考察『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』21話 松前藩主・道廣 (えなりかずき)衝撃の宴、恋川春町(岡山天音)の怒りに荒れる宴「俺たちは、屁だ!屁!屁!屁!」(狂歌解説付き)
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
これアカン人間だわ
しょっぱなからお詫びである。21話のレビューは5歳児が喜びそうな下ネタだらけになってしまう。蔦重(横浜流星)主催の江戸文化人酒宴に真摯に向き合った結果とご理解いただきたい。
下ネタの宴について取り組む前に、恐怖の宴を催した男に触れておこう。
松前藩(北海道松前郡)8代藩主・松前道廣(みちひろ/えなりかずき)、太平の世にあって「遅れてきたもののふ」の異名を持つ男。
一橋治済(生田斗真)、田沼意次(渡辺謙)を招いた豪奢な酒宴の座興にと道廣が銃で狙い撃つのは、縛り付けた女性の頭上の的! 恐ろしさに泣き叫ぶ女性と、必死で妻の命乞いをする家臣。
狙撃を中断したのは情けを覚えたからではない、夫婦が失神したので興を削がれたのだ。
人の苦しむ姿を面白がり、命を弄ぶ。これアカン人間だわ。アカン人間を演じるえなりかずきが現れちゃったわ。
趣味の悪さに渋い顔をした意次が目を留めたのは、床の間に飾られた異国の服、蝦夷錦だ。
中国大陸で作られ、サハリン(樺太)を経て蝦夷に住むアイヌ民族へと渡り、松前藩が交易で入手したものだろう。蝦夷では米が取れなかったので、アイヌとの交易が藩の財政を支えたのだ。
砂金、毛皮、大陸からの輸入品といった交易で得られる富を独占していたため、外様大名(関ヶ原合戦後に徳川家に臣従した大名)松前藩の石高は1万石だが、内実は遥かに豊かであったらしい。
意次に仕える用人・三浦庄司(原田泰造)が蝦夷を「どれだけ広いのかわからないほど広い」と形容していた。当時は正確な地図がなかったのだ。
伊能忠敬が蝦夷地測量の旅に出発するのは、この天明2年(1782年)の18年後、寛政12年(1800年)である。
ロシア研究書『赤蝦夷風説考』(工藤平助)に刺激を受けた三浦は、ロシアが日本と交易を希望している、豊かな鉱物資源も眠る蝦夷を幕府の直轄領にすべきだと、意次に説く。
意次も松前藩より蝦夷を召し上げようと大乗り気となるが……。
いや……いやいやいや。北辺に巣食う鬼・松前道廣から収入源を取り上げようとするなど、火事場に裸で突っ込むくらい危険ではないかと思ってしまう。
道廣の残忍さと、次期将軍の実父である治済との昵懇ぶりを目のあたりにした意次は、蝦夷地に手を出すことを躊躇する。
だが、10代将軍・家治(眞島秀和)は意次の背を押した。この先、どんな者が将軍になろうと揺るがぬ幕府を作るために必要ならば「やるべきであろう」と。
意次の嫡男・意知(おきとも/宮沢氷魚)も、父の大望実現のために動く。事業に明るい平秩東作(木村了)と幕臣の勘定組頭・土山宗次郎(栁俊太郎)の仲介で、松前藩の元勘定奉行・湊源左衛門(信太昌之)とコンタクトを取った。松前藩を追われた湊の話によると、松前道廣は非道な政を行っているだけでなく、ロシアとの抜荷(密貿易)にも手を染めているらしい。意知は、抜荷の証拠を掴み、それを理由に松前藩から蝦夷地を召し上げてはどうかと父に提案した。
松前道廣を追い詰める計画には危険が伴うと判断した意次は、意知にはここで退くよう告げる。しかし、父の役に立ちたい意知は「ご案じなく。うまくやりますよ! 」と意気込むのだった。
大丈夫かなあ、意知。
花魁・誰袖が輝いた
意知を松前藩元勘定奉行・湊と引き合わせるため、土山宗次郎は吉原狂歌会を催した
ここで花魁・誰袖(福原遥)が輝いた。桜の化身(by大田南畝)のような愛らしさで、集まった皆をうっとりさせる。馴染み客である土山からの、プレゼントした紙入れ(小物入れ)は使っているかという質問に狂歌で返した。
忘れむとかねて祈りし紙入れのなどさらさらに人の恋しき
(忘れたいと常々神に祈っていたのです。でもどうして更に、紙入れを贈ってくださった人が恋しいのでしょう ※紙入れの紙と祈る神をかけた)
この狂歌は諸説あるが、以下の二首の本歌の合わせ技ではないだろうか。
忘れなむと思ふ心のつくからにありしよりけにまづぞ恋しき(古今和歌集/詠み人知らず)
(忘れてしまおうと思うと、すぐに前よりも恋しくなってしまうのだ)
多摩川にさらす手作りさらさらに何ぞこの児のここだ愛しき(万葉集/詠み人知らず)
(多摩川にさらしている布のように、どうして更に、思い人をこんなにも恋しいと思うのだろう)
蔦重にグイグイ迫っているときはわからなかったが、誰袖、かなり教養がある。さすが花魁と感心していたら「紙入れの中がすっからかんで、寂しうありんす。うふ」と、紙花(チップ)をおねだりする。これまた、さすが花魁……。馴染みの客に「ぬしさんが好きです。ぬしさんのお金も好きです」と伝えている。女郎として魅了してもガチ恋に発展させない。疑似恋愛が基本の色里では、正しい花魁の姿勢かもしれない。
ふと、誰袖の目が意知を捉えた。あれはどこの誰か、どんな人物か。座敷の隅に控えていた志げ(山村紅葉)にそっと目配せし、意知と湊の会話を盗み聞きさせた。
後日、誰袖は意知を呼び出して、取引を持ちかける
吉原には、松前藩の人間や蝦夷地の物産を扱う商人が客としてやってくる。彼らから松前藩抜荷の証拠に繋がる話を聞き出しましょうかと。スパイとして働く代わりに、
誰袖「わっちを身請けしてくんなんし」
意知に一目ぼれしたってこと? 誰袖ちゃん、こうと決めたら手段を選ばず一直線なんだね。頭が良くて猪突猛進、誰袖の恋はどうなるのか。
誰袖と意知が出会った狂歌会では、他にも気になる狂歌が詠まれたので記しておく。
地にあらば君が草履とならばやと祈る心のたけの子のかは(駿河屋女将ふじ/飯島直子)
(地に在るならあなたの草履となりましょうと、心のたけをこめて祈る子であることかなあ。※心のたけ、とタケノコのタケ、感嘆の疑問「かは」とタケノコの皮をかけている)
「地にあらば」で、楊貴妃と玄宗皇帝の悲恋を描いた白居易の漢詩『長恨歌』の一節「天にありては願わくば比翼の鳥となり、地にありては願わくば連理の枝とならん」を連想させる。長恨歌を引用してあなたの草履になりたいわと献身的な恋を語っているのは、一体だれ? と思ったら、ありったけの思いをこめて祈っているのはタケノコの皮だった──よく知られた漢詩ベースの上の句で興味を引き下の句でオチをつけ、クスッと笑わせる。ふじさん、おみごと。
お前さんには「そう来たか」がお似合い
狂歌を流行らせて大田南畝(桐谷健太)の狂歌集を出そうと企画した蔦重だったが、南畝は「既に複数の地本問屋から声がかかっている、今は無理」だと、色よい返事をもらえない。
「こっちも取られたか……」とため息をつく蔦重。
この年、南畝が出した黄表紙本(青本)の年間番付本『岡目八目』では鶴屋喜右衛門(風間俊介)が出版した『御存商売物』が一位を獲得したのだ。その作者は、山東京伝(北尾政演/古川雄大)。絵師として「耕書堂」に出入りしていた京伝を、鶴屋喜右衛門は絵だけではなく文才もありと見込んで戯作を書かせたのだった。
耕書堂としては、作家をみすみすライバル出版社・鶴屋に取られた格好だ。
今まで戯作は書いたことのなかった京伝いわく「鶴屋さんの言う通りやったら、なんだかできちまって」。鶴屋の指図が上手いのだと。ヒット作は、担当編集者次第ということか。
戯作だけでなく、歌麿(染谷将太)のデビューを華々しく飾るはずだった『雛形若葉』も全く売れない。オリジナルである西村屋の『雛形若菜』は売れに売れている。西村屋与八(西村まさ彦)が20話(記事はこちら)で「錦絵商売はそんなに甘くはない」と言った通りだ。
歌麿が鳥居清長そっくりの絵を描いたのに、一体どうして。摺りあがった『雛形若葉』を『雛形若菜』と比べてみると、色がべったりと単調で、どんくさい印象だ。
しかし、蔦重はそれを「いい出来じゃねえか!」と喜んでいた。錦絵を見る目はまだまだ素人同然ということか。
歌麿は、京伝の師匠である絵師・北尾重政(橋本淳)にアドバイスを求めた。
重政は摺師・七兵衛(松崎啓三郎)の仕事を見せて、錦絵は摺師への指図が大切なのだと教える。こちらでも指図がポイント。職人の腕は大切だが、丸投げでは駄目だ。錦絵の奥深さとものづくりの楽しさに歌麿の目が輝く。
戯作といい錦絵といい、狂歌集の出遅れといい。老舗の本屋との力の差を感じる蔦重を、南畝が励ました。
南畝「老舗の本屋が出せないものを出せるじゃないか」「お前さんには、『そう来たか』がお似合い」
じゃあ、と蔦重が南畝に向き直る。狂歌本でなく戯作を書いてくれと。他の本屋が次々と南畝の狂歌集を出した後に、南畝の青本が出れば「そう来たか」となる。その後は狂歌の指南書を。次々とアイデアが湧いてきた。
毎度のことだが、蔦重は切り替え、立ち直りがとても速い。七転び八起きとは言うが、つまづくと同時にダッシュの姿勢を取っている。
京伝ー! うしろ、うしろ!!
絵師・歌麿の名前を売り込みたい蔦重は「歌麿大明神の会」を開催した。
戯作者、絵師、狂歌師……江戸の文化人を一同に集めた宴会で「どんな画風でも真似して描ける、人まね上手の歌麿」を宣伝すると同時に、作家の発掘、新たな出版物の芽を見出そうというわけである。
盛り上がる宴会の片隅でひとり酒を飲む恋川春町(岡山天音)の様子がおかしい。親友の朋誠堂喜三二(平沢常富/尾美としのり)が言うには、今年の番付一位を取った山東京伝の『御存商売物』は恋川春町の『辞闘戦新根(ことばたたかいあたらしいのね)』を下敷きとしているので、春町はてめえの褌(ふんどし)で相撲取られた気がしている──つまり、パクられた、と心中穏やかではないらしい。
ざっくりあらすじを並べてみる。『辞闘戦新根』は地口(洒落言葉)の化け物が人を襲う。言葉の擬人化だ。対して『御存商売物』は流行りの本や昔からの本がキャラクターとして登場する。書物の擬人化である。喜三二の言葉通り下敷きなのだが、無生物の擬人化は春町の発想なのだ。
春町の気持ちはおさまらない。鬱憤をグツグツと煮詰めているのが見て取れる。南畝と京伝の話し声は丸聞こえで、春町を刺激する。とにかく明るい京伝の笑い声に、振り返ってメンチを切る始末。
京伝ー! うしろ、うしろ!!
慌てて蔦重と喜三二がフォローに入るが、ついには南畝が『御存商売物』を『辞闘戦新根』と比較して褒め始めた。
怒りのボルテージが上がってゆく春町を演じる岡山天音が上手くて、気の毒になりながら笑ってしまう。ごめん、春町先生。
春町の様子などお構いなしで絡んできた京伝が「狂歌を詠めよめ」とせがんできた。
ついにプチッとキレた春町の狂歌三首。
今日でんと女にもてぬと焦りける人の褌ちょいと拝借
(京伝め、女にモテないと焦ってやがる。他人の作品パクりやがって)
四方の赤酔った目利きが品定め岡目八目囲碁に謝れ
(大田南畝、この酔っ払いが。作家を品定めしやがって! なにが『岡目八目』だ、囲碁界に謝れよ! ※岡目八目の語源は囲碁から)
気散じと名乗らばまずは根詰めろ詰めるも散らすも吉原の閨
(喜三二なんてペンネーム名乗るんだから、まずは戯作に集中しろってんだよ! 吉原の布団の中でばかり張り切ってんじゃねえよ)
皮肉たっぷりというか、もう罵詈雑言である。しかしこの完成度は、さすが恋川春町。
この場面で怒っているのは戯作者・恋川春町であるが「どんな絵師の絵もそっくりそのまま描いて見せる」歌麿に対して、同じように怒っている絵師もいるのではないか。今はまだ売り込み中だとしても、なんでも描けるという作風のまま大ヒットとなったら、歌麿は絵師の間で悪評が立ってしまわないか。鈴木晴信、礒田湖龍斎、鳥山石燕、鳥居清長。画面に登場していない名だたる絵師ら、クリエイターの心境を春町の怒りを通して想像する。
俺たちは、屁だ!
「てめえらなんかなあ!」怒鳴り散らし暴れる恋川春町によって、場の空気が最悪になってしまったその瞬間。「ぶぅ」。座敷に間の抜けた音が響いた。エヘヘと照れ笑いする次郎兵衛(中村蒼)。ぽかーんきょとんとした後、笑いだす一同。そこを逃さず、大田南畝が号令をかける。
「俺たちは、屁だ! 屁! 屁! 屁!」
みなで踊りながら狂歌を歌う。今回も狂歌と本歌と思われる歌を並べてみた。雅な本歌とのギャップをご堪能ください。すごい教養なのに、すごいバカ。
七重八重屁をこき井手の山吹のミのひとつだに出ぬぞきよけれ(大田南畝)
(何回も屁をこいたけど、ミが出なかったから良かったよね※井手は山吹の花の名所)
七重八重花は咲けども山吹の実のひとつだになきぞかなしき(兼明親王)
(見事に花は咲いても山吹には実が一つもならない。なんと寂しいことだ)
芋を食ひ屁をひるならぬ夜の旅雲間の月をすかしてぞ見る(元木網/ジェームス小野田)
(芋を食って屁をひる。昼ではなく夜なのだ。雲間の月をすかしっぺして眺めるのだ)
卯の花のむらむら咲ける垣根をば雲間の月の影かとぞ見る(白河院)
(垣根の卯の花が群れ咲きこぼれている。それを雲間から漏れた月の光かと思い眺めた)
芋の腹こき出でてみれば大筒の響きにまがふ屁い(兵)の勢い(智恵内子/水樹奈々)
(芋を食べて腹から出てきたのは、大砲の響きのような勢いある屁であった)
わたの原こぎ出でてみれば久方の雲居にまがふ沖つ白波(藤原忠道)
(大海原に船で漕ぎ出すと、沖に雲と見まごうような白波が見えた)
狂乱の宴は止まらない。春町の怒りなど、もう誰も気に留めていない。無力感に襲われた春町は矢立てから筆を取り出し、バッキリ折った。
春町「恋川春町。これにて御免」
これがほんとの断筆宣言……。才能ある戯作者が、蔦重の前から去ってしまった。
次回予告。皮肉屋の恋川春町。えっ、断筆宣言からリカバリーする道があるんですか? あるんだよ、筆なんて懐からいくらでも取り出しちゃえ。喜三二先生、いい人だなあ。ボンボン意知、誰袖にすごまれる。酒上不埒誕生。酒癖悪っ!
22話が楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』
公式ホームページ
脚本:森下佳子
制作統括:藤並英樹、石村将太
演出:大原拓、深川貴志、小谷高義、新田真三、大嶋慧介
出演:横浜流星、生田斗真、高橋克実、渡辺謙、染谷将太 他
プロデューサー:松田恭典、藤原敬久、積田有希
音楽:ジョン・グラム
語り:綾瀬はるか
*このレビューは、ドラマの設定をもとに記述しています。
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