵は、江戸中の地本問屋が大量を草稿を奉行所に持ち込んでいる件について切り出す。
定信は蔦重らが危惧したとおり、「地本問屋が仕組んだ過重な奉行所の指図」対策として、重い出版制限をかけようとしていた。
平蔵「本など上方に任せればよいと、それがしも考えます」
定信「上方?……どういうことだ」
定信がピクッと反応した。
平蔵が具申したのは、大和田安兵衛のこと。上方の本屋が江戸で本を出している。今回の出版統制によって江戸の地本問屋が新作を出せないうちに、上方の本屋が黄表紙も錦絵も作るだろう。黄表紙も錦絵も江戸の誇り、江戸の地本問屋たちは躍起になっている……。
平蔵「まぁ、くだらぬ町方の意地の張り合いにございますよ」
定信「くだらなくなどなかろう! 江戸が上方に劣るなど将軍家の威信に関わる!」
定信、もともと黄表紙ファンであるだけに、すっかり鼻息が荒くなっている。
おれたちの黄表紙を上方に奪われてなるものかという表情の定信に、ちょっと笑ってしまった。
ではどうすればよろしいでしょう、と問う平蔵に答え、定信は新たな触れを出す
ことにした。
新たな触れは、地本問屋は書物問屋と同じように株仲間を作り、その中で行司(吟味と判定をする役)を立てて草稿の改めを行うように、というもの。
奉行所に草稿を持ち込んで指図を仰ぐのではなく、自分達で相互に吟味をせよというお達しだった。
蔦重たちの狙い通りの法令改正に、地本問屋たちは祝杯を上げる。
地本問屋の株仲間に誰を入れるのかという話で、大和田安兵衛の名が挙がる。
鱗形屋「大和田ってのはどうすんだい。昔のお前さんみたいなのがいるんだろ?」
鱗形屋の言葉を聞いて、思い出し笑いをする西村屋。冒頭で大和田への蔦重の反応を面白がる鶴屋といい、かつて蔦重と対立した本屋たちの追憶の笑みが味わい深い。
大和田安兵衛との会談の場。
蔦重は大和田を株仲間に誘い、『心学早染草』問題も解決した。
江戸での出版にさして興味のない大和田から『心学早染草』の続編を耕書堂から出す了承を取り付けた。
蔦重「黄表紙ってのは、そもそも節操もねえ(略)面白えものをなんでもかんでも、心のままに放り込む。だからみんな夢中になった。読むほうも、作るほうも」
皆が面白いと思えるものを出すことこそが、黄表紙の信条。京伝は、37話(記事はこちら)で「面白えことこそ黄表紙にはイッチ大事」、それが亡き春町の思いに応えることだと語っていた。
その思いに今「言ってくれて、ありがた山」だと頭を下げることができた蔦重。
クリエイターと手を携えて前に進む。そうこなくっちゃ、だ。
逝かねえで、おきよさん
38話では、悲しい別れがあった。
喜多川歌磨(染谷将太)の妻・きよ(藤間爽子)が病に倒れたのだ。
蔦重が手配した医者は「瘡毒(そうどく/梅毒)だね」と診断を下す。
歌磨「引くまでにどれくらいかかりますかね」
医者「あのできものの具合だと難しいかもしれないよ」
歌麿の言葉を耳にした蔦重が、沈痛な面持ちで俯く。
吉原育ちだから見てきたのだ、長い潜伏期間を経て再発した瘡毒の女郎がどうなるのか。
医師で文人の橘南谿(たちばななんけい)は随筆『北窓瑣談(ほくそうさだん)』(文政12年/1829年)で「遊女は上級・下級関係なく、みな瘡毒にかかっている」と記した。
体を売らねば生きてこられなかったきよがようやく得た歌麿との穏やかで幸せな暮らし。
それは根底から覆された。
全身に広がった病魔は、きよの精神まで侵して苦しめる。いったい何故、この夫婦がこんな目に遭わねばならぬのか。
病床のきよの姿を、歌麿は描き続ける。
絵の中のきよは苦しみなど知らぬげの、清麗な美女だ。
夫婦の様子を歌麿の弟子・菊麿(久保田武人)から聞いた蔦重の母・つよ(高岡早紀)は、惚れた男に自分のことだけ見つめてもらえることが嬉しく、安心感を得ているのではと思いやる。
歌麿は献身的に妻の看病を続けるが、時間を追うごとにきよが弱ってゆく描写が悲しい。
ある夜。きよの世話をしながら母親の思い出を語る歌麿に、喋れないはずのきよの声が。
ハッとして振り返ると縁側でこちらを見て微笑む、きよ。
「歌さん」
初めて自分の名を呼ぶきよの笑顔の美しさ。
そしてかすかに寂しげだ。
この姿が見えるのは、きよの魂のほとんどがあちらの世界に旅立ってしまっているからなのか。
それを悟った歌麿が、病床のきよを抱きしめる。
「逝かねえで、おきよさん……お願いだから」「俺にはおきよさんしかいねえの……置いてかねえで。ずっと見てっから……」
歌麿の体に腕を回す力はもう無い。
歌さんを置いていきたくないと、その目から零れる涙が語っている。
成仏できねえよ
菊麿から報せを受け、歌麿の家に駆けつけた蔦重が目にしたものは、きよの亡骸と、妻の顔を描き続ける歌麿の姿。
歌麿の伸びた髭と月代、虫の羽音、部屋中に何枚も何枚も散る同じ構図のきよの似顔絵が、亡くなってから長い時間が経ったことを伝えてくる。
一瞬、九相図(くそうず)を連想する。だが、九相図は美しい体が朽ちてゆく姿を追うことにより肉体の儚さを説き、執着を捨てるための仏教画だ。
歌麿の絵の中のきよの姿は変わることなく、亡き妻への愛着を深めてゆくのだから全くの別物である。
蔦重は歌麿の傍に腰をおろし、ゆっくりと語り掛けた。
「大変だったな……気持ちは痛いほどわかるけど、旅立たせてやんねえか。おきよさん、成仏できねえよ」
歌麿に寄り添い悲しみを共有し、きよを弔うよう説得するが、歌麿は現実に戻って来られない。狂気の中で自傷行為に及ぶ歌麿を抑え、蔦重は弟子たちに亡骸を運び出すよう命じる。暴れる歌麿、その拳を受け止める蔦重。
蔦重「生き残って命を描くんだ。それが俺たちの天命なんだよ!」
めぐる因果は恩がいい、恩が恩を呼ぶめでたい話を繰り返し描いてきた本作だ。
このまま悲惨な話だけで終わるはずはない、明るい未来を信じさせてくれる物語だと信じたい。
次回予告。「白河の清きに魚住みかねて」教科書で読んだやつ。身上半減、厳しい。そうだ、歌麿にはこの人がいた。つよさん、お願い。歌麿を癒してやってほしい。鶴屋「ほんとそういうところですよ!」誰に怒ってるの? 蔦重?
「火付盗賊改方、長谷川平蔵である!」 痺れる名乗り。
39話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、染谷将太、橋本愛、古川雄大、井上祐貴 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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