『ふたり 救われた女と救った男』著者・斎藤明美さん「自らたぐりよせる運命もあるのだと思う」
撮影・青木和義 文・越川典子
「どうして私がこのふたりの子どもになったのか、今でも考えるの」
ふたりとは、昭和の名優・高峰秀子さんとその夫、映画監督であり脚本家である松山善三さんだ。
斎藤明美さんは、両氏と20年の交流ののち、2009年に養女となった。昨年、高峰さん生誕100年にあたり、大きなプロジェクトを立ち上げた。
「東京タワーで大特別展。着物展。写真展。言葉展。上映会&トーク。写真集や復刻版などの刊行……終盤になってようやくこの『ふたり』を出版できました」
抱いて寝たいくらいかわいい本。ずっと作りたかった本。
「ふたりだけの写真をつめこめるだけつめこみたかった。片や映画1本の出演料が20代で100万円の女優。片や月給1万2500円の助監督、しかもサード。無謀にも交際を申し込んだ男と、その誠実さ、素直さ、人柄を見抜いた女と」
3カ月で別れるといわれた格差婚は、その後、56年続いた。
「高峰は女優である自分を何者とも思っていなかった。生涯で学校に行ったのはたった2カ月だけの自分に、辞書の引き方、掛け算や割り算を教えてくれたのが松山。松山も、骨董や絵画、着物の世界と、全部教えてくれた高峰は自分の先生だったと話していました。ふたりを、私はとうちゃん、かあちゃんと呼んでいたのですが、あるとき、高峰が『神様がかあちゃんをかわいそうだと思って、とうちゃんと会わせてくれたんだね』と言ったときは、はっとしました。高峰は、松山の中に“楽園”を見ていたのだと思います」
こんな人には二度と会えない、互いに思えた稀有なふたり
5歳から映画の世界に入り、ドル箱女優として養母と何十人もの親戚の生活を背負いながら、好きになれない仕事にそれでも誠実に向き合ってきた高峰さん。出演映画300本、著作26冊。国内外、年齢性別を問わず、今もなお高峰さんを敬愛する人は多い。
「高峰が作家の三島由紀夫さんと対談したとき、異性を選ぶ基準がわからなくなったと言われ、こう答えたそうです。『私は、その人の肩書や財産、着ているものも全部はぎとって、それでも好きかどうか考える』と。実際、高峰の人を見る目はすごかった。相手の肩書など、一切気にしなかった。好きな人は好き、嫌いな人は嫌い。一方で、こんなに人間の情を知っていた人はいませんでした」
それがわかるのは、斎藤さんが編んだ『高峰秀子ベスト・エッセイ』(ちくま文庫)だろう。どの随筆からも、高峰さんが人間の何を見て、何を尊んでいたかが読める。数多ある随筆からこれらを選んだ斎藤さんの視点が、まさに高峰さんと酷似していることに気づく。たしかに、斎藤さんは、この人の娘なのだとわかる。
最後に聞いた。あなたが養女になった理由、わかったでしょうか。
「……そりゃ、やっぱり私が可愛かったからでしょうねえ。あ、ここ、笑うところですからね」
『クロワッサン』1135号より
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