『わたしの農継ぎ』著者、高橋久美子さんインタビュー。「畑は人間が生き物の根源に戻れるところ」
撮影・黒川ひろみ
「畑は人間が生き物の根源に戻れるところ」
本誌この号が出る頃には、高橋久美子さんのみかん畑では収穫が済んでいるだろう。東京で執筆を、実家のある愛媛で農業に携わる二拠点生活を送って5年。本書は高橋さんが新しい農のかたちを模索し、さまざまな課題と向き合い奮闘するリアルタイムの記録だ。
「今年は暑すぎてみかんの収穫量が本当に少なくて、例年の10分の1くらいで」。愛媛と聞けばみかんがたわわに実る温暖なイメージ。何でも豊かに作れそう、しかしその想像は実に甘いと本書を読むとよく分かる。
前作『その農地、私が買います』(ミシマ社)では、高橋さんが故郷の風景を太陽光パネルから守ろうと、地域の事情と闘う姿が描かれた。本作では彼女に共感する仲間も増え、地元の人も〈「やっぱり地域に若い人が出入りするのはいい」と言ってくれるようになった〉。
おお、いい感じに土壌が育ったのね……と思いきや次は獣害に悩まされる。猪、モグラ、そして猿。
「この10年ほどで、人間がやってきたことのしっぺ返しが来たと痛感します」。人間が山に実のならない針葉樹を植えすぎ、山の手入れもしなくなり、猿が降りてきた。
〈猿、猿、猿。どちらを向いても猿である。作っても作っても食べられる。〉
「もう私の住んでいる地域では、人間より猿のほうが多い。栄養がよくなり出産回数が増えたんです」
罠猟の講習会に出席するが、罠にかかった猿をどうするかで皆が悩む。機械で電気ショックを与える、あるいは手で……。どれもしんどい。近距離で対峙するより、遠くから猟銃で撃つほうがまだ気が楽かもとは思いきや、
「猟師さんから聞いたら、撃ったあと肩にシュッて抱えると、子どもくらいの重さで『それがつらいんだよね』って」。自治体規模で対策してほしいが、その道も険しい。
「でも熊が出ないだけマシかも」
農に携わり気づいたこと、自分も自然の流れの一部。
酷暑に長雨に困り、雑草に悩み、畦道の維持のため石積みも学ぶ。疲労の溜まるなかで、畑から戻った高橋さんと仲間たちは〈ちょっと曲でも作ろうか〉とギターを持ち出し、歌詞を書いて歌うのだ。その情景のうつくしいこと!
「一緒に汗を流していると、少し恥ずかしいとかそういうのも流れていくんです」
こうして農に携わることで得られるものはなんでしょう。
「いちばんは、自分も自然の中の流れの一つなんだなと思えるようになったこと。それですごく気が楽になりました」。生き物としての根源みたいなところに戻れるのが畑だと語る。
「都会から誰かを呼んだ時、畑で少し手伝ってもらったり、おにぎり食べたりするだけで、皆『なんか晴れ晴れとする』と言う。やっぱり土って必要だよなって。誰かがこういう居場所を守っていくことで、日本全体の平穏とかそういう部分を守れるんじゃないかと思える。それが希望の光ですね」
『クロワッサン』1132号より
広告