「短歌と言葉についてゆっくり話そう」【穂村弘さん・吉澤嘉代子さん対談】
撮影・三東サイ 文・辻さゆり
中学生の頃に穂村弘さんのエッセイを読み、短歌に興味を持ったというシンガーソングライターの吉澤嘉代子さん。
音楽を志すきっかけとなり、一昨年単独公演を叶えた思い出深い日比谷野外大音楽堂や日比谷公園を巡りながら、吉澤さんが作った短歌を穂村さんが講評。
二人の間を流れるふんわりとした雰囲気の中、短歌について、言葉について語ってもらった。
吉澤嘉代子さん(以下、吉澤) 久しぶりに短歌作りに挑戦してみて、字数に制限があるのって改めてむずかしくて奥深い世界だと感じました。普段、歌集を読む側としては、なぜこの言葉を入れたかったのかなと思ったり、磨かれ、残された言葉に作り手の執着が感じられて、そこにぐっときます。
穂村弘さん(以下、穂村) 短歌を作っている人はたくさんいるけれど、時々、その人の世界というかワールドを感じさせる人がいるのね。吉澤さんもそうで、この1首目の短歌「本当の名前を探す人生に兎と鞄は重要なの」からも吉澤嘉代子ワールドを感じます。どういう思いで作ったの?
吉澤 最近ずっと「本当の名前を探す人生」という言葉が胸の中にあって。私は本名で仕事をしていますが、与えてもらった名前ではなくて、自分で自分の名前をいつか見つけられたらと思っているんです。
下の句にどんな言葉をつけたらいいか迷い、思いついたのが「兎」と「鞄」。
兎は昔飼っていたことがあって、大切な友だちというイメージ。鞄には子どもの頃から歌詞を書いたメモやお菓子を入れていて、そういった“思い出”や“言葉”が自分には必要なのでこの歌になりました。でも「重要」という言葉が少し硬いかな……と。
穂村 名前についての感受性はかなり普遍的なものだよね。名前が呪術的な意味を持つという発想は、様々な物語や言い伝えにも出てきます。
だけど、簡単に芸名やペンネームをつけないところが吉澤さんの面白いところ。みんなだいたい思春期くらいの頃に自分の名前を考えたりするじゃない? 大抵はすごく素敵な名前なんだけど、だから逆に威力がないんだよ。
枡野浩一さんという歌人に「ペンネームに月を入れるな」っていう名台詞があるんだよね(笑)。ペンネームには「月」が非常に多い。入れたくなる気持ちはよくわかるんだけど。
2023年現在で見ると、吉澤嘉代子という名前はすごく印象に残るよね。僕が良い名前だと感じる条件は、偶然性があること。
たとえば僕の母の名は「ゆきこ」なのね。それは非常に単純で、2月生まれで雪が降っていたから。雪が降るたびに母は自分が生まれた日のことを思うわけで、そういった偶然性を閉め出すとみんな素敵な「月」になっちゃう。
吉澤さんにはその偶然性への感度がすごくあると思う。あと、「重要」という言い方は、普通でいけば「大切」くらいにしたいところだけど、このままでいいと思います。
吉澤 おおっ!
穂村 これはミッションというか心の案件なんでしょう?
吉澤 そうですね。
穂村 自分だけの使命だからこの単語になっているという気がする。持ち運べる“兎”や“鞄”に、自分が信頼する世界の範囲みたいなものが出ているよね。決して充分なものではないでしょう? 兎は寿命が短いし、鞄も入るものが限られる。その範囲からしか、本当の名前は見いだせないという感じ。持ち運べないサイズのものへの信頼感がない。命の冒険というか、たぶんこの人生観は。
吉澤 なんだか、手相を見てもらっているような感じです(笑)。すべて言い当てられていて、安心するような……。
最初に耳から入ってくるのが歌、視覚から入ってくるのが短歌。
吉澤 次の歌は「明日には消えてしまうこの恋は祭りで買った使いきりの火」です。子どもの頃、夜店で買ってもらった腕に着ける光る輪っか。その光が朝になるとなくなってしまったのがすごく寂しかったという思い出があって。本当は「使いきりの光」にしたかったんですけど、入らなかったんです。
穂村 お祭りやイベントで使われる蛍光ブレスレットだよね。あの光を「使いきり」というのが面白いね。「光」のほうが字余りになっても良さそう。
吉澤 最初は「明日には消える祭りで買った使いきりの光」というのを歌詞に使おうと思ってとっておいたんです。「明日には消えてしまう」ものってなんだろうと考えて「恋」にしたのですが、別の言葉にできたら良かったかな。
穂村 確かにこの言葉は歌詞の距離感だよね。「明日には消えてしまうこの恋」というワードは広範的でしょう? 短歌の距離感ってもう少しクローズアップした感じ。たとえば、二人でその輪を分け合ったという物語を入れてみるなどのほうが、個別性があるかも。
吉澤 うんうん、なるほど。
穂村 「使いきりの光」という言葉でもわかるけど、吉澤さんは細部のセンスがおもしろいよね。
以前、吉澤さんの「ルシファー」という歌詞を共作させてもらった時に、僕が書いた「食事」という言葉を吉澤さんが「お食事」に変えたことがありました。すると言葉としては同じ意味なのに、すごく“生”な感じになったのね。
カミュの『異邦人』の冒頭に「きょう、ママンが死んだ」という有名な1行がある。普通に翻訳すれば「母が死んだ」か「ママが死んだ」となるところが、「ママン」としたことで突然輝いた。
「お食事」も歌詞ではノーマルな言葉とはいえないよね。僕らが短歌を作る時に「食事」と書いてしまったら「お」をつけることは思いつかない。書くことによって自分の意識に蓋をしてしまうわけです。
吉澤 メロディに合わせてみると1文字足らなかったので「お」を足しました。歌はそんなふうにしてメロディに言葉を連れてきてもらったり、引っ張り合いがあって助けられることが大きいですね。
私は歌集も声を出しながら読むんです。歌はまず耳から入ってくるもので、ブックレットなどで歌詞を読むのは後付け。でも短歌はその逆で、まず視覚から入っていき、声に出してみることで2つ目の情報が得られる気がします。
穂村 昔から詩人や吟遊詩人、歌人はいたけれど、彼らの直系はミュージシャンであって、我々ではないのね。僕ら現代の歌人が受け継いでいるのはその一部。代わりに、視覚的な活字や文字の部分が拡大していったのだと思う
吉澤 では、3つ目を。「ゴールデンウィーク東京降る雨はGW(ジーダブリュー)のモノグラムなり」。何年か前のゴールデンウィークに渋谷にいて、雨が降っていたんです。「ゴールデンウィーク」というスペシャルな響きに、雨でも街が浮かれているような、むしろ、おしゃれに包装されたような感覚があって。
穂村 ちょっとアイロニカルな感じもするね。これはこれで完全にできている。「モノグラムです」でも成立するけれど、「なり」のほうが面白いね。それから「ゴールデンウィーク東京」って名詞を並べる言い方のリズムがすごくいいんじゃない? 音読した時に心地いい感じがする。
吉澤 1曲作るにはパーツが足りないけれど、文字にすることで残しておきたいと思う感覚があって、この短歌も歌のサビとしては使えないけれど、気持ちや情景をとっておきたいとストックしていた言葉で作ったものなんです。
穂村 「G」も「W」もアルファベットの中では重量感があって、降ってきたらゴンッてちょっと痛そう(笑)。
入れたいのに入らなかった言葉、消えてしまった言葉。
吉澤 穂村さんは入れたいのに、どうしても入れられなかった言葉ってありますか?
穂村 いっぱいあるね。これが核になると思って作り始めたのに、出来上がった時に肝心のその言葉が入っていないってことがすごく多くて、あれ、不思議だよね。僕だけじゃなくて、題詠として作っていたはずなのに、お題となった言葉が消えちゃうという人を何人も見たよ。
ある歌人が「自分が書いたんじゃないみたいに書けた時はうまくいった時」と言っていたけど、わかる気がします。最後まで自分のコントロールの範囲でやると、本当には書けていない。「え、何、これ?」みたいな瞬間がないとだめなんだけど、どうすればその瞬間が訪れるのかわからない。わざとパッと本を開いて、そこにある言葉を使うという人もいます。
吉澤 私も最初に作り始めた頃は、全部新しくて、何でも許せていた。
穂村 わかる。
吉澤 それが作っていけばいくほど、自分の言葉に対して視点が生まれてしまって……。
穂村 わかるー。歌人の東直子さんのところに、すごく高齢のおばあさんが短歌を送ってきたんだって。それが、“みんなが私の夫はもう死んだというけれど、先生、本当ですか?”というような内容だったっていうのね。予測を超えた切なさがあって、素晴らしいよね。もう球速が圧倒的。変化球なんかいらないわけ。そういうのを聞くと、自信をなくすよねえ(笑)。
吉澤 その短歌は疑問形で終わってるんですね。すごいなぁ。
穂村 さて、僕も今日を振り返って、短歌を一つ作ってみました。
吉澤 うわー、鉛筆で書くのいいですね。
穂村 たまに書くと、気持ちいいよね。「お風呂場の鏡で練習していると聞いた振り付け輝いている」。野音で吉澤さんのステージを見た時に振り付けがすごくかわいくて「誰が振り付けているの?」って聞いたら「自分で」って。その時「お風呂場の鏡で練習しています」って聞いた記憶があって、振り付けの才能もあるんだって胸を打たれたんです。
吉澤 ありがとうございます。
穂村 僕は作品を創る人でありたいという思いがすごく強かったのね。だけど短歌って音楽に比べると非常に心もとないジャンルだから、思い描いていた映画監督とか漫画家のような作品を創る人のイメージとは違って、自分がやる意味があるのかなと思ったこともあるんです。だから吉澤さんのように僕の子ども世代の人たちから、僕の本がきっかけで短歌を始めたという話を聞くと、ものすごくうれしい。
吉澤 穂村さんが作品を世に出していなければ、間違いなく今の私の曲はありませんでした。作品を生み出してくださってありがとうございます。
穂村 やったー! ゴシック体の活字にしておいてくださいね(笑)。
『クロワッサン』1086号より