『明朝体の教室』著者、鳥海 修さんインタビュー。「文字の豊かさにもっと気づいてほしい」
撮影・北尾 渉 文・堀越和幸
「文字の豊かさにもっと気づいてほしい」
鳥海修さんはこの道45年の書体設計士である。その鳥海さんがこのたび『明朝体の教室』という本を書き上げ、第五十八回吉川英治文化賞を受賞した。
「もともと明朝体の教室という連続講座を持つ機会があり、その講義をまとめた冊子に大幅な加筆を加えたものがこの本になります」
書体設計士とは文字どおり文字のデザインをする仕事のことだ。でも、なぜ明朝体なのか?
「日本では明治から150年の歴史があり、今までの印刷物はほとんどが明朝体で組まれてきました。つまり私たちは明朝体を読むことで知識を得て、文化を創り出してきた。そういう意味でとても大切な書体だと思います」
本書ではさまざまな種類の明朝体が取り上げられ、その比較検討が盛んに行われる。例えば「十」という文字の縦線と横線の長さやコントラスト、起筆部の処理の仕方、横線の止めとなるウロコと呼ばれる部分の大きさや形状、こんな重箱の隅まで!と思えるようなところにまで心を砕くのである。
書体デザインは、熟練の技。
この世界に入ったのは、大学を卒業して、写植植字機メーカーの〈写研〉に書体デザイナーとして採用されたのがきっかけだった。
「先輩から鳥海修の3文字をレタリングしてみなさいと命じられたのですが、いざ書こうとすると、“鳥”の1画目の払いの位置も角度も長さもわからず、頭を抱えました。バランスが難しいんです」
一方先輩が筆でスッと線を入れると同じ文字の表情が一変する。髪の毛一本ほどしか足したり引いたりしていないのに、見違えるような出来栄えになる。
「1/10mmが測れるルーペでその部分を拡大しても、どこをいじったかがわからないくらいなのに」
それは熟練の技で、自分がその境地に辿り着いたのは10年以上経ってからでは? と鳥海さんは笑う。
その後、先輩と3人で〈字游工房(じゆうこうぼう)〉を立ち上げた鳥海さんは、私たちの生活にも馴染み深いヒラギノ書体や游明朝体を制作した。世の中で使われている書体はどれもが、熟練の感覚を通して商品化されるという経緯を持っている。
職業柄、街を歩いていると看板の文字が目に飛び込んでくる。
「お店の看板やのれんなどでフォントを使っていたりするとがっかりします。なんで手書きにしないんだろうと。下手でもいいから、それがそのお店の個性なのに」
歌舞伎や落語などの伝統芸能や古典の世界だけではなく、手書き文字を見る機会が増えれば、人々がもっと文字の豊かさに気づくのではないか、と鳥海さんは考える。文字の豊かさとは、すなわち生き方の豊かさと言い換えることができるかもしれない。
今年は写植が生まれて100周年に当たる。
「書体などデザインのことを言語化するのは大変なことだと今回痛感したはずなのに、次はかなの本を書き始めたくなっています」
『クロワッサン』1117号より
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