考察『光る君へ』40話 一条帝(塩野瑛久)辞世の歌の「君」とは?「なにゆえ女は、政に関われぬのだ」中宮・彰子(見上愛)の憤りが道長(柄本佑)に届かない
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
罪のない恋なぞつまりませんわ
藤壺での彰子(見上愛)主宰『源氏の物語』鑑賞会は、定期的に開催されているようだ。もちろん一条帝(塩野瑛久)ご臨席のうえで。宰相の君(瀬戸さおり)が朗読しているのは33帖『藤裏葉(ふじのうらば)』。
「帝のおんかたちはいよいよ年と共に整われ、光る君と瓜二つにお見えになりますが……」
光源氏39歳。紅葉が美しく染まった秋の六条院に、源氏の兄・朱雀院と冷泉帝が揃って行幸し、華やかな宴が催される。冷泉帝は実は光源氏と藤壺の宮の不義の子……つまり実の親子 なので、成長とともに光源氏と瓜二つとなってゆく。そばに控える中納言──光源氏の嫡男・夕霧とも似ている。冷泉帝と中納言は実は兄弟なのだから。
和泉式部(泉里香)「華やかな宴の様子を延々と語りながら、秘かに父(光源氏)を同じくする帝と中納言でしめくくるなんて、お見事ですわ!」
一条帝「華やかで、しかも恐ろしいの」
栄華の底にある過去の秘密、それがじわりじわりと表に染み出す描写が確かに恐ろしい。
敦康親王(片岡千之助)が、
「藤壺は光る君を、まことはどう思っていたのであろうか」
「藤壺は光る君を愛おしんでいたと思うことにします」
など、物語の感想に寄せて、意味ありげな言葉で彰子に畳みかけてくる。父帝も公卿も揃っている前で大胆な……若さと情熱にやんごとなきお生まれが加わると、こうも怖いもの知らずになるものか。少年時代の光源氏そのものだ。
「不実の罪は必ず己に返ってまいりますゆえ」
道長(柄本佑)が釘を刺す。冒頭からスリリングな展開……! ピリッと走る緊張に、和泉式部が楽しそうに「されど左大臣様、罪のない恋なぞつまりませんわ」。そこに赤染衛門(凰稀かなめ)が合わせて「まことに、さようでございますね」「人は道険しき恋にこそ燃えるのでございます」。ウフフと笑うふたりに藤壺の空気が和んだ。
和泉式部は天然だろうが、赤染衛門は計算かもしれない。いずれにせよ、二大女流作家は頼りになる。
苦悶の泥沼に叩き込む
夜が更けて、ひとり執筆するまひろ(吉高由里子)。
「誰も千年の松にはなれぬ世では……」『源氏物語』36帖「柏木」だ。
光源氏48歳。彼の妻である女三宮に恋をし、密通した若者、柏木は、光源氏に事が発覚したことを知って恐れ慄き、病に伏してしまう。病状は重くなる一方で、柏木はこれが最期と女三宮に別れの手紙を送る──。
まひろがここまで書いたとき、灯がふっと消え、漂う煙をまひろがじっと見つめる。
この先、『源氏物語』はこう続くのだ。
瀕死の床の中、震える手で書いた柏木からの女三宮への別れの手紙には、
いまはとて燃えむ煙もむすぼほれ絶えぬ思ひのなほや残らむ
(もう最期かと思われます……私の体はもうすぐ燃えて消えます。その煙は燃えくすぶって、この思いと共に残るのでしょう)
とあった。これに対しての女三宮の返歌は、
立ち添ひて消えやしなまし憂きことを思ひ乱るる煙くらべに
(私も一緒に煙となって空に立ち昇り消えてしまいたい。私の苦しさとあなたの苦しさとを競うのです)
……このやり取りとなる。道ならぬ恋に苦しみ、愛しい女性が産んだ我が子──薫に会うこともできず柏木は息絶え、女三宮も光源氏が止めるのも聞かず出家してしまう。光源氏はかつて己が犯した罪を抱えるように、不義の子を抱くことになるのだった。
まひろ「罪を犯した者は……」
自分と道長とが犯した不義を物語の中に仕込んで、まるで自分たちを罰するかのように登場人物を苦悶の泥沼に叩き込んでゆくのだ。
まさか崩御とは
寛弘8年(1011年)。民の生活を思い、倹約を心がける一条帝を、彰子が「主上は太宗皇帝と同じ名君でございます」と讃える。妻が新楽府を学んでいると気づいた帝は喜び、ふたりの愛は更に深まるが、病が帝を襲う。
帝は公の場でも体調不良を隠せなくなった。御前を下がる道長の表情は読めないが、少なくとも主上の心配をしている様子はない……。
そして日記(『御堂関白記』)にこう記す。
「主上は尋常ではあらせられない すこぶる重くお病みなされた」
じっと考える道長、カラスの鳴き声が不吉に響き渡る。
内裏で易筮(えきぜい/占い)をしているのは、赤染衛門の夫・大江匡衡(おおえのまさひら/谷口賢志)だ。匡衡は道長に、占いには世が変わる、崩御の卦が出ていると告げる。そのやり取りを一条帝が見ている。『権記(ごんき/藤原行成の日記)』にも、道長が占いの結果を聞いて涙を流しているのを帝が御几帳の帷の隙間からご覧になって、ご自分の病状を察してしまわれた。そしてますます御病が重くなった……と記されている。
史実もドラマも、重病人のすぐそばで本人の命に関わることを話すなよ、デリカシーないなあ! わざとか? わざとなのか? とツッコんでしまった。
柄本佑演じる道長は涙を流す代わりに、
「ご譲位はあるかと思っていたが、まさか崩御とは」
静かだが突き放したような口調に、ゾクッと背筋が寒くなる。
ファーストサマーウイカの台詞のテンポ
譲位の準備をという陣定での道長からの提案に、実資(秋山竜次)は「帝はまだお若い!」と反発する。32歳だ、確かにお若い。四納言のうち俊賢(本田大輔)、斉信(金田哲)、公任(町田啓太)は道長の意を汲むが行成(渡辺大知)はじっと考え込み、何も言えない。
父帝の体調不良を知り、己の将来への不安を口にする敦康親王に対して清少納言(ファーストサマーウイカ)が、「亡き皇后・定子様(高畑充希)のお忘れがたみ、敦康様以外のおかたを帝が(東宮に)お選びになることなどございませぬ」と力づけ、敦康親王の後見・隆家(竜星涼)が先走るなと彼女を諫めた。
ここで、おお……と感嘆したのだ。ファーストサマーウイカの台詞のテンポ、語尾の調子。清少納言が年を取っている。まひろ役の吉高由里子もそうだが、少女時代の芝居から徐々に、自然に年齢を重ねた演技をしているのだ。
昔から『枕草子』を読むたびに、このあと清少納言はどんな人生を歩んだのだろう、定子亡き後、どういった年齢の重ね方をしたのだろう? と想像を膨らませていたので、ファーストサマーウイカがそれを表現してくれて嬉しい。
「君を置きて」の「君」とは
陣定では発言しなかった行成だが、道長と四納言との談合では真っ先に口を開いた。
行成「次の東宮は第一の皇子(敦康親王)であるべきと心得ますが」
他の三名は道長の孫である敦成親王(濱田碧生)一択となるが、行成には無理に歩調を合わせずともよいとなった。道長の前から退出した後、
公任「おそらく崩御の卦も出ておるのだろう」
行成「言霊を憚って道長様は口にされなかったのだと思います」
言霊。言葉そのものに霊的な力があると信じられた当時、不吉な言葉を発すれば現実のものとなってしまうからという行成の指摘に、
斉信「お前(崩御と)言ってしまったじゃないか」
公任「いけないいけない」
ミスったとは全く思っていなさそうな公任。その会話の後に力強く「崩御」と口に出す俊賢。へええ、俊賢は肚決めてるんだなあという顔の斉信。
40話のサブタイトルは「君を置きて」。後述する和歌の一節であるが、この場面で他の意味合いも感じた。「君」とは様々な意味があり、そのひとつは君主、天子。病に苦しむ一条帝とその意志を置き去りに、廷臣たちの思惑が動く。
そして一条帝は譲位を決心し、道長に東宮・居貞親王(木村達成)との対面を望んだ。
居貞親王「帝はそれほどお悪いのか」
隠しきれない喜びが見えて不謹慎な……と言いたいところだが、帝が在位25年なら、この人も東宮として25年を過ごした。帝よりも年上の彼が、帝となって世を治めたいと待っていたとすれば長すぎる年月だ。
そして居貞親王の妃、道長の次女・姸子(きよこ/倉沢杏菜)の買い物熱が上がっている。道長は、左大臣として、父として姸子の贅沢を戒めるが、政略結婚の道具となったのだからこれ以上我慢はできないと口ごたえされる。まあ、そりゃそうだ。我が子がみんな親の意のままに動くと思ったら大間違いである。
行成の答え
行成を召して一条帝は、敦康を東宮にするよう、左大臣に進言してほしいと願った。行成は長く蔵人頭として一条帝の側近であったゆえに信頼されている。しかし、行成の答えは、
「敦成親王様が東宮になられる道しかございませぬ」
清和天皇の前例を出し、朝廷における外戚の強さを説く。ずっと敦康親王が東宮になるべきだと考えていた行成だが、たとえそうなったとしても道長の「敦成親王を東宮に、帝に」という動きは止まらないであろうし、四納言ほかの公卿、参議たちもその願いをかなえようと動くだろうと、考えを改めたのだ。重病の一条帝が世を去った後は、強い後ろ盾を持たない敦康親王が孤立する未来しか見えないのだ。一歩間違えれば政変が起こりかねない。自身も公卿のひとりである、政治家としての行成の進言であった。
この時のことは『権記』に記されている。文徳天皇の第四皇子であった清和天皇のほかに光孝天皇と東宮・恒貞親王の例も挙げ、歴史的な事実から鑑みてこうなのだからと、一条天皇を説得する。しかしこれらは、道長に逆らえず敦康親王にすまないという帝の懊悩を、少しでも軽くするための言葉とも思えるのだ。
渡辺大知の演技が、行成の誠実さを伝えてとてもよい場面だった。この直後の敦成親王立太子の勅旨を道長に報告したあとの、ほっ……と息をついたときの表情まで、すべて。
中宮の無念
我が子・敦成親王が立太子と聞いて、激昂する彰子。このときの様子も『権記』にある。
病の帝を追い詰めたこと、養母として慈しんだ敦康が蔑ろにされたこと、中宮である自分に無断であったこと……その怒りは、道長には通じない。
「政を行うは私であり中宮様ではございませぬ」
后を前にした廷臣の態度も、娘の心を尊重する父の思いもそこにはない。
「藤式部……なにゆえ女は、政に関われぬのだ」
悲しみと悔しさに泣く中宮・彰子。ずっと学んできた漢籍もこの憤りも、活かされる日はきっとくる。まひろとともに彰子の背をそっと支えたい。
一条帝は譲位し、新しい帝・三条天皇が即位した。同時に敦成親王が東宮に立太子。
「左大臣! 東宮様を力のかぎりお支えせよ」
彰子の言葉も表情も厳しい。政と権力は、この父と娘の関係を完全に変えてしまった。
立太子を逃した敦康親王は、失意に沈むか伊周(三浦翔平)のように憤怒に駆られるか……と思いきや、
「父上を見ていると帝というお立場の辛さがよくわかった。穏やかに生きてゆくのも悪くなかろう」
と、ほほ笑む。姉の脩子(ながこ/海津雪乃)内親王も弟の様子に安心しており、定子の遺児たちには貴人らしい品が漂う。彼らを支え励まそうとする隆家の頼もしさもあり、竹三条宮は、権力と無縁であっても怒り嘆きとも無縁だ──悔しさに震える清少納言を除いて。
一条帝の辞世の歌を巡って
一条帝が危篤状態に陥り、出家得度して剃髪した。その手を握る彰子に言い遺した
「露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬること……」
一条帝の辞世の歌は、藤原行成、藤原道長どちらも日記に記している。ただし、それぞれ少しずつ違うのだ。
行成は、
露の身の風の宿りに君を置きて塵を出でぬることぞ悲しき
(露のようにはかない存在である私が、風の宿に君を残して俗世から離れることが悲しい)
道長は、
露の身の草の宿りに君を置きて塵を出でぬることをこそ思へ
(露のようにはかない存在である私が、草の宿に君を残して出家することを思う)
ふたりの記録が微妙に違う理由は、危篤の苦しい息で遺した歌なので聞き取れなかったのか、記憶違いかは定かではない。ただ行成は『権記』で「亡き皇后・定子に御心を寄せて詠まれた」としている。なぜそう思ったのかは、定子の遺した最期の歌に、
煙とも雲ともならぬ身なれども草葉の露をそれと眺めよ
(煙とも雲ともならない身ですが、草葉の露を私だと思い眺めてください)
※皇后・定子は当時の葬送の慣例であった火葬でなく土葬を希望した。
この一首があることを行成が覚えていたからだという説がある。蔵人頭として、愛し愛された一条帝と定子の日々を間近に見ていた行成らしさが感じられる解釈だ。
ただ、このドラマの一条帝と定子、そして彰子を観てきて、こう感じた。
一条帝は死にゆく自分の手を握り泣く彰子に、愛する者に先立たれ遺される者の悲しみ──定子の臨終を知って涙した、かつての自らを重ねたのではないかと。定子への思いは生涯胸にあり、そして一途に自分を愛してくれた彰子をこの世に置いてゆく悲しみを詠んだ、そんな辞世の歌ではないかと思う。
歴史上実在した人物の思いを深く想像させ、気品溢れる帝を演じきった塩野瑛久に心から拍手を送る。お疲れ様でした、素晴らしかった。
乙丸も長生きしてね
賢子(南沙良)と双寿丸(伊藤健太郎)、辻での運命の出会い!
これはまひろと三郎(道長)、そして直秀(毎熊克哉)のリフレインなのだが……もう双寿丸を見ると「長生きしてね」しか頭に浮かばない。直秀と重なる人物が現れたら都度思っちゃう。しかし乙丸(矢部太郎)老いたね……まひろの少女時代からの従者だから当然だが。乙丸も長生きしてね。裳着の儀式を済ませた姫君の前に突然現れた若者を露骨に警戒する乳母・いと(信川清順)に、無理もないわと頷く。
そして彼が仕えるのは平為賢(たいらのためかた)だと……た、平為賢!? 双寿丸、本当に長生きしてね!? 賢子の心に爪痕だけ残すとかやめてね。頼むよ、こっちの心がもたないから!
次回予告。
帝からの関白スカウト。道長「お前との約束を果たすためだ」そんな暗い目のまま言われましても。父に抗う彰子。どうした明子(瀧内公美)。啖呵切る清少納言! 来週もフリーダム姸子! 実の父譲りの「怒ることが嫌いなの」。
41話NHK総合放送は10月27日(日)夜7時10分からです!! お見逃しなく!
*******************
NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、見上愛、塩野瑛久、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
*******************