しりあがり寿さんと河野真弓さんが語り合う、看板の面白さ。
あらためて考える、その面白さとは?
撮影・黒川ひろみ 文・嶌 陽子 構成・堀越和幸
飲食店などでよく見かける、黒板にチョークで文字や絵が描かれた看板。今回登場するのはそのチョークアート看板を制作しているチョークアーティスト、河野真弓さん。板に絵を描く「板絵」シリーズも発表している漫画家のしりあがり寿さんと、自身の作品や好きな看板について語り合った。
しりあがり寿さん(以下、しりあがり) 河野さんはどんなきっかけでチョークアーティストになったんですか?
河野真弓さん(以下、河野) 自分の結婚式でウェルカムボードを手作りしようと思っていろいろ調べていたら、チョークアートという技法を知って興味を持ちました。結婚して子どもを持ってからでも人と関われる仕事をしたかったんですが、これならできるかもと思って。教室に通って講師の資格をとったりもしました。
しりあがり チョークって一度描いたらきれいに消せないし、難しそう。どんなチョークを使ってるんですか?
河野 以前は色が鮮やかで褪せにくいオイルパステルチョークを使って描いてましたが、最近は学校で使うチョークで描いています。
しりあがり 河野さんの作品、きれいですね。僕も習いたくなってきたな。
河野 始めたのは15年前ですが、当時はカフェの店頭に絵やメッセージが描かれた黒板が置かれて、チョークアートが流行りだした頃だったんですよね。最近もSNSで学生さんたちが投稿したりしています。
しりあがり スーパーやケーキ屋さん、映画の宣伝広告まで、いろんなジャンルの看板を作ってるんですね。
河野 はい。依頼主さんとやり取りしながら、要望に応じて描いています。“チョークアーティスト”っていう肩書きがついてますけど、自分では“看板屋”だと思っています。
しりあがり 交通広告でもチョークアートをよく見かける気がするな。
河野 黒板とチョークということで、テレビの学園ドラマの宣伝広告にもよく使われるんですよね。以前、学園ドラマのビジュアルを描いたことがあります。その時は新宿の地下道でライブペイントもしました。幅15メートルの絵を1週間で描いたんです。
しりあがり それは大作でしたね。河野さんの作品を見ていると、もっと世の中のいろんなものをチョークアートにできそうな気がしてくるな。
河野 チョークのいいところは、皆にとって馴染みがあるところだと思うんです。誰でも絶対に触ったことがあるものですし。
しりあがり 学校の黒板に落書きとかしていたしね。
河野 だから看板の内容に興味がなくても、チョークで描いているということだけで見てもらえるんです。前に秋葉原の駅でアニメの看板を描いていたら、アニメを知らなさそうな年配の女性がずっと見てくれていました。チョークなんだと気づくと親近感が湧いて、自分もできそうと思ってくれるのかもしれませんね。
古くて錆びついた、朽ちそうな看板が好き。
河野 しりあがりさんにも、板に絵を描く「板絵」シリーズがありますよね。作品によっては、ところどころに焼けた跡がありますが、あれは本当に焼いているんですか?
しりあがり そう、軽く焼いたり削ったりしてます。僕、看板は古くて朽ち落ちそうなものが好きなんです。ブリキの錆びた看板とかね。自分の漫画でもバッドエンドのものが多いし、板絵でも「劣化」を表したいと思って。でも、焼くっていうのはちょっと違う気が最近してきたんです。
河野 どういうことですか?
しりあがり たとえば黒板のチョークが消えていくのって、チョークとそれ以外の差がなくなって、調和して無になるでしょう。なんだか悲しくていいじゃない。でも焼くとそこに闘いみたいなものが見えちゃう気がして。「なくなってなるものか」っていう意志みたいなものがね。だから本当は経年劣化っていうか、腐らせたいんだけど、そうすると画廊で売れないだろうし……。
河野 確かに(笑)。そもそもどうして板に描こうと思ったんですか?
しりあがり 漫画って紙に描くけど、実はゴールはそこじゃなくて、読者の頭の中に作る架空の世界なんですよね。そういう曖昧な物語の世界ではなく、存在する「もの」の世界を作ってみたかった。
河野 なるほど。板も、触ったら確かにそこにある「もの」ですよね。ちなみにしりあがりさんは今までに見てきた中で印象に残っている看板ってありますか?
しりあがり やっぱり由美かおるの蚊取り線香の看板でしょう。昔はそこらじゅうにあって、たいてい錆びてた。当時は蚊取り線香の看板だなんて気づいてなくて、由美かおるの太ももしか目に入ってなかったかも(笑)。河野さんは?
河野 私は海外の古い看板が好きなんです。イギリスの昔からある床屋さんの看板とか。ルート66の標識も格好いいなと思います。どこか懐かしいような、飽きない良さがあるんですよね。
しりあがり 確かに、ああいう看板はどんなに時代が変わっても好きな人は必ずいますよね。
河野 看板に奇抜さはいらないと思うんです。街になじんでいるんだけど、格好良さもあるものが好きです。
しりあがり 主役はあくまでもお店とかお客さんで、看板ではないものね。
河野 すごく目立つわけではないけど、あると雰囲気が良くなる。そういう看板を私も作っていきたいです。
しりあがり それはすごく大事だと思いますね。そういう看板が増えていくと、皆の住んでいる場所とか暮らしが豊かになっていくんじゃないかな。
デジタルサイネージは便利? それとも寂しい?
しりあがり 僕は漫画家になる前はキリンビールの社員で、そこで広告を作っていたんです。
河野 そうなんですね。
しりあがり その時代でよく覚えているのが「メッツ」っていう炭酸飲料の広告。僕の前の担当者が手がけたものなんだけど、テレビのCMで看板からメッツの缶がごろんって落ちるんだよね。で、実際の街中にもテレビと同じ看板があったんです。あれは看板を効果的に使った広告だったなと思います。
河野 看板って、時代の雰囲気も感じますよね。最近は電子看板、いわゆるデジタルサイネージも増えてますけれど、あれについてはどう思います?
しりあがり 僕にとっては映画『ブレードランナー』の冒頭シーンに重なっていて、寂しさを感じちゃうんだよね。もう40年くらい前の映画だけど、滅んでいく街の中で、デジタルサイネージだけがキラキラしてるっていう。だから今、街中でデジタルサイネージを見ても暗黒というかディストピアのイメージしか浮かんでこない。そういう世界が好きだからかもしれないけど。
河野 私はデジタルサイネージって嫌いじゃないんですよね。設置する側からしたら印刷して貼ったり剥がしたりっていう手間も不要だし、便利だなと思います。あと、今後はもっとIT化が進みそう。たとえば若い人が前に立ったらこの広告、年配の人が前に立ったらこの広告というように、前に立つ人に応じて表示する広告を切り替えるとか。そうやって、より多くの人が楽しめるものになるんじゃないかと。
しりあがり 河野さんが希望のあることを言ってくれるから、僕は遠慮なく後ろ向きなことを言えるな(笑)。
河野 AIが作って管理する看板がある一方で、私がやっているチョークアートみたいな手仕事の看板がある。これからはそういう二極化がさらに進むのかなと思います。
しりあがり そうやって形を変えながらも、看板って常に周りにある。
河野 歩いているだけですっと目に入ってきますよね。
しりあがり 僕らって、もはや草木や山川に囲まれて育ってないでしょう。その代わり、数限りない看板に囲まれてる。僕らにとっての自然って、もはや看板なんだと思うな。
『クロワッサン』1102号より