くらし

「唐津くんちのお膝元で、のびのび着物愛を育んで。」広告制作会社勤務・有我雅子さんの着物の時間。

  • 撮影・青木和義 ヘア&メイク・高松由佳 着付け・奥泉智恵 文・西端真矢 撮影協力・the usual「架空」

ほのかにポップなピンク色の草履で、着物の桜染とリンク。小物で遊ぶのが好きなんです。

「毎年秋、“おくんち”が近づいてくると、東京にいてもそわそわするんです」

コピーライターとして広告制作会社でビューティー分野を担当する有我雅子さんは、佐賀県唐津市の出身。実家は創業120年を越える老舗呉服店を営んでいる。

「ユネスコ無形文化遺産にも登録された唐津くんちでは市内14の町が曳山を出しますが、そのいくつかの町に我が家から法被と肉襦袢を納めています。一人一人採寸して、ぴったり体に合ったものをお作りするんですよ」

幼い頃、店では祖母も伯母も母も毎日着物姿。着物を空気のように感じて育った。

「私たち姉弟は普段は洋服でしたが、七五三や新年の晴れ着など、節目の時に着物を着ると、すごくワクワクしました。大学は東京へ進学したのですが、アルバイト先に選んだのは和食店。制服が着物だ、という理由です」

こうして東京での生活を謳歌していたが、11月1週目、唐津くんちの期間には必ず実家に帰った。それは今も変わらないという。

「唐津の人はみんなそうかもしれません。“おくんち”が大好きで、帰らずにはいられない。ただ、私の場合は店の手伝いもあって。実家では1カ月ほど前から女性陣を中心におもてなしの準備が始まります。当日私の担当は“揚げ方”。ひたすら揚げ物をした後は、お客様をお迎えし、曳山が近くを通る時は通りに駆け出して見物。なかなか忙しいんです(笑)」

大学卒業後は東京で就職、そして結婚。しばらく着物を着る機会はほとんどなかったが、30代半ばに変化が訪れた。

「年の近い従姉妹が二人、やはり東京で暮らしているのですが、着物を作ったから見て! とお披露目の食事会をすることになって。それをきっかけに時々着物で集まるようになりました。初めは祖母や母から譲られた着物で参加していましたが、だんだん100パーセント自分好みの着物を作りたくなって。思い切って購入した最初の一枚が今日の着物です」

従姉妹たちとの着物食事会(左、中)と神楽坂の展示会(右)でのスナップ。右写真で着ているペパーミントグリーンの藤井絞の浴衣は、特に気に入りの一枚。

長野県松本市で草木染の手織り紬『三才山紬(みさやまつむぎ)』を制作する横山俊一郎さんの作品で、透明感をたたえた淡いピンクの縞は桜、灰緑は栗と山漆で染めたものだという。

「2色の段のこの色合い、幅、そして配置、すべてが絶妙ですよね。実は実家の展示会を手伝いに行った時に、一目惚れして購入しました。帯はこの着物に合わせて探したもので、紬地に染疋田絞(そめひったしぼ)りの大胆な柄。ほかの着物には難しいかなと思ったのですが、意外と出番が多い一本です。帯揚げは淡色の無地など無難なものでまとめようとせず、少し遊び心を加えるのが私の好み。今日もややくすんだ赤で梅の花を描いた一枚を入れています」

従姉妹たちとの着物の会は、その後、大きく発展を見せる。誰からともなく「着物の楽しさを伝える場を作りたいよね」という声が上がり、神楽坂のギャラリーを借りて、『大人女子の浴衣展』と名づけた展示会を始めることにしたのだ。

「はじめの4年間は浴衣、その後3年は夏着物も紹介する会になりました。仕入れは実家が全面協力。伯母に母、従妹や弟の奥さんも唐津から応援に入り、神楽坂に買い物に来ていた人がふらっと覗いて浴衣を気に入ってくれて、お喋りが弾んだり。本当に楽しい時間でした」

残念ながらコロナ禍で中断してしまったこの会。

「また始めるかもしれません。おくんちも着物も私の人生に欠かせないもの。一生楽しんでいきたいですね」

有我雅子

有我雅子 さん (ありが・まさこ)

広告制作会社勤務

大学卒業後、化粧品会社勤務。商品開発や宣伝業務に携わる。その後、広告制作会社に転職、ビューティー分野のコピーライティングを担当し、コスメコンシェルジュ®の資格も持つ。実家は唐津市の呉服店『ゑり幸』。

『クロワッサン』1114号より

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