考察『光る君へ』31話 一条帝(塩野瑛久)の心を射貫くのだ! まひろ(吉高由里子)の頭上から物語が美しく降り注ぐ歴史的瞬間。しかし道長(柄本佑)は困惑気味
文・ぬえ イラスト・南天 編集・アライユキコ
隠しきれない道長の思い
「心に浮かんでいる人に会いに行け」という安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の助言に従い、まひろ(吉高由里子)に会いに来た道長(柄本佑)。殿の邪魔をしないようにそっと離れる百舌彦(本多力)と、おかた様が心配で離れたくない乙丸(矢部太郎)、ふたりの従者の違いがよい。
左大臣・道長のお忍びコーディネート!狩衣の袖括の緒と、烏帽子から透けて見える元結が御空色(みそらいろ/明るく澄んだ薄い青色)の同系色。目立たないようにした地味な狩衣でも爽やかに、きりりと引き締める色だ。身をやつしての装いなのに、心底惚れた女に会いにくるため気合を入れてお洒落をしたのか、道長……。
そして、道長からまひろへ新しい物語執筆がオーダーされた。燃えてしまった『かささぎ語り』の代わりに、中宮様(彰子/見上愛)への献上品として……「帝のお渡りもお召しもなく、寂しく暮らしておられる中宮様をお慰め」する作品を。
『紫式部日記』では、夫・宣孝(ドラマでは佐々木蔵之介)を亡くした後、悲しみと将来への不安の中で、物語を介して生きる喜びを見出していったことが綴られる。物語を読んで友人たちと感想を述べあい、彼女自身も筆を取って創作をしたのだと。
『源氏物語』はこの頃、そうした生活の中で生まれたと考えられる。左大臣・道長が訪ねてきての直接の依頼は『光る君へ』オリジナルだが「お前には才がある」という彼のまひろへの信頼はこれまでじっくり描かれてきたので、その虚構を楽しみたい。
去り際に振り返って、まひろを見る道長の目は「今でもお前が好きだ」と言っている。それを受け取り、やや動揺するまひろ……仕事の話で来たのに、一瞬でもそういう視線を投げかけられるのは困るよねえ。
すねる公任、モテる実資
寛弘元年(1004年)の秋に、斉信(金田哲)が公任(町田啓太)を追い抜いて従二位に昇進した。このあと、公任は翌年まで参内をやめてしまう。いつまですねているのだと出仕を促すために訪れる斉信を見て、5話(記事はこちら)のこのやり取りを思い出す。
斉信「俺たちが手を組んだほうがよいと言っているのだ」
公任「それを言うなら俺より官位が上になってから言ってくれ」
公任、若き日の軽口が恥ずかしくなる展開。永観2年(984年)頃のこと。あれから20年か……みんな大人になったねえ。斉信は彰子が立后した年に、中宮関係の事務方である中宮大夫になり、そこを経ての出世である。
「俺もたまたま中宮大夫であったゆえ位を上げてもらっただけだ」
「(道長は)娘のことをお前に託したということだ」
この台詞があるが、公任は皇太后である姉の遵子(のぶこ/中村静香)の事務方・皇太后大夫を勤めており、この辺りは仕方がないというか……。
「政で一番になれぬなら、こちらで一番になろうと思うてな」と和歌・漢詩を学び直す公任は、レビュー第3回(記事はこちら)でも触れたが
小倉百人一首
滝の音は絶えて久しくなりぬれど名こそ流れてなを聞こえけれ
(滝は枯れて流れ落ちる音は随分前から聞こえないけれど、その名声は流れてきて今なお聞こえているよ)
この歌が今に伝わる。当時も勅撰和歌集に数多く彼の歌が採られた、平安時代を代表する歌人の一人である。ドラマ31話の時点で38歳。出世できず僻むのではなく、この年齢になってから学び直すのだというこの作品の公任は、貴族としての誇りを感じさせて清々しい。
あと、自宅なのでリラックスして直衣の首上を留める緒をほどいている姿も美しい。
そして意外にすみにおけない実資(秋山竜次)の新しい恋人……実資は、彼の丸いお腹を愛でた妻・婉子女王(つやこじょおう/真凛)を長徳4年(998年)に亡くしている。
日記! 日記! の桐子(中島亜梨沙)といい、妻と早くに死に別れる運命のようで気の毒なことだ。しかし婉子と同じく、今度の彼女も積極的である。すみにおけないというか、モテてますよね実資。「今日は忙しいゆえ」と御簾の内に急ぐ姿、昼下がりの情事は手慣れているようだし。
枕草子ってどう思う?
まひろがのちの和泉式部、あかね(泉里香)に『枕草子』の評価を訊ねる。
「なまめかしさがない」
「『枕草子』は気が利いてはいるけれど、人肌のぬくもりがない」
黒髪の乱れも知らずうち臥せばまづかきやりし人ぞ恋しき
(黒髪が乱れるのも構わずにこうして横たわっていると、この髪をかきあげてくれた人が恋しく思い出される)
自分の黒髪を見て熱い情事の反芻をする女……どえらく官能的な瞬間を切り取った歌である。なまめかしいどころの騒ぎではない。私はこういう人間なんですというのを含み笑いとともに告げる天才歌人。
これまで、まひろは数々の平安女性文学者と関わってきた。
「心の中は己だけのもの」という赤染衛門(凰稀かなめ)。
「書くことで己の悲しみを救った」と語った藤原道綱母、寧子(財前直見)。
定子(高畑充希)のために書き、そして光り輝く定子の姿をこの世に留めようと書き続ける清少納言(ファーストサマーウイカ)。
そして生身の体、肌の下にある血の熱と心を謳い上げる和泉式部。
彼女たちから影響と刺激を受けて、まひろは自分だけが書ける作品を模索することになる。
あかねから借りた『枕草子』を読み込み、そこにないものを書こうとする──。
どっちの妻ともうまくいかない
がらんとした藤壺、30話で一条帝(塩野瑛久)と敦康親王(池田旭陽)が遊んでいた瓢箪へのお絵描きを、独り自分でやってみる彰子に泣きそうになった。次に敦康親王が遊びたくなったときに、お相手できるように……楽しく過ごせるように。彼女は目の前のことに無関心な少女ではないのだ。
この孤独な姿、観ているだけのこちらでさえ胸が痛むのだから、父・道長そして母・倫子(黒木華)の心痛はいかばかりか……。
その道長と倫子について、中宮様からのお訊ね。
「父上と母上はどうかなさったのでございますか」
中宮様の入内後の孤独が原因だなんて、口が裂けても言えない!そしてやはり、彰子は目の前のことに無関心ではない……むしろ敏感なほうではないだろうか。
娘・彰子の心配をよそに、土御門殿での夫婦の溝は深まるばかり。
そして、高松殿は高松殿で、明子(瀧内公美)は息子たちの元服後の官位確約を道長から得ようとする。道長が今の立場を固めるのに、倫子の家・土御門殿の財力が大きかったことはレビュー30回(記事はこちら)でも述べた。
それを冷静に伝えても明子は納得できない。そもそも明子に財がないのは道長の父・兼家(段田安則)とその兄弟のせいなんですもの。そりゃムッとした態度にもなるわ。
それにしても、私の息子・道綱(上地雄輔)をお忘れなくと事あるごとに口にしていた寧子と兼家の場面と比べて、なんと後味の悪い場面だろうか。いくら明子の事情が複雑だとはいえ、愛憎激しく求めあった男女と政略結婚夫婦の差なのか。
姉上は、根が暗くてうっとうしい
まひろと惟規(高杉真宙)、姉と弟の場面はいつもよい。
酒とツマミを口にしながらの
「惟規の自分らしさってなんだと思う? 私らしさってなに?」
惟規が自分で言うようにお気楽で、姉に対して遠慮がないところが、今回の作家として自分を客観視しようというまひろにプラスに働いた。
根が暗くてうっとうしい。
怒りよりも、それだ! となるところが創作欲に支配された作家の証。根が暗くてうっとうしい、そこを活かし物語設定と登場人物を掘り下げて書く……。
まあでも、あれです。『源氏物語』ファンとしては確かにあの作品、明るい性格の人が書いたとは思ってません。そこがいいんです。
すごいな、この家
中宮様に献上する作品を書くので、それにふさわしい紙をお願いしますとまひろから連絡を受けて、権力と財力にものを言わせて最高級の越前和紙を大量に……しかも自ら持ってきちゃう左大臣様よ。
「越前には美しい紙がある。私もいつか歌や物語を書いてみたいと申したであろう。宋の言葉で」
レビュー27回(記事はこちら)で「ハイ、ここテストに出まーす覚えててくださーい」「道長はきっと決して忘れない」と書いたが、本当に彼はそっくりそのまま覚えていた。
「俺の願いを初めて聞いてくれたな」
左大臣様? みんな聞いてますよ? 従者、家人たちだけでなく、娘・賢子(福元愛悠)も聞いてますよ? 恥ずかしいなあ、もう。
ただ、いつも夜更けに六条の廃屋で人目を忍んで抱き合っていたふたりが、明るい日の光の中で皆に囲まれている姿に胸がいっぱいになる。
「左大臣様が来るのか?すごいな、この家」と驚く福丸(勢登健雄)に「すごいのよ」と誇らしげに、しかし公にはならないふたりの関係を思い、少し苦い表情を含むいと──信川清順の芝居がよい。
下書きをしたのちに、清書用の越前和紙を手に取ったまひろがなんともいえず嬉しそうだ。いよいよ『源氏物語』か!? と思ったが、文面を読んでみると、あれ。違う。あれれ。
決めた!ターゲットは帝!
完成した物語を読んで、楽しそうに笑う道長を見て(違うな……コレジャナイ)となる、まひろ。中宮様に響くかどうか、それが疑問であると。
そして本当は中宮様にではなく、帝に献上するつもりだと聞いて
「そうとなったら話は別だ!やっぱり違う、この物語じゃないわ!」と目がギラギラと輝く、まひろが凄かった。政治利用されるとかそういう問題は脇に置いてしまう。畏れ多いと慄くのでもない。とにかく読み手に作品を届けるのだ、その心を射貫くのだ!という情熱。
大河ドラマの主人公というのは、歴史に名を残すだけあって普通の人間とは異なる……はっきり言えば、一本も二本もネジがブチ飛んでいる人物がほとんどだ。その意味では、まひろという女も、ここぞという場面でネジがブチ飛んでいる。最高権力者・藤原道長が幼い頃から知っている人間だとはいえ、更にその上、雲の上の存在である帝をイチ読者としかみなしていない。ヤバい。これぞ大河ドラマのヒロインである。
ターゲットとする読者・一条帝のことを、生身のお姿を知りたい、話してくれと道長に頼むまひろ。帝とその周りのことを生い立ちから知るのに、藤原道長ほど適切な取材相手はいるまい。なにしろ帝と、帝の最愛の后・定子の双方の叔父だ。
他に知り得ない、帝とその周りのことを道長が語り尽くした頃には日が暮れかけていた。
そして昇る月。ふたりで月を見て、ふたりしか知らない直秀(毎熊克哉)のことを語りあう。
月を見上げる時、人は己の孤独を改めて知り、同時に誰かがこの月を見ているかもしれない、己は一人ではないという微かな希望を抱くのだ。
1000年読み継がれる物語の誕生
美しい紙を前にして座ったまひろに、天から光が降り注ぐ。
幼い頃から学んできた漢詩。母の死。代筆屋として市井に生きる人々のために詠んだ和歌。直秀の思い出。宣孝から受け取った言葉。皆が楽しんでくれた『かささぎ物語』。道長と交わした手紙と愛……全ての知識と経験、これまでの蓄積が、まひろに物語を書かせる。1000年読み継がれる物語──大きな河となるはじめの一滴。それが生れ落ちる瞬間の表現が美しい。
『源氏物語』は書かれた年月日も、どのように誕生したのかもはっきりとわかっていない。ただ一条帝の時代、中宮・彰子に仕える「紫式部(藤式部)」と呼ばれた女性が作者なのだということだけが伝わる。彼女が書いたのはやんごとなき人々の光と影、生身の人間の悩みと苦しみ。その物語は、我々の心を捉えてはなさない。
歌詞がよくてヒットする現代の曲にも通じるが──平成後期から令和にかけての今であれば、星野源や米津玄師がそうだろうか──傑作の文学作品は読んだ人に「これは私のための作品だ」と思わせる。『源氏物語』には愛し悩み苦しむ人々が「これは私のための」となる、その力がある。なぜなら、いつの世も明るく幸せに生きている人より、悩み苦しむ人のほうがはるかに多いのだから。
6つになった石山寺ベイビー
そして、出来上がった作品を読む道長の困惑……。
「これは……かえって帝のご機嫌を損ねるのではなかろうか」
紙の束の厚みからすると『源氏物語』第一帖「桐壺」のみか。確かに一条帝に献上するには躊躇するであろう内容だ。まひろと道長の大きな賭け。
そしてここで、賢子を道長に紹介!
「そなたはいくつだ」
「6つ」
道長、気づいたか?気づかないのか?でも気づいていなくても、間違いなく賢子に、出会ったばかりの頃のまひろを重ねているだろう。
まひろと道長のこれまでを知る乙丸、百舌彦。賢子が誰の子か察している、いと。それぞれの表情がなんともいえない。
いづれの御時にか
そして美しく装丁され、帝に献上される物語。
『光る君へ』は音楽が独特だが、31話は特に印象的だった。まひろの創作へのテンションが上がる場面、天から物語が降ってくる場面、そしてこの献上の場面でのBGM。
納品後にも「物語は生きている」と直しを入れるまひろの芝居にも流れ、物語に更なる命が吹き込まれる表現となる。
左大臣からの献上品にそっけない帝だが、書物好きゆえに好奇心が抑えきれず手に取って読み始める。
いづれの御時にか女御更衣あまた候ひ給ひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めき給ふありけり……。
さあ!帝の反応やいかに! って、ここで来週 !?
次回予告。
「殿がなぜまひろさんをご存じなのですか?」変な汗が出る倫子の台詞。おとりて何。公任、斉信、行成(渡辺大知)。6話以来のかづけものを肩にかけてる! 張り切る東宮(木村達成)。帝と中宮危機一髪! いのる須麻流(DAIKI)と、晴明「死にまする」宣言。まひろの新たな旅立ち。
32話も楽しみですね。
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NHK大河ドラマ『光る君へ』
公式ホームページ
脚本:大石静
制作統括:内田ゆき、松園武大
演出:中島由貴、佐々木善春、中泉慧、黛りんたろう
出演:吉高由里子、柄本佑、黒木華、吉田羊、ユースケ・サンタマリア、佐々木蔵之介、岸谷五朗 他
プロデューサー:大越大士
音楽:冬野ユミ
語り:伊東敏恵アナウンサー
*このレビューは、ドラマの設定(掲載時点の最新話まで)をもとに記述しています。
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