くらし

俵万智さんと飯間浩明さんが語り合う、辞書と短歌と変わる日本語。

辞書と短歌。自身のフィールドから日本語の魅力を発信するふたりが、
「現代語」を見つめてみたら……?
  • 撮影・黒川ひろみ 文・三浦天紗子 撮影協力・三省堂
大学に講演に来られた俵先輩に、サインをいただいたことが自慢です。(国語辞典編纂者 飯間浩明さん ・左)短歌に出合うまでは辞書を作る人になりたいと思っていました。(歌人  俵 万智さん ・右)

時代を映す言葉を採集し、辞書に反映させてきた〝言葉ハンター〟の飯間浩明さん。そして、口語を取り入れて詠むスタイルで短歌に革命を起こし、短歌の裾野を広げてきた俵万智さん。この日の対談は、飯間さんがカバンから歌集『サラダ記念日』を取り出したところから始まりました。

飯間浩明さん(以下、飯間) 俵さんが『サラダ記念日』を出版された後、母校の早稲田大学で講演会をなさったときにサインしていただいたものなんです。

俵万智さん(以下、俵) えーっ!! 大隈講堂での? 30年以上前のあのときですか?

同じ講義を受けた先輩後輩の関係。

飯間 私は第一文学部(当時)に入学し、俵さんの後輩に当たります。この歌集のことは、江戸文学の神保五弥(かずや)先生の講義で知りました。

 私も神保先生の講義を取っていました!

飯間 先生が「卒業生の俵さんという人が歌集を出したんだ。今までの短歌とは全然違う、新鮮な雰囲気なんだよ」と紹介されたんです。すぐに買って、読みふけりました。サインしていただいたのはその本です。以来、ファンなんですよ。

 ありがとうございます。私、飯間さんとはNHKの『みんなでニホンGO!』という番組でご一緒したのが最初だと思っていました。その遡ってのご縁はちょっと知らなかったのでうれしいです。
実は私も一方的に飯間さんをチェックさせていただいていました。NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』にも出演されてましたよね。
私自身も学生時代からずっと言葉に興味があり、短歌に出合わなかったら辞書を作る人になりたいくらいだったんです。あの番組で辞書を作る人の日常みたいなものを垣間見て、“わあ、こういう感じなんだ、やっぱり憧れだわ”と思って。

「三省堂」の社名は、論語の「吾(われ)日に吾が身 を三省す」に由来する。

飯間 光栄です。俵さんが登場されるまでは、短歌は一般に年配者のものと見られていました。でも、今は老若男女、立場を問わず短歌を詠み、高校生などの短歌大会も盛んです。俵さんのおかげですね。

 空前の短歌ブームと言われているようです。

色分けされたペンで、書き込みがびっしりと入った『三省堂国語辞典』の校正紙。

飯間 今回、対談の機会をいただいて、「俵さんとお話をするからには、私も素人なりに短歌を詠んでみよう」と考えたんです。歌人の伊藤左千夫も、「牛飼が歌よむ時に世の中の新しき歌大いにおこる」と言っています。辞書編纂者ならどんな歌が詠めるか、書いてみました。

 (印字された紙を受け取って)すごい。言葉の多様性について、同じ内容を万葉調、現代風など文体違いで。ひとりでこれはなかなかできないですよ。さすがですね。

飯間浩明さんによる短歌

多様性尊重せよと人はいへどことばの差異は認めずあるらし

ひとはみなさまざまにあれといふ人のなどことのはをためむとすらむ

ひとはみな違っていいという人がなぜことばだけ型にはめるの

●俵さんが寄せた講評。
「言葉の多様性という題材を、ひとりの詠み人が違う文体を駆使して書かれていて面白いですね。言葉の選び方なども含め、器用にすべてクリアしていて魅力的です」

飯間 恐れ入ります。これはいつも思うことをそのまま書いたんです。金子みすゞの「みんなちがって、みんないい」という文句は愛されていますが、その割に、ネット上には「言葉警察」がはびこっています。
言葉こそ人それぞれでかまわないはずなのに、なぜ型にはめようとするのか。私自身もSNSで言葉遣いを指摘されることがありますが、「べつにいいやん」と思います(笑)。さすがに俵さんに指摘してくる人はいないでしょうが……。

 いますよ。私も『プロフェッショナル』に出たことがあるんです。最後に「プロフェッショナルとは」と聞かれるでしょう? 歌詠みだからここは歌で答えようと思って、〈むっちゃ夢中〉で始まる歌にしたんですけれども、その〈むっちゃ〉に怒ってきた男性がいて。むっちゃというのはもともとはむちゃくちゃが語源であるから、いいほうの強調に使うのはけしからんみたいな。

飯間 その人の「マイルール」としてはそうなのでしょうね。

「言葉にはルールやジャッジ、スポーツ的発想は合わないです。」

俵万智さんの最新歌集より抜粋

我が部屋に銀杏は降らず小さめのゴミ箱さがす東急ハンズ

むっちゃ夢中とことん得意どこまでも努力できればプロフェッショナル

『アボカドの種』(角川書店)より

●俵さんの短歌に、飯間さんが寄せた感想。
「好きな歌は、と聞かれても絞りきれないのですが、本歌取りというか、俵さんご自身が以前の歌を踏まえて作ったと思われる歌を見つけると、懐かしくなりますね」

正誤にこだわる人を納得させるためには。

 生半可な反論だと太刀打ちできないと思ったので、「『とても』という副詞も、もともとは『とても〜できない』というような打ち消しを伴う使い方だったけれど、今は『とても良い』のように単なる強調でも使いますよね」と返したら、おとなしくなってくれました(笑)。

飯間 お見事です。そんなに目くじら立てなくても、と思う議論はよくありますね。「雰囲気を“ふいんき”と言うのは誤りだ、“ふんいき”と言わなければならない」とか。でも、「ふんいき」は「んい」のあたりが鼻にかかって、区別が曖昧になりやすいんです。批判している当人も、実際には「ふいんき」に近く発音しているかもしれません。

 雰囲気にこだわる人には、「あきはばら(秋葉原)」や「さざんか(山茶花)」の話をすると納得してくれるかも。

飯間 音がひっくり返る「音位転換」の現象ですね。「あたらしい(新)」が「あらたし」から来ているのもこれと似ています。

言葉の音が時代とともに変化する例。

「ふんいき」の中間の「~uni~」は鼻にかかるため、音が聞き分けにくく、「ふいんき」「ふういき」などの形が現れた。『三省堂国語辞典』では話し言葉と捉えている。

漢字で書くと「山茶花」で、もとは「さんさか・さんざか」と発音したが、後に「ん」「ざ」がひっくり返った。「したつづみ(舌鼓)」→「したづつみ」もこれと似た変化。

共に『三省堂国語辞典 第八版』より

 ただ、言ってもらってありがたいこともあります。短歌を身近に感じてもらうために、「口語だって流行語だってどんな言葉でも使える世界なのだから、そんなに敷居が高いと思わないでください」と話していた時期があるんです。すると「“敷居が高い”というのはこちらが義理を欠いているときに使う言葉だから、間違ってますよ」と言ってくださった人がいて。ちょっと調べたら、確かに誤用なのかなと思ったので、以来、「ハードルが高い」と言うようになりました。

飯間 「敷居が高い」を「とっつきにくい」の意味で使う、ということですね。これは定着していると思います。『三省堂国語辞典』では「敷居が高い」の意味を3つに分けています。元は「義理を欠いたりして、その人の家に行きにくい」ですが、「近寄りにくい」「気軽に体験できない」の意味も長く使われているので、年代とともに示しています。

 素晴らしい。辞書のこんなに限られたスペースの中で、痒いところに手が届く、行き届いた解説がされていて。感動しました。

飯間 うれしいです。こんなふうに議論になりそうなところに手をかけて作ったつもりです。多くの人は、従来の辞書には大したことが書いていないと思って、ネットで調べることが普通ですね。でも、私たちが提供できる情報はけっこうあるはずです。「辞書は役に立つんや」というところを見せたいです。

 しかもこの数行をここにカチッと書くに至るための背景、調べたり確認したりの量たるや、シロウトが思いつきでSNSなんかに書き込むのとは、もう重みが違います。そういえば、飯間さんは牧野富太郎博士があらゆる草花を採集するように、言葉を採集してらっしゃるんですよね。〈顔カプ〉ってご存じでしたか。

飯間 『大限界』にありましたね。

 顔がいいキャラクターだけをカップリングしてそれで二次創作をすることらしいです。そのほか、私はホストやアイドルなど若い人たちと歌会をしていることもあって、業界用語やオタクのマイ言語空間で知る言葉も、本当に面白いです。

ふたりも興味津々だった『オタク用語辞典 大限界』(三省堂/1,540円)。ゲーム、K-POPなどオタク用語を約1600語解説。対談内に出てきた言葉も載っていた。

懐かしい言葉たちは読者に向けたウィンク。

飯間 今回、最新歌集の『アボカドの種』をご恵送いただきました。実は自分でも買いましたので、保存用と読む用にします(笑)。拝読しながら、言葉の採集というわけではないんですが、〈東急ハンズ〉〈花いちもんめ〉など『サラダ記念日』に出てきた言葉を見つけて、懐かしくなりました。この前の歌集『未来のサイズ』では〈サーフボード〉が使われていますね。ここでも第1歌集の言葉を連想しました。

「 〝これが正しい〟でなく〝こういう用法もある〟を示すのが辞書の役目。」

 それはやはり長く読んでくださっている読者に向けたウィンクというか、「これ、わかりますか」というメッセージですね。自分でも、当時と同じ語彙を使って違う人生の局面が書けたら面白いな、と思ったのもあります。

飯間 俵さんの歌にはこれまで、パソコン通信や携帯電話、ZOOMといったコミュニケーションツールも詠まれています。言葉だけでつながる頼りなさが詠まれた歌には、特に共感を覚えます。辞書の仕事をしていても、言葉って本当に伝わらないと思うんですよ。

 実生活の小さなコミュニティ内で出会うのと違い、インターネット空間ではむしろ言葉だけでやり取りする場面が多い。言葉が命綱になっているわけです。逆に言えば、言葉で失敗したら相手との関係がマイナスになってしまう。そういう時代だからこそ、より言葉の力をつける必要があるし、大切に考える人が増えていくかもしれませんね。

俵 万智

俵 万智 さん (たわら・まち)

歌人

著書、受賞歴多数。1996年より読売歌壇選者。2021年、『未来のサイズ』で迢空賞(ちょうくうしょう)、詩歌文学館賞受賞。2023年、秋の紫綬褒章受章。

飯間浩明

飯間浩明 さん (いいま・ひろあき)

国語辞典編纂者

『三省堂国語辞典』編集委員。現代語の用例採集に勤しむ。『辞書を編む』『日本語をもっとつかまえろ!』ほか著書多数。

『クロワッサン』1108号より

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