突然のことで何の
もてなしもできぬから、
せめて藁(わら)の座布団ばかりを
差し出したけれど、
この人は、片方の足は
下におろしたままの半身(はんみ)の
姿勢で、ずっと私たちの
おしゃべりにいつまでも
つきあっている。そして
とうとう、どこかから
暁(あかつき)の鐘の音が聞こえてくる
時間になってしまった。
「平安時代は我々と全然違うと思い込んでいる人が多いけれど、一つ一つの人情の有り様は今の生活に置き換えてもそんなには変わらない気がします」
と、語る林望さん。
脚注なしに読み下した独自の「謹訳」で、古典文学の新たな世界を私たちに見せてくれる林さんならではの視点から、一見すると不思議に思えるけれどその底に隠れた納得の情感が窺える、平安エピソードを聞いてみた。たとえば、当時のイケメン=色好みとして、『枕草子』第百八十一段に登場するのは……。
「ある雪の夜、昔の御殿、ガラス戸なんかない板の間で火鉢を囲んでおしゃべりをしていた女房たちのところに、夜更けに男がふらりと訪れる。差し出された藁の座布団に腰を下ろし、片足は外に出したまま一晩中女房たちにおもしろい話をして、夜明けになると男は朗々と漢詩を吟じて帰っていく。僕が想像してもすごいね、と思います。これは色好みの男の一つの典型。決して図々しくない。そしてマメじゃないと本当に務まらないんです」
悪天候の中に女房たちの様子を見るかのように訪れ、話で楽しませ、さらりと帰っていく。これは女たちの人気を集めた、というのもうなずける。